2017/05/03

念願の「町田から小野路へ鎌倉古道を辿る」日

ずっと前に購入したこんな冊子があるのである。
町田市観光コンベンション協会発行
「鎌倉古道を探索しよう」



書いたのは多摩丘陵の鎌倉古道といえばこの人、の宮田太郎氏。
だから付属地図もすごく細かい。
それを見ながら町田駅から七国山を越えて小野路へ歩いてみたかったのだ。
地図を見るとなんとか歩けない距離じゃない。

で、街歩き仲間を中心にメンバーを募り、
8名で出発。
中には街歩き(いや、今回のはまったくもって「街」ではないのだが)ははじめてのゆきぴゅーも参加してくれた。
鎌倉古道を歩いてきましたの | お弟子さん・えぶりでぃ

で、町田駅集合。
はやめのランチをデニーズでとり、
地図を見ながら北上開始。ほぼ北上。
ログはこんな感じ。


明治期の地図に地形図を重ねてみた。スーパー地形すばらしい。

とりあえず原町田宿から北へ向かう旧鎌倉街道を北上。
途中で馬頭観音にご挨拶。一番左が古くて安政のもの。




さらに道なりに北上すると
いつのまにか鶴川街道になるが鎌倉古道である。
さらに途中でコンビニに寄ったりしつつ北上する。
道が二手にわかれる。
もちろん左が古道である。行き止まりと書いてあるがまあなんとかなるでしょとそちらへ向かう。
……ほんとに行き止まりだった。
道の続きは向こうに見えているのにーーーーー。
新しく作られた道で古道が分断されたのだ。しかも思い切り切り通して崖になってるのだ。



これは無理だ。
これ以上いけねえ。
しょうがなくいったん戻り、新道を北上。
真新しい擁壁がなんとも圧迫感。


この人工的な崖を回り込み、台地の上に上ると菅原神社。
菅原道真公を祀る天神さまで、
たいていは「なんとか(地名)天満宮」「なんとか天神社」あるいは「北野神社」なのだがここは「菅原神社」。ゆきぴゅー人形はおまけ。

このあたり、南北朝期の古戦場でもある。
鎌倉を奪われた北条氏が奪還にいくものの敗れ去った場所。
井出の沢古戦場である。

ここ狭い台地の端、舌状台地で、道路脇はこんなん。
ここが「井出の沢」。沢である。谷地である。両側に崖が迫った谷地に住む人々。

さて道なりに北上して坂を下りて恩田川を渡り、
拡幅工事中の鎌倉街道を歩くとまたもや別れ道である。
もちろん左が古道。奥に見える台地に上りたい、あの凹みが気になる。
でも地図をみても、「まっすぐ台地にのぼる道はない」。

まあさっきみたいに道路で切り通しちゃうと古い道のひとつやふたつ簡単に分断できちゃうからねえ。
でもだめもとでいってみると、舌状台地にのぼる階段がみえるじゃないか。

階段の下に地元の方がいたので訪ねてみると、この階段を上って畑の中を歩けば抜けられるという。
おおこれは行かねばなるまい。
ってんで階段を上ると、青いシートで保護された朽ちかけた社殿が。。。
神社だったのね。


どんな神社かはわからないが、境内に南無妙法蓮華経の碑が立ってる。
小さな弁天さまや稲荷もある。歴史である。
この台地はガイドブックによると「一式伊予守と呼ばれた武士が住んでいたと伝わる」場所だそうで、足利持氏(鎌倉公方)の家臣だったそうな。
境内裏手に回ると確かにあぜ道が。

やがて一般道に出る。台地の尾根を道は続く。


次の三叉路は右手に。これも古道と新道の三叉路。
正面には幾度とみかける給水塔が。町田市の団地の給水塔ってみなこのデザインなんだろか。


しばらく歩くと街へ出た。
右手に著名なパン屋(パンパティ)、左手にファミマ。
よい休憩ポイントである。

美味しいパンを食べて休憩したら出発。
坂を上り(これ、団地造成の際、地形がちょっと変わったんだと思う)、
道なりに進むと庚申塔。
庚申塔の位置が高いのは、道路を作るとき削ったから。本来は庚申塔前を通って奥に見える坂につながってたはずだ。



 庚申塔をぐるっと回り込んで坂を上るとまたもや三叉路。
もちろん左の道を行く。


やがて七国山峠で鎌倉井戸である。
鎌倉攻めの際、新田義興が使ったという井戸だ。

もちろん残るのは形だけ。
今でも深く掘れば水が出るのかもしれないけど。この古道の右手が七国山。

さらに道なりに北上するとまたもや三叉路なるも、
今度は案内板あり。

これを信じて山の中に入っていき、景色や新緑を楽しみつつ歩いて行くと
またもや三叉路。しかも三叉路の手前に案内板がある。
どっちだー。


答えは右。下る方です。
やがて人里に出て(というか最近できたばかりの新興住宅地っぽい)、
鶴見川を渡り、芝溝街道(津久井往還)を渡ると以前訪れた鎌倉古道である。




あとはここを上り、右手の野球場方面から小野路へ出る。

小野路里山交流館で少し休憩して
また出発。




山の中を歩いて無事人里へ。
この先は多摩ニュータウンで失われてるので
素直にバスを捕まえて多摩センターへ。

駅前でお疲れ様宴会。

京王多摩センター前のキティの下で解散。

いやはや、すごいピューロランドっぷりでした。
思わずみんなでサンリオ魔方陣キティ召喚シータ。


キティ召喚シータ #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


歩行距離約15km。起伏もあったのでめちゃ疲れましたわ。
でも面白かったのでよし。
こんなマニアックな踏破にお付き合いくださってありがとうございました。


2017/05/02

走水・観音崎散歩の日-観音埼灯台に上った編-

走水から観音崎へは徒歩10分だか15分だかで到着する。
けっこう近いのである。

スーパー地形アプリ+ Skitch
途中、昭和な団地の前を通る。


いきなり横須賀美術館が現れる。


そして観音崎公園。
軍事遺構らしき何やらが海辺に転がってるが
そっち方面は詳しくないのでよくわからない。
ただ今でも防衛大学があるようなところで
明治から戦前は軍事施設だらけだったようだ。


渋いのは高度成長期感ただようレストハウス遺構。
いや今でも土産物屋として使われているので遺構ではないんだが
この「廃な感じ」がたまらんのである。


ここから灯台を目指して歩くのであるが、
途中、行基菩薩伝承の洞窟と遭遇。

行基菩薩がこの中に住む大蛇を退治して、船守観音を祀ったのだとか。
だから「観音崎」。なるほど。
残念ながらそれが由来の観音寺は現存せず。残念ながら船守観音も現存せず。
このあたり岩場が多く、船を守る観音様が必要だったのだろう。
関東にも多く残る行基伝承はともかくとして。

さてこのあたりから案内板に従って
崖を登ると、観音埼灯台である。
日本最初の洋式灯台だそうな(ただし今残っているのは関東大震災後に建てられたもの)。

上の写真を見ると、人が映っている。上れるのである。
だから上る。


せっかくなのでTHETA。


観音崎灯台からシータ #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



狭い切り通しを抜け、野外ステージ跡。
ちがう、砲台跡。


随所に軍事遺構が残っていて、
その筋の人にはたまらんだろうなあ。

そしてふたたびレストハウス前へ。
バスで浦賀に出て京急で帰宅。




走水・観音崎散歩の日-走水で古代に思いを馳せる編-

GWらしいことをするかと妻と京急に乗って三浦半島へ。
馬掘海岸で降りてバスで走水へ。
味美食堂で地魚のランチを食べよう、
という名目で、
実は走水神社へ行きたかったわたし。

古道好きとしては行っておかねばならない走水。
初代の古代東海道はここを通っていたのだ。
都から東に向かった古代東海道は鎌倉を経て、
三浦半島を横断して走水へ達し、
ここから船で房総半島に渡っていたのである。
すごいね。
相模国の走水から房総半島の上総国→下総国→常陸国というルートだったのである。
で、東京のある武蔵国はというと、東山道に組み込まれてて
上野国(群馬県)から南下してたのだ。

走水は古事記・日本書紀の双方の日本武尊東征譚で出てくる場所。
古事記と日本書紀では日本武尊に関する物語がずいぶん違っているが、
共通するのは「走水から上総国へ海を渡った」こと。

海を渡ろうとしたが荒れていて渡れず、
弟橘媛命が身を投げて海を沈めたという伝説で有名なのである。
だから走水神社の祭神は日本武尊と弟橘媛命。
確かにこの辺は房総半島が近い。
肉眼でも房総半島の工場地帯がはっきり見える。

参道を拝殿前まで上るとさらに絶景。


対岸が工場群ってところに風情があるようなないような微妙さは漂うけど、古来から使われてた航路なのだ。

本殿脇から更に上へ上ることができる。
本殿は斜面の途中に作られているのだ。
さらに上ると碑やら神明神社やらと出会うのだが
注目は稲荷神社跡地。

そこ、日本武尊が祈願した稲荷の跡地らしい。
走水神社より古い神社がそこにあったとか。

もちろん日本武尊が実在したのか、
その東征がいつのことだったのか
(さすがに西暦110年では弥生時代だし)
ツッコミどころはあるのだが、
少なくとも、そういう伝承の元になった、
たとえば
大和朝廷が東国の国々を征服するために
その軍団がここから渡海して総の国(ふさのくに)へ攻め込んだ
という事象はあったのだろう。
そのときすでに神社あるいはその原型があったのだ。
地形的にも古くから集落があっても不思議はない場所だしな。
走水神社境内からそんなことに思いを馳せつつシータするのであった。


念願の走水神社でシータ。 房総が近い! - Spherical Image - RICOH THETA

古い神社を参拝したら本殿の裏手を覗け、
は鉄則。
裏へ回ってみると、おそらくは社殿のために削られた崖。
崖は何カ所か彫られており、
そのひとつが水神社である。湧き水が合った場所なのだ。
ますます神社向き。
まさかこんなポップな河童が出迎えてくれるとは思わなかったけどな。


でも建前上の目的地は走水じゃなくて、観音崎。
そちらは次のエントリーで。


2017/05/01

山高登展「東京を写す。東京を彫る。」で昭和30年代の東京を味わう

主催の伊藤さんに誘われながらなかなか顔を出せなかったのだが、
今日は時間があるぞ、ってんで、
新宿の「東京都健康プラザ ハイジア」の1Fで行われている
「東京を写す。東京を彫る」展へ顔を出す。

編集者であり木版画家であり、スナップ写真を多く撮ってきた山高氏の展覧会。
わたしの目当ては昭和の東京の姿。

これ、面白い!
特に昭和の東京に興味ある人は必見。
カラーのリアルで味がある木版画と、そのもとになったモノクロの写真。
写真はもちろん山高氏が自ら撮影したもので、
伊藤さんが大量のネガの中から元になった写真を探して
見つかったものだけが版画と一緒に展示されているのだ。
これなんか、同和病院の昔の姿。
わたしもギリギリ建て替える前の姿を写真に撮ってたんだよなあ。

1998年3月にFinePix700で撮った写真。
昭和30年代のこことほとんど変わらない。このあとすぐ同和病院は建て替えられてしまったのだけど。

それはともかく、
昔の東京の姿を記録した貴重な写真と、その版画のために観に行く価値有りです。
まあそういうのが好きな人には、ですが。

5月21日まで。

その後、雨が降ってきたのでちょいと雨宿りをして
猫写真をふらりと撮影して、

16時から人形町のトライグルオフィスで
今後の打合せ。

展覧会へ顔を出したほかは
普段の月曜日となんら変わらないのであった。
まあ今日は平日だしな。