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2021/10/31
1031:キャットタワーが来たので組み立てた
2021/10/30
1030:グランパス優勝してまったのだった
午前着のレビュー用端末が13時頃着く。
待ち合わせ時間を少し遅らせてもらい
急いで箱から出して最低限のセットアップだけして
モバイルバッテリーで充電しつつ家を飛び出して
Xperi PRO-IとPixel 6 Proのレビュー用作例。
モデルはいつもの長谷川さんで。
府中駅前周辺で撮影し、
府中駅北口にできたホテル1Fのカフェでお茶。
作例を撮っている間にルヴァンカップ決勝が終わり
グランパスが優勝したらしい。素晴らしい。
というわけで帰りにルヴァンを買い、
CSのフジテレビONEでの深夜の録画放送を見る。
ルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)はグランパスの鬼門というか、
決勝戦に進んだのもはじめてだったからなあ。
ちょいと感慨深い。
2021/10/29
1029:ミラーレスフラッグシップ機勢揃いのコラムを書く日
ITmediaにニコン Z 9発表を踏まえた
ソニー、キヤノン、ニコンのフラッグシップ機が揃ったーー
ってなコラムを書く。
にしても、最初にメカシャッターレスをやってくるのはソニーかと思ってたけど
ニコンだったかー。イヤでも考えてみたら、世界最初のメカシャッターレスミラーレス一眼ってニコンだったもんな(たぶん。Nikon1 J1)。
EOS R3とNikon Z 9は未発売の機種でちゃんと触ったわけじゃないので
極端なことは書かなかったけど、
並べて見ると、キヤノンは前時代のフラッグシップ機のテイストに最新技術を入れてきた感があり、でもR3でR1の余地を残しているからまだ先はありそう。
世間ではEOS R1だというけど、
キヤノンが今まで大事に育ててきた「EOS-1」というネーミングを捨てるかというと、
個人的には捨てない可能性が高いと思うのである。
他のEOSは「EOS R5」とか「EOS 5」とか「EOS 5D」なんだけど、フラッグシップ機だけはずっと
「EOS-1」とハイフンがはいってるのだ。
EOS MのKiss版がEOS M Kissではなく、EOS Kiss Mだったように
EOS Rの最上位モデルも「EOS R1」じゃなくて「EOS-1 R」で来る可能性あるよな、
そっちの方が面白いよな、と思う次第。
で、Z 9はスゴいので欲しいですわ。個人的に縦位置グリップ付で1kgオーバーのカメラのニーズはないので、あのセンサーとあのAFを(連写はそこまでいらない)積んだ
Z 6 IIIあたりが一番欲しいかも。
2021/10/28
1028:Z 9がでたー
夜、ニコンの新製品発表会。
Z 9である。
完全電子シャッターで完全ブラックアウトフリーのファインダーで
人と猫と犬と鳥と飛行機と列車とバイクと自転車と自動車の
9個を被写体自動認識という
とっても未来なフラッグシップ機なのだった。
いやあ、みなさん盛りあがってましたな。
ソニーとキヤノンの後塵を拝していたと思われていたニコンだけど
フラッグシップでこれを出してくれたらまだ行ける。
欲しいけどそこまでヘビーなカメラのニーズはわたしの中にないので
この賢い被写体自動認識AFと完全電子シャッターのZ 6 IIIとか出ないかな。
そしたらめちゃ心惹かれる。やばい。
24-120mm F4も出ちゃうし。
で、これを踏まえたコラムを書かねばならないのだが、
発表会が終わったと思ったら、
いきなり上田家夫妻が司会のトークショーがはじまって
いやあ、やっぱファインダーとAFすげーと思いながら
最後まで観てたら遅くなっちゃって、
Z 9の前にXperia PRO-Iの記事を仕上げねば、と
そっちを優先してたら……Z 9にまで手が届かずにダウン。
にしても、一気に動いてきて悩ましいですな。
α7 IVがわたしが欲しかったα7じゃなかったから手を出すことはなさげで、
α7Cをしばらくひっぱりつつ(概ね猫撮り専用カメラになってるけど)、
OMも「OM SYSTEMS」なるブランドを発表してカメラを開発中のようだし、
X-T4の操作感は気に入ってるので手放せないし、
悩ましいですな。
2021/10/27
1027:東京古道散歩下見の日
やべ、今日しか時間を取れない。
天気悪いけど行くしかないか、
ってんで
11月3日の東京古道散歩の下見に出かける。
矢野口から川崎街道旧道を歩き、
南多摩からぐるっと南下して大麻止乃豆乃天神社、青渭神社を経由して
稲城長沼駅のボトム前でむせる予定。
帰宅して仮眠してから当日の配布資料を作り、送ってから寝る。
これがけっこうあれこれ調べながら作るので時間がかかるのだ。
せっかく作ったのでぜひ来て下さい。11月3日です。なかなかよい具合の道が残ってます。
2021/10/26
1026:Xperia PRO-I発表の日
昼、YouTubeでXperia PRO-Iの発表会を見る。
記事を書くので見ながらキャプチャ撮る。
午後、Xperia PRO-Iのメディア向け体験会へ行き、実機を触り
気になってたあれこれを質問する。
Xperia PRO-Iの他にXperia Viewなども体験したのだが
わたしが記事を書くのはXperiaだけなので、Viewはこちらで。
要するに、Xperia 1をはめてつかう360度ビューワーで、
こういうのって数年前に何社かが挑戦してみんな撤退して
結局、Oculus Quest2が出て世の中はメタバースへ向かうぜってなってるときに
今更単なるVRビューワー出してどうするんだろう。
PS VRも出してたよな、そういえば。あれはどうなったんだろ。
いやそもそもソニーはクリエイターを支援する会社なわけで、
もしや、α7 VRとか出してVRコンテンツ作成にも乗り出すのか、
などという話をする。
帰宅して原稿を書こうと思ったのだけどなんとなくまとまらず、うーむうーむといってるあいだに寝ちゃう。
2021/10/25
2021/10/23
1023:みんなでみるっこを囲む日
ルンバを貸してくれてた近所に住む友人夫妻が遊びに来る。
お目当てはみるっこ。
もう、猫遊びのプロなので見てて面白い。
ざぶとんにうまくおもちゃを隠して興味をひいたり。
勉強になりました。
みるっことかふか。相変わらずかふかの方がみるっこを嫌ってるのだが、みるっこは遊んで欲しくてしょうがないので毎日大変です。
夜、ascii.jpに猫連載を書いてメール。
2021/10/22
1022:銀座いなり取材の日
銀座オフィシャルで五十音の宇井野さんと連載してる「銀座いなり探訪」の取材の日。
小雨ぱらつく中、銀座一丁目の幸稲荷と銀座三越屋上の三囲稲荷(と出世地蔵尊)へ。
幸稲荷って再開発でビルが建って場所が少し奥に遷ったのだけど
無事生き延びてて何よりですよ。
で、三越内のカフェでモンブラン。
2021/10/21
1021:αIVが発表された!
鎌倉から帰宅して仮眠して夕飯をとって
23時からソニーのα7IV発表をオンラインで見る。
日本での発売はまだ未定なのだけど、まあどうせでるでしょう。
なんというか、写真関係の性能は順当な進化で、それにプラスして
VLOGCAMのコンセプトをちょっと入れてきた。
本格的なプロの映像屋向けじゃなくて(それはα7SIIIの仕事だ)、
カジュアルな映像作家向けの機能満載で
モニタはバリアングルになったり、露出補正ダイヤルが汎用の電子ダイヤルになったり、
静止画と動画とS&Qの切換えレバーがついたりして
静止画メインの人にはちょっと「え?」という内容だった気もする。
でも今の時代にあったミラーレス一眼のスタンダード、というとこういう感じになるんだろうなあ。
なお、スタンダードモデルなのでコストが上がるような強烈な機能はない。
スチルメインの人はα7RIVを、プロの映像作家はα7SIIIを、
超高速撮影や連写したい人はα1かα9IIを、
で、
静止画も動画も同じように扱いたいスタンダードモデルがα7IV、
という位置づけと思っていいかもしれない。
で、発表会を見てのα7IVのインプレッションを書いてメール。
1021:鎌倉訪問の日
早起きして鎌倉へ行く。
鎌倉の古道を散歩。久しぶりに訪問したら駅がきれいになっててびっくり。
しかも平日なのに観光客が多くて、みんながマスクをしてる以外はすっかり日常が戻ってる。
今回の目的は2つ。
ひとつは今まで未訪問だった鶴岡八幡宮東の大蔵幕府跡や頼朝の墓、護良親王が幽閉された土牢エリア。
もうひとつは鎌倉歴史文化交流館で開催されている企画展「頼朝以前」。
鎌倉歴史文化交流館が16時までなので、15時には入りたい、ってことでスタートである。
歩いたルートはこんな感じ。明治前期の地図上にログを重ねてみた。
ほぼ古道を、それも鎌倉時代からあったと思われる道筋を歩いたのである。
鎌倉はすっかり観光客が戻っていたけど、こういう古道エリアは人も少なくて
史蹟も多くて(でもこじゃれたお店は少ない)良い。
駅を出たらまず若宮大路を南下。
下馬の交差点で左折し、滑川を渡る。この路が大町大路で、古代東海道と推定されてるらしい。古道だ。
途中、腹が減ったので昭和なパン屋で惣菜パンを2つばかり買う。安くて旨い。もっと買っとけばよかった。バタークリームのコロネとかたまらんかったわ。
そして次の交差点を右折。小町大路。
交差点が往古の繁華街でこのあたりを「辻町」という。
向かったのが元八幡宮。辻の薬師堂を超え、踏切を渡り、右折して元八幡宮である。
参拝したのち、小町大路を北上する。
大蔵幕府跡まで直行するつもりだあったが、興味深い古社古刹が並んでるのでなかなか目的地が遠い。
祇園山の麓にある八雲神社。
「廃仏毀釈」を読んだせいで由緒書をその視点で見ちゃう。
やはりもともとは「祇園天王社」。八雲神社に改称したのは明治時代だ。
新羅三郎義光が勧請したそうな。
後ろに山を背負った神社に相応しい地形である。
小町大路に戻って北上。
滑川を渡るクランクは昔のままだ。
さらに北上して日蓮上人辻説法の跡地へ。このあたり、日蓮宗の寺院が多いのも上人が幕府のある鎌倉でずっと辻説法を行っていたからだ。
さらに北上して北条邸跡。執権の北条氏はここに邸を構えていた。
今は後醍醐天皇が建立した宝戒寺。裏手の山に北条高時の腹切りやぐらがあるが今回は時間の都合上未訪問。
その近くに筋替橋。鎌倉十橋のひとつ。
街道から奥へ入って大蔵幕府跡。源頼朝時代の幕府があった場所だ。鎌倉幕府と一口で言っても2度ほど引っ越ししてるのである。幕府跡の碑は小学校の角にある。
その裏手の山に源頼朝の墓があり、白旗神社がある。まあこういう神社は明治期のもの。
階段を上ると頼朝の法華堂跡があり、江戸期に島津氏が建てた塔が残っている。
その隣の山には当時の執権北条泰時の法華堂があった。
発掘調査で分かった礎石や溝の跡が杭とロープで表してあるのだが、もうちょっとお金かけてあげようよ、鎌倉市、とは思う。これから整備するんだろか。
ここには古いやぐらがひとつ、さらに並列した階段の上にもやぐらが3つある。
でも、どれが誰の墓だか解説板がない。不親切すぎ。
えっと、法華堂と同じ面に無造作に残ってるやぐらは「三浦泰時一族の墓」(といわれてる)。
階段の上は左の2つが「島津忠久」「毛利季光」、右のひとつは「大江広元」の墓。
大江広元の墓は入れたので、中で撮影。iPhone 13 Proのナイトモードが強力でたまらん。
山を降りて次は荏柄天神社。
ここのかっぱ筆塚は漫画好き必見。たまらん。
さらに鎌倉宮。
鎌倉宮が作られたのは明治時代。その奥の少し高くなったところに護良親王(大塔宮)が幽閉され、殺されたという土牢が残っているのだ。それを祀るための神社であり、立派な参道もある(これはのちに作られたもの)。
なぜそこに土牢が、というと、当時は「東光寺」という寺の境内だったのだ。寺の土牢に幽閉されたのである(でも土牢ではなかったという説もあり、確かに新王を土牢に押し込めるってのは考えづらい)。
東光寺はとっくに廃寺となっており(詳細はよくわからない)、その場所に鎌倉宮が作られたのだろう。
鎌倉宮の参道を歩いて戻ろうかと思ったけど、明治前期の地図を見ると、それと平行するような東側の道の方が古いのでそっちを選ぶ。
帰宅して調べたところ、これは永福寺(今回はそこまでは足を伸ばさなかった)へ向かう「二階堂大路」ではないかというサイトを見つけた。確かにそれはありそう。
その古道を歩いて行くと、青面金剛像があり、道標になってる(何が書いてあるかはよく読めず)。
六浦路と二階堂路の追分(岐れ路)だったのだろう。
そこから鶴岡八幡宮に戻り、八幡宮の入口だけちょっと覗く。
池に弁財天がある。
あれ? 弁財天は仏教のものだから神仏分離時に祭神を変えて厳島神社になるか、廃されるかどっちかだったんじゃね、と思って由緒書を見たら、明治初年に境内にあった他の堂宇とともに除かれたが、昭和31年に再興されたと書いてあった。
新編相模風土記稿によると、弁財天を養和元年に東池に遷すとあったので、源氏と平家の2つの池を作ったときからあったのだろう。
つまり、鎌倉時代から鶴岡八幡宮に残る古社も神仏分離を建前に廃されてしまうのだから、初期の明治政府は何やってたんだか、である。
時間がないので本殿まではいかず、さらに西へ向かい、鉄の井を経由して、今小路へ。
寿福寺訪問もそこそこに(その裏にあるやぐらは以前訪れてたので割愛)
15時過ぎに古道を辿って無量寺谷にある鎌倉歴史文化交流館着。
鎌倉の歴史を概観するのにちょうどよい内容な上に、基本的に写真撮影自由なので、1時間ほどかけてゆっくりと楽しむ。
時代ごとの鎌倉の様子を見せてもらうと、鎌倉の中心が少しずつ動いてるのがわかって面白い。
鎌倉郡衙から大蔵幕府、北条氏、鎌倉公方とそれぞれ場所が違ってて、今の鎌倉を見ると鶴岡八幡宮が中心に見えるけど、違うのだ。
なぜそこに住んでたのかを地形や街道の問題と合わせて考えると実に興味深いのである。
図録を買う。
で、鎌倉駅に戻って帰宅。
2021/10/20
1020:みるっことエアスピン
うちの黒猫の正式名は「みるっこ」じゃなくて「ミル」らしい。なんてこった。
「みるっこ」は通称だそうな。
ともあれ、みるっこがダイソーで買ってきた「エアスピン」にご執心で面白いので動画にしてYouTubeにアップしてみたのである。
スローモーション付。
いやもう飛んでったプロペラを追いかけていって咥えて戻ってきて次を要求するレベル。
面白い。
製品はこれ。
2021/10/19
1019:廃仏毀釈を読む
尻に火がついたので単行本の作業。
6ページ分を仕上げて送る。
畑中章弘の「廃仏毀釈」読了。
神仏分離令とそれにともなう廃仏毀釈って以前から気になっていたのだけど、
思った以上にややこしいことになっていたのだなあ。
神社と寺を分離しろというのだけど、これが大変難しい。
政府がやったのは神仏分離令。神と仏を完全に分離すること。廃仏毀釈は民間の廃仏毀釈運動で、多くの仏像や仏堂が消滅した。歴史を辿るのが好きなものにとってははなはだ迷惑な令なのである。
さらに多くの寺が締め付けられて困窮し、廃寺となったり他と合併したところも多い。
で、神仏を分離しやすいところはよかった。たとえば渋谷の金王八幡社は敷地を八幡社と東福寺で分けてどっちも生き延びてる。
でもそもそも神仏が一体化してる分離不可能な寺社(八幡大菩薩とか牛頭天王とか各種権現とか)、山岳信仰の山は修験道で発展したので神社と言うよりむしろ寺、そういうところでは何が起きてたのか。これがまあひどい。
大きな神社は寺院と一体化しており境内に仏教施設(五重塔や六角堂や太子堂やその他もろもろ)を持っていたのだがそれらはぜんぶ捨てられたのだ。燃やされたり棄却されたり、それはあまりにひどいってんで他の寺院に移されたり。
いやあ予想以上にいっぱい失われたのだなあというのがよくわかる。
我々は、以前タリバーンが仏教彫刻を破壊するのを見て怒っていたけど、
日本人だって江戸末期から明治初期にかけて似たようなことをやってたのだ。
話がややこしいのは
・地域によって廃仏毀釈が強烈に行われたとことそうじゃないとこの差がでかい
・うまく分離できない寺社は基本的に仏教系の痕跡をすべて棄却して神社となった
・廃仏毀釈自体は数年で終わり、そこまで生き延びたところは生き延びてる
・江戸時代、寺や僧の数が増えすぎてたこともあり、神仏分離令+国家神道のおかげで檀家がなくなり存続できなくなった寺院が無数にある
ということ。
そして、我々が見る神社の社号や主祭神は明治初期の神仏分離令以後のものであること。
これから神社の由緒書を見る目が変わりそう。
牛頭天王を祀っていた神社は祭神が素戔嗚尊となり、天王社は八雲神社や八坂神社や素戔嗚神社のように名前を変えてる。
ちょっと興味が出てきたのと、「廃仏毀釈」ではひたすら事例が並んでいて強烈過ぎたので、全体としてはどんな流れだったのか、このジャンルの名著らしい「神々の明治維新」も注文する。
2021/10/17
2021/10/16
1016:「まなたび」で中野を歩く
小田急まなたびの街歩き講座。
まなたびは緊急事態宣言中は中止というポリシーだったので
やっと再開だ。
テーマは地形と古道で味わう室町時代の中野。
淀橋から成願寺、宝仙寺から城山って感じで歩く。
参加して下さったみなさま、ありがとうございました。
2021/10/15
2021/10/14
1014:新宿でGR IIIx。
新宿でGR IIIxの人物作例撮り。
個人的にはGR IIIの28mmよりIIIxの40mmの方が感覚に合うのだけど、
28mmの方がツブシは効くんだよなあ。
ともあれ、独特のテイストを持ったカメラらしいカメラ。