ページ

2012/03/27

「失敗の本質」がなぜ今読まれてるのか読んでみたらわかった気がする

4月に書く予定の4回連載の構成案をなんとかまとめてメール。
年度末なので請求書を書いて投函。
それだけで夜になっちまったよよ。とほほ。

ここ1年ほど、いろんなところで「失敗の本質」が引用されてるのが気になってたので、ちょいと時間ができたついでに手を出してみた。
Amazonから届いた文庫の奥付を見ると2011年7月に44刷。やっぱ最近読まれてるのだ。

1984年に書かれた、第二次大戦における日本軍の「失敗」を6つの作戦を例に挙げて分析した本なんだけど、これがもうすごい。

・大本営からの指示が曖昧である→大本営は作戦を中止させたいが現地で自発的に中止して欲しいので要請という形にした→現地では命令じゃないから従わなくてOkとして勝手に作戦を展開→失敗
・ひとつの作戦に対して意見をまとめられないので両論併記的な指令となる→その作戦においてもっとも重要な点が曖昧になる→現場で勝手に解釈→失敗
・「軍事的合理性以上に組織内の融和と調和が重視される」という人情論優先→作戦中止の勧告がある→それを受け取った人が、今中止させると現場の司令官の攻勢意欲を削ぐことになるから望ましくない→作戦容認→決行→失敗
・一度こうすると決めたら変えられない→それに反する情報がもたらされても無視→失敗
・一度こうすると決めたら変えられない→作戦失敗をなかなか認めず、失敗が決定的になってからやっと中止・撤退命令を出す→無駄に犠牲
・昔の成功体験に固執する→いつまでも最後は艦隊決戦で勝負を決めたがる→航空機にやられてあえなく←最初に航空機で船を奇襲して沈めて、航空機の時代の到来を知らしめたのは自分たちだったくせに
ざっくりと感じたことをまとめるとこんなのばかり。

以前、どの本で読んだんだか、沖縄に大和を出撃させるかどうかの会議で、中止すべき論拠が山ほど出されたにも関わらず、会議の「空気」によって決行が決まった、みたいな話が書いてあったのを思いだす。

つまるところ、大震災及び原発事故に対する政府や行政の対応っぷりや、日本の大企業の膠着っぷりが「失敗の本質」に描かれた当時の日本軍ととても共通する→あのときから進歩ないじゃん、と多くの人が感じたから、この本が今引用されまくってるのだな。
「牟田口司令官は、作戦不成功の場合を考えるのは、必勝の信念と矛盾すると主張した」という一説がある。
これ、「メルトダウンが起きたときのことを考えるのは、原発はメルトダウンを起こさない設計になっているという信念と矛盾する」と対策を考えなかったのと同じだもんな。

読めば読むほど、肝心なところが戦前と変わってないじゃん、と思わされること必至で、
じゃあどこから手をつければいいかというと、とりあえず根本的に「グランドデザイン」ができてないところをなんとかすべきじゃないかと思うわけですよ。
「復興」というのはグランドデザインじゃない。どこを重視してどういう路線で進め、どうなったら復興とみなすかを決めるのがデザイン。
1年たっても原発を続けるのか止めるのか、段階的に廃止していくのかも決めないまま、小手先の作業だけ(ストレステストとか)行ってる、じゃあストレステストが終わったら再稼働するのかというと、それも曖昧なままで1年。
ああ。


0 件のコメント:

コメントを投稿