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2012/12/24

希望難民ご一行様の行き着く先は

Kindle Paperwhiteで読了。
希望難民ご一行様。

いやあ、面白かった。
一番面白いのが……NewsWeb24で喋ってる姿そのまんまの文体と、
末尾についてる極めて親切でわかりやすい「この本のまとめ」。
「東大院生のまとめたきれいじゃないノート」と称された、
文字通り手書きのノートで、本の内容が図とイラストでまとめられているのだけど
それがいい。1冊読み通したあとでこのノートを見ると全体の流れがよくわかる。
まあ「東大院生の……」とわざわざつけるところもあざとくてかわいい。


あとは解説で本田由紀教授にもっとボロクソに反論されてたらいい感じで完結したのに。


それはともかくとして、
会社員をしてたら上の世代とも下の世代とも接することができるからいいんだけど、
わたしのようにフリーで仕事してると、接する相手が限られるわけで(20代なんてたまに会う若手編集者くらいで)、日常的に接する相手はどうしても似通った年齢層になる。せいぜい±12歳くらい。
だから、「今」がどうなってるのかすごく気になるのだ。
わたしが育ったのは、ちょうど高度成長期末期からバブルに向かう頃。
親は団塊のひとつ前の世代。
本書はそんな時代……つまり、
経済成長という共通のゴールがあった時代、
本書的には
「「いい大学」に入れば「いい会社」に入れ、「いい人生」が送れるという「物語」を共有していた」時代から、話をはじめてくれる。

まあ、その物語の胡散臭さに耐えきれず(バブルの直前くらいに)会社を辞めてさっさとフリーライターになった人のセリフではないけれども、考えてみたら、その物語からはずれても食べていけそうな時代ではあったのだよな。

でも今は明らかに物語が変わってるわけで。

昔は、地縁血縁で構成された村社会があって、それはうざさもあったけど相互扶助組織でもあって共同体としては完成されていたのだけど、
近代になり、村社会から脱出して都市部に出てきた人たちは、それに変わるものとして「学校」「会社」という新しい共同体を作り上げてきた。
たぶん、われわれの前後の世代が、そういう共同体のもつ胡散臭さやあざとさから脱出して、もっと自由であるべきだといいだしたんだと思う。若い頃(80年代)に読んだ本はたいていそんな感じだったもの。

かくして、「学校」や「会社」は信頼できる共同体としての役割を徐々に失い……その構成員にとっての「依存できる居場所」ではなくなり、不況が決定的なダメージを与えたのだ。たぶん。
でも、大人達はそういう共同体を壊したはいいものの、その代わりになるものを用意できなかった。
しかも日本には西欧における「教会」に該当するものがない。

そんな中で育った今の人たちはどうしてるんだろう……
というのを読みたかったのである。

そういう意味で、めちゃ面白い本でした。
「ピースボート」乗船体験と聞くとちょっと引いちゃうのだが、
読んでみると、ピースボートの自体は本質的な問題ではなく(といっても、ピースボートがどんなもので、辻元清美の時代からどう変遷してるのかも含めて詳細に教えてくれるけど)、
低コストで「数百人の老若男女(まあ本書で扱うのはすべて30代以下だが)が3ヶ月以上の間に同じ場所で生活し続ける様子を観察できる場」としてはこれ以上無い存在で、
何しろ船の上なので外の人たちとの交流もできないし、寄港地以外で逃げ出すこともできないし、参加者達をいろいろなパターンに分類しやすいしで、おいしすぎる場として使われてる。
本書の筆者はその様子を観察するのが面白くてしょうがなかったろうなと
そんな気持ちが随所ににじみ出てるから読んでて面白い。

古市憲寿ってめちゃ「おもしろがり」なんだろうなと。
で、おもしろがりつつ、乗船してる人たちを4つに分類し、
それぞれの特徴や変遷、下船後の様子を観察し、
修士論文にまとめ、それを改訂して読みやすく親切な本に仕上げたのが本書なのだ。

で、今は「誰もが終わりなき自分探しをしなくてはならない時代」で、そこで「やればできるって言うな!」と叫ぶわけである。
「何のヒントもなくフィールドに放り出され、「やればできる」とせかされる。ゲームでは、そういう作品のことを「クソゲー」と呼ぶ」
まさしく。
で、本書ではクソゲーなんてクリアしなくていい→今の社会はクソゲーみたいなもんだからムリしてクリアしようなんて思わなくてOk→(夢を持とう、やればできる、想い続ければ実現する云々と)「あきらめさせてくれない社会」で「若者をあきらめさせろ」という結論(といっていいのかな、まあいいや)。

話は前述の共同体に戻るのだけど、
この本は「承認の共同体」幻想がメインテーマ(最終的にピースボート上における承認の共同体の発生とその後共同体を維持していく様子が観察される)で、
それは
互いに承認しあうことで安心できる「流動的な社会におけるオアシス」のようなもので、はじめは何らかの目的を掲げて集まったりはじめたりしたコミュニティも、承認し合う居心地の良さにそれが冷めていって、共同体だけが残ってムラ化すると様子を観察しながら検証してる。

で、わたしはというと、
LINEってそういう意味ですごく「承認の共同体」的なんじゃないか、と……そんなことを思いながら読んでたのである。

承認の共同体内でのつながりを日常的に維持するためのツールで、グループチャットによってそれが行われるのだ。閉鎖的なコミュニケーションなので、そこに異質な外部が入ってくるのを防ぐ役割ももってる。

でもそのゆるい共同体って居心地がいい反面、とてももろいわけで、それがこわれたらどうするか。
たぶん、個々の人がいくつもの「承認の共同体」を持ってて、それを使い分けることで上手にリスク分散してるんじゃないかなと。
それには、グループ分けをしてそれぞれのグループと等価にやりとりできるデジタルツールが欠かせないのだ。グループチャットを上手に使えば、自分が属するコミュニティそれぞれに対していい顔できるし、話題を使い分ければリスクも分散される。
リアルだけのつながりだと、いくつもの共同体に属するなんて物理的にムリだけど、LINEだったら同時にそれぞれとコミュニケーションできるもの。
まあ、実際にそう使っているかどうかは想像だけど。

この本の解説で本田由紀教授(わたしと同世代です)が「仲間と一緒にいることだけが承認のリソースだった場合、その仲間を失ったり関係がおかしくなったりしてしまったとき、人は何もない空間に取り残されてしまう」と書いているけど、そうならないよう、属する仲間をいくつももつためにデジタルなコミュニケーションツールが多大な役割を果たしてるんじゃないかと、わたしは思ってるわけで、
そういう意味でLINEって今の時代を象徴してるようで、
気になってるわけです。

で、その先に何があるかというと、さっぱりわかりません。そんな居心地のよい共同体を長く続けられるのかというと、たぶんムリでしょう。
気がつくと30歳を越えてて、
たとえば刑務所から出てきてまた昔みたいにやろうと当時の仲間達を頼ったら、彼らはとっくに大人になってて自分だけが取り残されていた的な「さらば青春の光」状態が待ってるとしか思えないもの。
解説を書いてる本田由紀教授はそこを気にしてる。大人だから。

古市憲寿はというと「じゃあ、誰が「あきらめない」で社会を変えればいいのだろうか。それはあきらめきれない人がかってにすればいいことだと思う」……ミモフタもなさすぎて感動的です。
でも逆に、そういっちゃうしかないところが信用できるというか、
本書は若い研究者がピースボート上の閉ざされた社会をネタに同世代の若者達を研究した本であり、そういう意味でこれはこれで清く正しいんじゃないかと感じたのでよいのです。

次は「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります〜僕らの介護不安に答えてください〜」を買ってみた。Kindle化されてたから。
上野千鶴子といえば、若い頃「スカートの下の劇場」を読んで、目から鱗が落ちたのを思い出します。今読んだらどう感じるのだろう。


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