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2013/01/02

渋川神社とにょうらいさん

お正月なので初詣にいったり親戚の家に挨拶にいったり散歩したりする。
古い記憶を便りに育った土地を散歩し直すと再発見や時代の変化がたくさんあって面白いのだ。

初詣はたいてい渋川神社で、
渋川神社公式サイト2012
この近くの高校に通ってた頃はこっそり自転車を隠しておく場所だったのだけど
(自転車通学には許可が必要なのだけどそれを取得してなかったので神社においてたのです)
いやあ、調べてみるとめちゃ古い神社でびっくり。
天武天皇斉田跡とかあるし。
渋川神社にある斉田跡碑。狛犬がいるのは焼失した旧本殿跡。
創建は景行天皇(日本武尊の父。実在したとしたら4世紀前半とか)の時代。
景行天皇 - Wikipedia
それはあれとして、もうちょっと信憑性が高いところでは、
天武天皇の御代。
日本書紀によると、天武天皇の5年、
天武天皇 - Wikipedia
「新嘗祭のための国郡を占いましたら、斎忌(ゆき)は尾張国山田郡……」
とある。新嘗祭(天皇即位後最初の新嘗祭を大嘗祭と呼ぶ)に納めるお米を作る斉田を作る土地に尾張国山田郡が選ばれたわけだ。

山田郡は今の名古屋市東部から北は小牧市、東は瀬戸市あたりだといわれてて、
(ってことは、尾張の北東部全体という感じか?)
その斉田がこのあたりにあったのだという。
ただし、渋川神社創建の地は現在地より400mほど南西だかで、
矢田川の近くだった。
悠紀斉田の話がどこまで史実かというと、
このあたりは「印場」(いんば)というが、その語源はこのときの「斎場」(いみにわ)が変化したものだというし、
印場には条里制の遺構も残っていたというし、
平安時代の延喜式神名帳の式内社のひとつに「澁川神社」が書かれているしで、
信憑性は高そうだ。なんとまあ。
少なくとも平安時代には定着していた超古い神社なのだ。
延喜式神名帳 - Wikipedia

往古は、このあたりに加え、大森(名古屋市守山区の大森)や藤森や一社(名古屋市名東区。地下鉄でいえば藤が丘や本郷から一社まで)、高針(名古屋市名東区。上社よりさらに南)あたりの産土神だったのだという。びっくりですな。
(ソースは日本歴史地名大系)

で、中世の頃現在地に遷座(川の近くだったので洪水にあったか、近くに城があったので戦いに巻き込まれたかしたのだろう)。
その後、
織田信長が本殿を改修し、徳川光友(尾張徳川藩の2代目藩主)が本殿を改築、その改築した本殿は平成まで頑張ってたのだけど、平成になって焼失しちゃいました。残念。
その本殿、高校生の頃は何度も見てたのにどんなだったか覚えてないや。
なんとももったいない。

渋川神社の南の道は旧瀬戸街道。西の道も旧道である。

で、渋川神社の南に600mほど行き、川の北側を少し東に向かうと、
そこには直会神社がある。
「なおらい」神社で、地元ではなまって「にょうらいさん」と呼ばれてる。
わたしが子供の時は縁日が立つと旧道からずらりと森の中にお店が並んだものだが、
今は可愛い神社がぽつん。
直会神社の由来
由緒によると、
このあたりにあった「悠紀斉田での収穫をお祝いして神様に供えた、お酒や食べ物などをみんなでいただく直会という儀式の跡に建てられました」である。悠紀斉田は斎忌のこと。
国史大辞典によると、直会は
神祭において、神の飲食物として供える神饌と同様のもの、または供えた神饌の撤下品を饗膳となし、これを酒食する儀礼をいう。一般に神祭のあとで行う酒食を称するが、本来は神との共食儀礼もしくは神祭に伴う斎食儀礼を称したものである。」
だそうで。
渋川神社の由緒と合わせると、直会神社の西に広く斉田が広がってたということだろう。
川沿いの低地なので水田に適していたと思うし。
わたしが高校生だった頃は田畑が広がっていたのだけど、
いつのまにか縦横に道路ができ、旧道・古道は失われ、田畑は住宅やコンビニや地方都市にありがちな路面店にかわっております。ちょっと残念。
祭神は神直日神と大直日神。江戸時代には、はれものやできものが治ると評判で、この神社への道標仏が随所に建てられていたそうな。

神社の少し西には、観音堂もあり、円空仏が5体納められている。

ちなみに、このあたりには猫がけっこういます。

直会神社から川を挟んで南に550mほどの地点には大塚古墳がある。
5世紀の円墳で、脇には八剱神社があった(渋川神社に合祀されたため現存せず)とか。
この古墳、普段は締まってて、近くの公民館で鍵を借りてあけてもらわないといけないのだ。
めんどくさい……そういえば、高校時代に「中にはいってみたいけど、めんどくさいな、今度にしよう」と断念した記憶がある。進歩なし。
まあ今回は正月なので公民館も閉まってたのだけど。
大塚古墳をフェンスの外から
いやあ、大人になって散歩し直してみると、
意外な歴史が眠っていたのを発見してなかなか面白いものだなあと
そういう話でありました。
せいぜい江戸時代の農村だと思ってたからね。
天武天皇まで遡るとか、
渋川神社がこのあたりから名古屋の一部まで含む土地の産土神だったとか、
面白すぎますわ。

ちなみに、以上は愛知県尾張旭市(名古屋と瀬戸に挟まれた小さな市)の話。
生まれたのは名古屋市だけど、中学の時このあたりに引っ越したのだ。

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