今回は、位置情報の話。
TwitterもFacebookもLINEもちゃんとジオタグは抜いてくれてるとかそういう話。
つい村尾嘉陵本とにらめっこ。
五街道のように大勢の往来があって賑わってた幹線道路より、
村尾嘉陵が散歩したような田畑と林の中に朽ちかけた祠がみつかるようなそんな郊外の道が味わい深いのですよ。
いひひひ。
というわけで
村尾嘉陵「江戸近郊道しるべ」解読シリーズ第2弾は石神井。
文政5年の9月11日(陰暦)、村尾嘉陵は石神井の弁財天に詣でようと、
椰子の実を水筒代わりに日の出くらいに家を出る。
最初に出てくる地名は椎名町慶徳屋。
椎名町慶徳屋が少し先に、岐路あり、北に行けば上板橋に出て、ここより西にゆけば、道の左右楢のうえなみて云々さて、慶徳屋の場所がわからないと足跡も辿れない。
ググってみる。あった。素晴らしい。
豊島区立郷土資料館だより「かたりべ」がPDF化されてWebに上がっており、そこに慶徳屋に関する寄稿があり、慶徳屋の場所も解明されてたのである。
慶徳屋は今の目白通り沿い。明治初期の地図を開き、慶徳屋の場所を特定。
本文の記述通り、慶徳屋先の道を北へ向かい川越街道の上板橋宿へつながる道もちゃん とある。
今の目白通り〜新青梅街道の元になった道もある。
椎名町よりこのあたり迄半里ばかり、道の左右みな畑なり、人家二三戸ばかり、往来はみな馬牽き、糞桶肩にするもののみ江古田に入ると豆腐屋があったので、そこで休憩しようと腰掛けると、お店のあるじがあれこれ世話をやいてくれたとあるが、さすがに豆腐屋の場所はわからん。田中屋長助だそうである。
地図によると江古田のあたりでぐっと北に回って川を渡ってるので、川を渡ったあたりかと思う。
さらに西に向かうと、山崎喜兵衛という醤油作りを商うものの家。
これは場所が特定できたので地図に記す。今の中野区郷土資料館の近く。
新青梅街道って聞くと、昭和になって作られた新しい街道のようで、確かにそうなのだけど、何もないところにぐわっと建設したのではなく、元になる道はちゃんとあったのだ。いつか旧道を辿ってみよう。
で、地図です。
江古田から先はもうほんとに畑ばかりのようで、
なお行けば鷺宮村、このあたりまれに民家二三戸あり、まひるにも路のふちの草むらに、虫の声聞こえるうちに……(東洋文庫版を意訳)という具合。
さらに進んで井草村、途中で道を北に折れると田んぼがあり、石橋で石神井川を渡る。
新青梅街道旧道と旧早稲田通りの合流点に庚申塔が残っている |
橋を渡った突き当たりに禅定寺。これは現存する。
禅定院 |
ぐるっとまわって北へ行くと、氷川神社。これも現存。
氷川神社西側の道を北へ行くと石神井公園であり三宝寺池である。
帰りは同じ道を通るのもつまらんってことで(その気持ちわかります)、
石神井川を渡ってさらに南下し、天沼、沼袋と抜けて淀橋と面影橋の間にある橋を渡るというから、おそらくは旧早稲田通りを道なりに南東から東に向かい、小滝橋で神田川をわたったんじゃないかと思う。
椎名町から江古田のあたりはあまり行かないので土地勘はないのだけど、なんとかなるもん、実際に歩いたルートがわかると、本文の記述も妙にリアルに感じられるから面白い。
興味ある方はこちらをどうぞ。
より大きな地図で 石神井の道くさ を表示
あっ、うちの近くだ!!ちょっとうれしい。
返信削除でも全然知らない道です。
昔、明治乳業の牧場のあったあたりに住んでいます。
今はありませんが、国産の油絵の具の「くさかべ」も
ありました。近所のじいじいに聞きました。
あとなんかあったと言われましたが忘れました。
主人はよく歩いているので何か知っているかなあ???
わたしはツイッターは苦手と言うか五回初めて
五回辞めました、これは主人のツイッター:
https://twitter.com/yoshihik0
締め切り前によくツイットしています(笑)。
「混沌の屋形船」もなつかしく拝見しました!!
ネットの歴史も見れて楽しいです。
にやちゃんとちびっこ大五郎ちゃんの真夜中の格闘??
暗視カメラ?で撮ったムービーが見れなくなっていて
見たいな〜と思いました。
Keikoさん、
返信削除おお。逆にわたしは南長崎の辺は全然わからないので(文章と明治時代の地図を元に推測したですから)一度散歩にいかねばと思っております。
で、えっと、当時のムービーはサーバーがなくなったので消えちゃいましたー
いつかどっかにまとめて上げ直そうと思って……そのまま放置されてますすみません。
その辺は近いうちに。。。