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2013/06/13

西日暮里の切通しが気になった雨の午後

雨だ……。
でも何かとスケジュールの都合もあるので
上野でレビュー用作例撮り。
雨が上がったらちょっとブラブラしようと思ったのだけど
断続的に本格的に降ってくれるので諦めて帰宅。
ちょっと遠回りだけど、確実に座れそうな、
上野→山手線→西日暮里→千代田線
というルートを選択。西日暮里での山手線→千代田線の乗換って
専用乗換改札があるから楽なのだ。

西日暮里の駅って、ちょうどでっかい切り通しの真ん前にあってこんな風景が楽しめる。
西日暮里のでっかい切通し
iPhone5で東京地形堪能パノラマ
見てわかるとおり、左右が崖。台地の狭いところを削って道路を通したのがよくわかる。

駅は崖下にあるので武蔵野台地の端っこをまのあたりにできるという東京地形好きにはたまらん場所。
左右を見ると右の方がちょっと高いな。
左側が諏訪台と呼ばれてて、尾根上を古道が通ってる。諏方神社や日暮里の富士見坂がある。
右側はちょっと高くなってて江戸時代に道灌山といわれてた。上野台地で一番高いところ。道灌山遺跡には縄文時代から弥生時代、平安時代の住居跡も見つかっている。今の開成高校のあたり。それだけ古い土地なのだ。

気になるのがこの、台地を人工的に削ってできた深い切通しの坂がいつできたのか、ということ。いつからここの台地は分断されたのか。
明治時代初期の地図を見るともうここが切り通されてるのがわかる。
江戸時代にはこうなってたということだ。
ちなみにこの狭い尾根道を南東へ行くと、谷中を抜けて上野台地へと至る。
逆に北西へ行くと、平塚神社(豊島郡衙跡)を抜けて飛鳥山へ至る。

自然にこんな地形になることはないので、人為的に尾根の狭いとこを削って道を通したんだと思うけど、いつこうなったんでしょうねえ。ああ気になる。
新編武蔵風土記稿もそこにはつっこんでくれなかったし。
太田道灌の頃はどうだったんだろう。

それはさておき、
千代田線で帰宅して、疲れたのでちょっと仮眠して、起きて、
ascii.jpの猫連載を書いてメール。
猫連載用に借りてるカメラがあったのだけど天気が悪くてなかなか撮れず
急遽かふかネタになる。

そのあと家電批評のちょっとした記事を書いてメール。




1 件のコメント:

  1. 上落合の薬王院(ぼたん寺)の左の路を登って
    階段を上がると、崖地にぎりぎりに住宅が建っています。
    その崖地の部分は横穴式墓があるようです。
    以前、その崖地に住もうかと言う話の時に
    新しく建て直すなら、考古発掘が義務になるということで
    その期間の工事などの負担もこちら持ちになるので
    基礎は残して建てた方がいいということでした。

    桜の季節は桜越しに電車が遠くに長く走るのが見えて
    別世界のようでした。本当に魅力的な場所でした。

    太田道灌公ですね、道灌山は初めて知りました。
    前座さんが「道灌」をよく掛けます。

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