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2013/07/30

渋谷城の渋谷氏を考えつつ渋谷で猫と出会う

青山にあるITMediaで打ち合わせ。
久々に自転車で出動、
旧滝坂道を走り、道玄坂か宮益坂、さらに青山通りを走って到着。
10kmちょっとだけど、自転車はやっぱ楽しいですな。

打ち合わせを終え、行きと同じ道も芸がないなと青山通りから1本南の青山霊園前の道を走り、青山学院大学なぞをぐるっと大回りして金王八幡宮へ。
渋谷界隈の猫を探しつつ帰宅しようというのが目的。

金王八幡宮。少し高くなった場所にある。X100S
金王八幡といえば、渋谷金王丸で、渋谷城址で、
渋谷城を構えたのは、河崎基家の孫、河崎重国(渋谷重国)といわれてて、
神社の由緒書きにもそう書いてある。
秩父系平氏のひとりが河崎を領有して(今の川崎ですな)川崎氏を名乗り、
その孫が渋谷氏となったのだ。

河崎基家は源義家について奥州征討に向かって功績を挙げ、
武蔵国谷盛庄を賜り、1092年、源義家が金王八幡宮を勧請し、
渋谷氏はここに館を構えて居城とした。
と、神社の由緒に書いてある。
金王八幡宮公式ホームページ

だがしかし、それが本当かどうかあやしい。
まあ神社の由緒なんて古ければ古いほど怪しいんだけど、
それを検証した本がある。

渋谷学叢書という渋谷について研究した本の第2弾。
「歴史のなかの渋谷―渋谷から江戸・東京へ」の中に中世の渋谷について書かれた章があり、そこに渋谷氏について調査した結果が載っており、
簡単にいえば、一部の系図を除いて、当時の資料において「河崎氏」系の「渋谷氏」と武蔵国の関連を示すものはなく、吾妻鏡にも相模国渋谷は出てきても、武蔵国渋谷に関連する話はなく、河崎氏系の渋谷氏がここの渋谷を領していたという伝承は間違いだというのだ。
なんと!

渋谷重国が領したのは、相模国渋谷庄(今でも高座渋谷駅として名が残ってる)であり、武蔵国の渋谷は領してなかったと。
相模と武蔵では国も違うしな。

一応一般的には、相模国の渋谷と武蔵国の渋谷の両方を領していたということで落ち着いているようだけれども、上記の本でそれは否定されたのだ。

じゃあ渋谷に渋谷氏はいなかったのか、渋谷城はなかったのか、
というと、そうではない。
渋谷氏がもう一系統いるのである。
江戸氏である。

江戸氏の系図では、江戸重長(平安時代末期〜鎌倉時代前期)の子供のひとりが「渋谷七郎元重」(まあ、七男の元重が渋谷を領したと読み替えればいい)とあるらしい。
系図だけでは怪しいとしても、
1420年(室町時代)の熊野神社の文書に
江戸氏の一族として渋谷氏(しおやと書かれているがこれが渋谷のことだと比定されている)が登場しているのである。
どうも室町時代に江戸氏系の渋谷氏がいたのは間違いないようだ。

江戸重長の子供が渋谷を領したとすれば、まあ鎌倉時代初期のことかと思う。
源義家には間に合わないが、時代的には近い。

その渋谷城は、
室町時代後期、後北条氏が鎌倉街道を江戸に向かって攻め上がるとき戦いに負けて焼失したとされている。(八幡宮前の八幡通りが鎌倉街道で、鎌倉街道から青山通りに出て東に向かい、江戸城に行ったのではないかと思う)。

河崎氏も江戸氏も秩父平氏系なので同族といえば同族だが、
伝承とはずいぶん違ってくる。
話としては、江戸を領した江戸氏が、
その息子達を江戸の回りの要衝に配したという方がありそうだ。
15世紀に書かれた文書では、蒲田、六郷、中野、阿佐ヶ谷、丸子、鵜ノ木、しおや(これが渋谷だと比定されてる)など、江戸回りに江戸氏の支流がいた。

果たして、渋谷城に居館を持ったのは誰か、金王八幡が勧請されたのはいつか。
金王八幡宮の縁起に出てくる様々な伝承は実際にあったのか。
どこかで江戸氏と河崎氏がごっちゃになったのか。

もし、河崎氏系の渋谷氏が武蔵国の渋谷と無関係だったとすると
「金王丸」の位置づけはどうなるのか。金王丸と渋谷氏の関係はどうなのか、
わくわくして「歴史のなかの渋谷―渋谷から江戸・東京へ」を読み進めたら
その辺はぜんぶ「今後の課題」で終わってたよ。がーん。

ともあれ、金王八幡神社の由緒やその他の渋谷史について書かれた本に当たり前のように河崎基家の子が渋谷を領して……と書いてあったので
高座渋谷との関連はどうなんだろうと疑問に思いつつわたしも本にそう書いてたけど、
そこが揺らぐとなると面白い。

さてどうなんでしょうねえ。
八幡宮の伝承が正しいとすると、江戸氏系の渋谷氏はなんだったのか、ともなるし。

てなことを考えつつ、猫1匹発見。
さらに鎌倉街道を並木橋方面に向かい、
XZ-10。猫の後ろが旧東横線高架。立ち入り禁止場所なので猫も余裕。
JRを越えてまた1本裏の道にはいってうろうろして、
全部で7匹の猫と出会うことができたのでありました。
XZ-10。鉢山町で。飼い猫らしくしばらくじっとしてたら警戒心を解いてくれた
その後、鉢山町から西郷山公園を抜けて三茶→世田谷通りと辿って帰宅。

自転車で動き回るとあれこれ寄り道できるのがいいんだけれども、
あっという間に何時間もたつのがいかんですな。
最短距離を走れば40分くらいで帰宅できる距離なのに。

寄り道をたくさんした分、総走行距離は27kmくらい。

帰宅して次の仕事に取りかかろうと思ったらHDDが心許なく、
とりあえず各種データを全部バックアップしてたら時間がなくなる。
やばい。



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