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2014/05/02

[デジカメ]D600と12-24mmをもって亀戸を歴史散歩&撮影散歩

GW前に修理に出したD600が仕上がったと連絡があったので新宿のニコンサロンへ。
ローパスフィルターを点検・清掃、シャッター基板部組(シャッターユニットですな)を交換、さらに作業場外観ゴムを交換しましたってことで、まあ、「ほぼD610」になったと思っていいかと。D605くらいにはなったか。
これで安心して使えます。
D600ユーザーはぜひ。

で、もちろん即試し撮りである。
持っていったレンズは先日購入したシグマの12-24mm/F4.5-5.6とAF-S Nikkor 50mmF1.8の2本。
考えてみたら、フルサイズ用の標準ズームレンズを持ってないのだった。ひでー。
その辺はAPS-C用で揃えちゃったからなあ。

どれか欲しいんだけど、
ニコンの24-85mmは安くて軽いけど写りがイマイチだし、24-120mm/F4は高いし、シグマの24-105mm/F4は重たいし。その辺で悩み中。
まあ重たいのは我慢するか。手持ちのDXレンズを下取りに出せば多少は安くなるだろう。

まあとりあえず超広角を楽しんでみるのだ。
いやあフルサイズで12mmだとそのまんま12mmで、このくらい派手な広角っぷりなのだ。この価格でこのクオリティでこの画角が楽しめるなんて素晴らしい。
一度試してみる価値あり。



で、天気もいいので総武線に乗って東へ。
亀戸天神の藤まつりを一度除いてみたかったので、
錦糸町まで行ってそこから亀戸天神へ歩く。


藤はちょいと遅かった。残念。意外に旬は短いのね。
でも好天に恵まれて観光客参拝客多し。
老舗の船橋屋(くずもちで有名)にはもう大行列。
ここで甘味を楽しむにはシーズンオフを狙わないとなあ。

亀戸天神 太鼓橋の上からシータ。アオサギやスカイツリー付 - Spherical Image - RICOH THETA

亀戸天神ついでに、このあたりの古社を回る。

亀戸のあたりはもともと「亀島」という島だったのだという。
低地なので縄文時代は海。
その後、平安時代〜中世には陸地が広がったものの
低地を流れる大河がしょっちゅう暴れ、湿地帯や池だらけで
その中でいち早く安定した陸地となった微高地な島に
「亀島」やら「牛島」やら「向島」なんて地名がついた。

亀戸天神のあたりはたぶん浅い海だか河口だかだったろう。
亀戸天神自体は1646年に創建したもの。
でも亀戸天神よりちょっと北へ行くと、
中世以前に由緒を持つ寺社が集中して現れる。
その辺より北に島状の土地があったのだ。

神明宮←今日は行きそびれた

香取神社←藤原鎌足(中臣鎌足)が東征の折に勧請したというがそれはさすがにアレ。でもちょっとした高台で中世には存在してたもよう。このあたり、香取神社がたくさんある。香取神社はそもそも関東を代表する古社で、下総国の一宮で、亀戸あたりは江戸時代半ばまでは武蔵国ではなく下総国に属していたので、香取神社が多くあっても不思議は無いのだ。


普門院←けっこう荒れててしぶいお寺。1616年に現地に移転。まあ江戸時代初期にはあったのです。

石井神社←もとは石神社で、石棒がご神体だったらしい。「江戸鹿子」によると、高台にある石棒を祀ってある神社とあったようで、創建は不明だがかなり古くから陸地だったと思われる。

高度成長期の地盤沈下などでどこが微高地だったかさっぱりわからなくなってるけど。

さらに北十間川を渡ると、吾嬬神社がある。

吾嬬神社→日本武尊が東征の折、走水から房総半島へ渡ろうとしたが海が荒れていて渡れず、弟橘姫が海に身を投げたところ静かになって房総半島に渡れた、というお話が古事記や日本書紀にあるけれども、そのとき弟橘姫の遺品が流れ着いたという伝承を持つ神社が実はけっこうある。ここもそのひとつ。日本武尊が東征を終えて帰ろうとするとき、振り返って「あづまはや」と嘆いたのが、東国を「あずま」とよぶ語源となった、的な話になっていて「あづま」と名が付く山や神社はだいたいソレ系。往古は吾妻の森などと呼ばれていてちょっとこんもりとしてたらしい。


地図で見るとこんな感じ。


さらに水神さま経由で亀戸駅へ。

隅田川の東って、ゼロメートル地帯的な低地で江戸時代以前は海か湿地という印象だったのだけど、歩いてみると、確かに亀戸あたりは微妙な起伏があったり
島だったころの伝承が残っていたりと歴史的にも面白い。
穴場ですな←なんの?

にしても、最近、ミラーレスばかり使ってたから
D600+12-24mmなんて構成(850g+670g=1570g=1.57kg!)で歩くと重くてしんどいわー。
いかんですな。
もっと重い機材(D4+大三元レンズとか)をもって歩いてる人々を尊敬いたします。


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