ふたりはご近所、ひとりは輪行、わたしは家から7kmほど自走。
集合前、
コンビニで補給食と飲み物買ってたら
突然女子から声かけられまして、
振り返ったら橘ネロリ嬢ではないですか。
おおひさしぶりー、というわけで、ちとびっくり。
なんか可愛くなっておりました。
猫ヨガへ行く途中だったんだそうな。
猫ヨガとは……詳しくは下記をどうぞw
→猫ヨガ行ってきた!|橘草子
で、我々は多摩湖を目指すのであった。
夏に、多摩湖までサイクリングしたいので先導してくれといわれたのがそもそものはじまり。
柴崎から佐須街道、青渭神社前を北上してそのまま野崎八幡宮に向かい、
新武蔵境通り(という名前がついてた)を井之頭通りまで北上する。
新武蔵境通りがひどかった。
歩道がめちゃ広くて、そこに自転車レーンが用意されてるのだが、
すごく走りにくいのだ。
じゃあ車道に出るかと思うと、
車道の幅がギリギリで
ひとりならえいやっと走っちゃうけど、
初心者がまじってる四台組なのでそれは避けたい。
なんというか、ママチャリを安全に走らせることしか考えてない
一世代前の作りなんだよなあ。
今は、本来の「車道の一番端を自転車専用道にする」のが主流のはずなんだが。
歩道の自転車レーンってあくまでも歩道なので「歩行者優先」の上に
逆走もできるのだ。結局歩行者や逆走自転車に気を使うことになる。
逆に車道の自転車レーンは歩行者も入れない自転車専用道になる上に
逆走もできないので(車道だから)安心して走れる。
その違いは大きい。
困ったもんである。
それはともかく、なんとか井之頭通りに出て多摩湖自転車道へ。
知る人ぞ知る、まっすぐな道。
多摩湖から渋谷への「水道道路」なのだ。
地下には水道管が埋まってるのでまっすぐなのであり、
その上をまっすぐ走って行けば多摩湖にイヤでも辿り着くのである。
まあここは何度も走ってるので気楽に、
スピードを上げすぎないよう気をつけつつ、
面白そうなポイントで止まりつつ
(街歩き仲間なので、立ち止まりたくなるポイントが一緒なのだ)
適度に休憩しつつ
一路、多摩湖を目指す。
途中庚申塔発見。 |
自転車道だけど「歩行者優先」です。 |
玉湖神社へ。
ここにある「狭山富士」(多摩湖を作ったときに建設された人造富士)へ行きたかったのだ。
狭山富士から見た富士山。Lightroomの「かすみの除去」使用 |
なんとか低木をかきわけて登頂すると、
遠くに富士山が!
雲が出てたので諦めてたんだけど、
ありがたやありがたや。
お昼はあらかじめ予約してあった狭山湖近くのイタリアンへ。
埼玉県である。
午後は狭山湖をちょっと見学してから
自転車4台記念写真。 |
多摩湖自転車道に戻り、終点へ。
雲が出て涼しくなってきたなと思いきや、
またもや富士山がほどよい逆光できれいなシルエットを見せてくれて僥倖。
いやなんというか、雲が多くて諦めてたのでびっくりだわ。
多摩湖と富士 |
ちょっと東に向かって、正福寺へ。
ここ、鎌倉街道に近く、鎌倉時代創建と伝わる古刹。
すごいのは、古道沿いに立っている国宝の地蔵堂。
これ、
無造作にたってるけど、
1407年建立なのだ。室町時代である。侘び寂びより前の時代である。
鎌倉の円覚寺舎利殿の様式をそのまま踏襲しているそうであるが、
室町時代の建築物が残ってるというだけですごい。
しかもカッコいい。必見レベルです。
室町時代の建物ですよ。しかもめちゃカッコいい。 |
何しろ室町〜戦国時代は、関東地方は内乱に次ぐ内乱で
だいたい戦火で燃えちゃってるのだ。
その中で鎌倉街道近くなのに残ってたのは僥倖。
いやあ観に行ってよかった。
境内には14世紀の巨大な板碑も。
これ、でかいので江戸時代は「橋」として使われてたらしい。
今思えばなんてもったいない、なのだが、
江戸時代的には「板碑なんてそこらじゅうに転がってる便利な石の板」に過ぎなかったのだ。
中世ついでに、府中街道(このあたりはほぼ鎌倉街道)を南下して「九道の辻」。
江戸道・引股道・宮寺道・秩父道・御窪道・清戸道・奥州街道・大山街道・鎌倉街道の九本がこの辺で交わってたらしい。さて今はどう見ても七叉路である。
当時はどうだったんでしょうねえ。
九道の辻。 |
確かに9本ある。ではどれがどの道だったか。
南北に抜けているのが鎌倉街道。
江戸時代は基本的に「行き先」を道の名として使ってたので、
1.が鎌倉街道ってことでいいだろう。
2.は方向的に大山街道か。どっかで他の大山道と合流するか。
3.はちょっとわからない。宮寺という地名は「入間市」にあるようで、箱根ヶ崎から入間の宮寺につながる道が今でも「埼玉県道・東京都道219号狭山下宮寺線」というようで、3.の道を延ばすと箱根ヶ崎にぶつかる。ってことはこれが宮寺道かも。
4.は方向的に秩父かなと。ただこの道、どう考えても思い切り狭山丘陵にぶつかるのが気になる。それなら素直に北上して所沢経由の方が道として筋がいい。
7.は清瀬市の清戸の方向なので、清戸道でよさげだが、志木市の引又宿もこの方向である。引又宿は野火止用水(2から7の道沿いの用水路)の終点にあたるそうなので、引股道が正解か。
6.となると、清戸道は6しかあるまい。北に向かい、東村山あたりで右に分岐していく道が清瀬の清戸を通っているからだ。
9は今でも「江戸街道」とあるので、江戸道だろう。
さて残るは、5と8。
奥州街道ともなると行き先が遠すぎてどっちのルートでもいけそうだし。
御窪道がどこへつながる道なのかによる。
5.は鎌倉街道の支道ともいわれてる道(正福寺の前に出る)。
江戸時代に「奥州街道」と名づけることはまずない(もっと近くの目的地を街道名にするはず)だろうから、往古の奥州道だったという伝承が元になってると考えると、5.が妥当か。
残る8.は御窪道ということになる。明治末期の地図を見ると、少し東に「柳窪」という地名がある。細い道のようだし、ご近所の生活道と考えれば柳窪を指すと思っていいかも。
さて推測は合っているか。3〜8あたりが特に自信なさげです。
御窪道だって、西にある芋窪を指してるんじゃないかといわれたら考えちゃうし。
それはともかくとして、
そして駅前の手紙舎でお茶して解散。
総走行距離は約70km。
いやあ久しぶりに遠乗りしたわ。
こんだけ走ると疲れるけど気持ちいいですな。
作例はあまり撮れなかったけど。
まあナントカしましょう。
今日の柴崎駅から多摩湖一周して戻ってくるまでのログを
GoogleEarthに貼り付けてみたのがこちら。
やっぱ遠乗りは楽しいですな。
八坂の九道の辻を調べてて辿りつきました。諸説ありますが、小平市のはあきらかに違いますよね。私見を作成中です。
返信削除