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2016/04/30

イリューダから石垣山一夜城の記

中村明日美子の「鉄道少女漫画」に「彼の住むイリューダ」という短編がある。入生田だとローカル線の駅そのものだが、音にするとイリューダと聞こえる。その響きが遠くの惑星のようで、という他愛ない話なのだが、一度行ってみたいと思っていたのである。

山城を歩く会で石垣山一夜城を訪ねようとなったとき、
イリューダも行きたいと主張したところ、
一夜城は入生田側から登って早川側へ下りるのがお勧めと
神奈川在住のI氏が言ってくれたことでトントン拍子、
晴れて決行となったわけである。

石垣山一夜城は早川駅から向かうのが一般的だが、
地勢的に見れば、当時はイリューダから上ったはずであり、
当時の石切場(石丁場)も発掘されている。
それが正当な道なのだ(たぶん)

小田原駅で弁当を買い、箱根登山鉄道で入生田へ。
地球博物館前で待ち合わせて
4人で石垣山登山である。

位置関係はこんな感じ。

1590年、豊臣秀吉軍が小田原城を攻めたとき、本陣を置いたのがこの石垣山一夜城。
短期間で石垣を擁した城を構築し、小田原城北条氏を威圧したので有名な場所であり
上野地図を見ると、確かに小田原城を攻めるにはよい場所なのだ。

細かく書くのが面倒なので当日の行程を写真で。
箱根登山電車 イリューダ。

石垣山へ登るの図
関白沢の石丁場跡鑿の跡。
やがて、
石垣山一夜城に到着。
半分崩れてる当時の石垣は野面積み。
旧城道

山の上。本丸のすぐ下にある二の丸跡。観光客も多くなくて素晴らしい。ここでべんと。

石垣山から早川港方面を望む。

ジャコウアゲハ。
山頂で弁当を食べ、みながくつろいでいるところ、
わたしはレビュー用作例撮り。

ヨロイヅカファームでちょっと休憩して早川方面へ下山。
イリューダから登り早川方面へ下るメリットは2つ。
ひとつは「眺望」。小田原方面を一望しながら下りられるので気持ちいいのだ。
ひとつは「街」。イリューダへ下りると小田原まで電車で出ないと珈琲も飲めないが、早川なら店もあるし、小田原まで歩けば食事場所も選べる。

眺望を楽しむ面々
漁港と言えばネコ!
早川で一息つくかと思いきや、
みなまだ歩けるといい、小田原へ向かうことに。
途中、小田原城総構の一部、土塁跡に立ち寄る。
早川口遺構。小田原北条氏の総構の一部
まだ部分的に残っているのだ。
小田原城幸田門跡猫
そして駅前で海鮮の丼を食って
小田原駅からロマンスカー。

GPSログをカシミール3Dへ。

よく歩いたよい休日でありました。



2016/04/29

晴れた日は自転車で。

つるばみ舎でパンケーキ
駒沢給水塔
蛇崩川駒沢支流暗渠
駒澤大学
aditoでお茶
わたしは作例なぞを撮りつつ。



2016/04/28

下見の日。次回の「東京古道散歩」は5月7日です。

カレンダーを眺めたら、
あ、GW突入じゃん、やばい、予定があれこれはいってて、
次回の東京古道散歩下見に行けるのが今日しかない!
ということになり、
朝から板橋区の赤塚へ。うちからだといったん池袋まで出て東武線で下赤塚。

持っていくカメラは散歩の友「DMC-TX1」と
レビュー用に来てる「GX7MK2」。パナパナコンビ。

下赤塚駅で降りて、とりあえず軽く飯喰うか、せっかく普段こない土地へ来たのだから、チェーン店じゃなさそうなとこがいいな、と入ったのが牛丼屋。
「神戸屋」という名前がチェーン店っぽいのだけど、
なんと家族経営のお店なんだそうで、
でもお値段は高くない。ファストフードレベルの価格。

すげー。
店内高低差もなかなか楽しい。
古道散歩本番の日もここで牛丼食うかとちょっと思う。

飯を食ったら散策。
鎌倉古道を辿りつつ大堂や松月院などへ寄り道しつつ
赤塚城下にある板橋区の郷土博物館へ。
ここであれこれ調べ物し、資料を買い、
在庫がないものは該当箇所をコピーしてもらう。
板橋の古道って冊子の在庫がないのだ。まあ以前訪れたときも同じように
コピーしてもらったのだけど、そのコピー、紛失しちゃったのです(泣)。
ここで時間をくってしまった。
でも地元の学芸員が調べた資料って大事なのである。
案の定「この鎌倉古道とされている道、この先はどうなっていたんでしょうねえ?」「そこは練馬区になりますからわたしどもには……」というわけで
まあいつものことです。

赤塚城からは、氷川神社、青蓮寺と経由し、白子川を渡って吹上観音へ。
もう時間切れかと思ったら、総門が空いていたので中にはいり
あれこれてみると「どこから入ったの?」という怖い声が。
どうも、わたしがはいった直後に閉門時間となり、
中に誰かいるとは思わず門を閉めちゃったらしい。
やばかった。

で、西高島平駅から帰宅。

まとめるとこんな感じ。


連休最後の土曜日、2016年5月7日は「新潮講座 東京古道散歩」の日です。
まだ申し込みは間に合いますので、興味ある方、時間がある方はぜひお越し下さい。
講座詳細 | ヨム・カク・ミル・シル 新潮講座 SHINCHO CHAIR | 新潮社


2016/04/26

江古田散歩と中野区歴史民俗資料館

インプレスで仕事の打ち合わせ。
昼過ぎには終わったので
作例撮りがてら散歩に。

大江戸線で新江古田。
そうそう、江古田ってつい「えこだ」と読んじゃうけど「えごた」なんだよねえ。
目的は2つ。

ひとつは、江古田-沼袋間にある
江古田原沼袋の合戦(太田道灌軍と豊島氏の戦い)の史跡めぐり。
氷川神社や豊島塚跡。

もうひとつは「中野区歴史民俗資料館」訪問。
歴史民俗資料館 | 中野区公式ホームページ
ここ、
江戸時代の名主「山崎喜兵衛」宅であり
「江戸近郊道しるべ」の「石神井の道くさ」で
醤油を作ってる山崎喜兵衛の名前が出てくるのだ。

で、興味があったこと。
山崎喜兵衛は明治になって醤油造りはやめちゃったようで、残念。
でも運がいいことに、庭園を公開してた。


山崎家の庭園でシータ #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
もうひとつは、古い知り合いがここで働いてることを先日知り、
挨拶にいきたかったのである。

無事、
江古田氷川神社、須賀稲荷(ここ、豊島塚のひとつが合った場所らしい)

山崎喜兵衛宅(山崎家は現存で、庭に屋敷稲荷があった)
丸山塚公園(ここも豊島塚のひとつ)、
沼袋氷川神社(太田道灌が陣を敷いたといわれる場所)

と散歩。
あ、お経塚に行き忘れた(泣)。すぐ近くだったのにー。
再訪せねば。

豊島塚は江古田原沼袋の合戦で敗れた豊島氏の戦死者を葬ったといわれる塚の総称。
まあ、史実かどうか、単なる円墳だったんじゃないか、とかいろいろあるけど
中世に作られた塚もけっこうあるので信憑性はある。





2016/04/25

バックアップは裸族を愛用

今日は仕事は少なめにして
その分、大バックアップ大会。
久々に全HDDのバックアップをとる。

ベアドライブを「裸族のカプセルホテル」につっこんで
そこにバックアップである。
「裸族のカプセルホテル」は4階建てなんだが、
それぞれに電源スイッチがついてるのが素晴らしいのだ。
2つを常時使い(ひとつはTimeMachine用)
残りをバックアップ時にしてるのである。



2016/04/24

仕事の日

おうちで地味に仕事をする日。
e-mansionの連載記事をなんとか書き上げてメール。

2016/04/23

YPJ−Rにまたがって調布から府中へ走って帰ってくる日

悪天候かと思いきや、曇ってはいるものの悪くない天気。
こういう日は自転車に限るな。

というわけで、
YPJ-Rにまたがって調布へ。
調布市文化会館たづくりで「ピンホール(針穴)写真展 やわらかな光、ゆるやかな時間」なのだ。ここに友達の針穴写真家も出品してるのである。



で、1番面白かったのが「針鉄」シリーズ。針穴写真と鉄道という、運転席後ろに針穴写真機を立てて撮ってるんだけど、針穴は針穴なので露光時間が長いのだ。それを生かして、車内はシルエットで、車窓は流れ、という針穴写真的にはかなりユニークな視点で撮ってて、さすが鉄道好き。鉄子。

針穴写真展でシータ #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
調布を出たら、ちょいと府中方面へ。
旧甲州街道の1本南の古道を走ると途中、左手に神社右手に屋敷稲荷発見。

気になるが特に何も情報なし。

旧甲州街道を走ると道沿いに寺社がちらほらと見えるが、
それぞれの解説板を見ると、染地、常久、
どれも戦国時代から江戸時代初期に
多摩川の洪水によって街道沿いに遷座した旨書いてある。
調布から府中あたりの甲州街道沿いの集落や神社ってみなそうなので、
往古の集落や街道(品川道)は甲州街道より南にあったというが
その傍証みたいなもので、洪水をきっかけに幕府によって街道沿いに
移転させられたんじゃないかと思っている。


東府中の直前で右折。
狙いは米軍の府中通信施設跡。
巨大な廃パラボラが目印。
浅間山から見えるパラボラを楽しんだ後、
施設跡回りをぐるりと見学しつつ、
民家を気にしつつ、廃墟撮影。



そうこうするうちに日が暮れそうになったので
慌てて人見街道を東へ走り、あいそうら橋から野川へ。
野川沿いはスピードを出せないので古八幡前の道をぐわっと走り、
以前から気になってた虎狛神社裏手の暗渠道を経由。
自然河川(あるいは野川旧流路)の一部をのちに用水路として利用した跡か。
真新しい子育て地蔵尊発見。再建とあったので、元の地蔵は?と探したら
裏に残っておりました。



三鷹通りを南下して国領神社へ。
千年藤の様子を見るも、まだこれから、やはり満開はGWあたりですな。
満開の頃に再訪するヒマあるかな。

そのまま甲州街道を走って帰宅するのもつまらんので
南下して品川通り、さらに古地図を見ると慈恵医大第三病院が分断した古い道を発見。
それをぐわっと喜多見に向かい、
いつもの不動坂を上って帰宅。

写真を撮りつつ、電動アシストロードを楽しむというそんな36kmでありました。
疲れたー。電動アシストロードでもちゃんと運動になるってば。




2016/04/22

テレビ録画用HDD買ってトリセツみながらつないだ日

ITMediaにヤマハのYPJ-Rの記事を書いてメール。
複数回に分散して書いております。ロードテスト風に。
GW前に掲載されるらしい。

続いてe-mansionの連載を書きはじめるが
うーむうーむとなって中断。
どうも思ったような流れだと長くなりそうなので
ちょっと構成を変えることにする。
Webの記事っていくらでもだらだら書けちゃうので
必要な内容や長さのバランスを自分で考えて
自制しなきゃいけないのだ。

大事なのは、書きたいことを書く、じゃなくて
「伝えるべきことを伝える」であるから。
書きたいことを書く、なんていってるうちはまだ素人です。

バッファローのテレビ用なる外付けHDDが届く。
ソニーのBDレコーダーの内蔵HDDがカツカツでヤバくなったからである。
USB接続のHDDなら何でもいいんだが、
以前、スカパーチューナーにNASをつないで録画してたらHDDがトんで
中身が失われたことがあったので(やっぱ普通にバックアップとりたいわ)
数千円高くてもAV用に設計されてる「高信頼」ってのがいいかなと。
ときどき「中で使ってるドライブはWDやSeagateのなんだから一緒やん」という
人もいるけれども、
外付けHDDの場合、
製品によって電源回りや回路の安定性や放熱、
静粛さに差が出るわけで、
「中のHDDしだいやん」というのはちと早計なのだ。

経験上、外付けの場合、ドライブ自体より電源回りのトラブルの方が多く、
メーカーが24時間連続録画対応といってるのならそれなりに
配慮された設計になってると判断できるわけである。
でもあまり高いのに手を出す気にはならないので、
これ。
ドライブステーション ターボPC EX2 Plus対応 USB3.0用 外付けHDD : HD-LLU3-Eシリーズ | BUFFALO バッファロー


つなぐ先はソニーのBDレコーダー。
家電製品はパソコンよりある意味ややこしいので、
トリセツを見ながら丁寧につなぐ。
トリセツ - 家電の取扱説明書とレビュー記事を手間なく一元管理

このアプリが超便利。
自分が持ってる機種名を入れると、それが登録され、
iPhoneで取扱説明書やその製品についての様々な情報を読めるのだ。
トリセツ側に未登録の機種だと、中の人が対応してくれるのである。
今日の手順はこんな感じ。
いやあ、家電のトリセツって普段は見ないからどっかにしまい込んじゃうのが普通で、
それをiPhoneでさっと引っ張り出せるのは超便利。
このアプリ作ってるのが知り合いの会社で、
「こういうの作ったから使ってみてよ」という感じでいれてみたら
手放せなくなりましたというアレです。






これはすごくよいのでみなさまも是非。








2016/04/21

地震の勉強会……的な日

ascii.jpに猫連載を書いてメール。

夜、都内某所で地震についてのプチ勉強会。
大学院で災害について研究していた某氏が解説してくれる。
ありがたや。

阿蘇のあたり、未知の活断層と言われてるけど、
あの辺は溶岩や火山灰が地表を覆っているので活断層が表から見えないという話で、
布田川断層がもっと長く続いてたんだろうなと思いつつ聞く。

そうそう、ソニーセミコンダクタの熊本テクノロジーセンターって
震源のあった益城町に隣接してるのね。
あんなに近いとかなり揺れたろうから、復旧が大変そう。
生産拠点一覧|会社案内|ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社

NikonはすでにCOOLPIX新製品(A900とか)の延期を発表したけれども、
他社の5月以降のデジカメ新製品群にもいろいろと影響を与えそうです。


2016/04/20

Nikon DL延期!&馬事公苑で馬と八重桜の日

Nikon DL発売延期のプレスリリースが来た。
ああ、
熊本被災の影響かと思いきや、
まあおそらくはそうであるのだが、
Nikon DLに関しては画像処理チップに問題が発覚したので
発売日未定に逆戻りという残念なことに。
けっこう期待してただけに哀しい結果である。
多少遅れても良いものを出していただけたらと思う。
期待しております。

当方もちょいと影響を受けたわけで、
昨夜、とある編集部から
5〜7月に出るデジカメ新製品5機種にコメントをといわれて
書いた中にNikon DLが含まれてたのだ。
これが発売日未定になるってことは
他のカメラに入れ替えなきゃ行けないわけで
他の候補を出したりなんやかやとバタバタする。
とほほー。
ニコン、コンデジ発売を相次ぎ延期 プレミアム「DL」は発売時期「未定」に - ITmedia ビジネスオンライン

ともあれ
予想外にきれいに晴れたので
本日返却する予定だったα6300の追加作例を撮るべく
慌てて馬事公苑で馬と八重桜。

α6300のロックオンAF+拡張フレキシブルスポットはすごいわー
ちゃんと追いかけてくれるわ。
もっとゴツいボディにしてスポーツ向けミラーレスって感じにしてもいいくらい。
でも、α6000の倍の価格なんだよなあ。


これだけDMC-TX1

で、α6300のレビューを書いてメール。

2016/04/19

DMC-TX1の一番の欠点をなんとか補う

ちょっと仕事に余裕ができたので
久しぶりに都内某大学某研究室の「くずし字勉強会」に顔を出し、
くずし字と格闘する。
「変体かな」アプリと
くずし字学習支援アプリ「KuLA」の2本は欠かせない。

さて
パナソニックのDMC-TX1は
広角から望遠までさくっと撮れる
実に役立つ常用コンデジなわけで、
でかける時はいつもバッグに入れてるわけだが(だいたいこれとTHETAはいつも持ってて、あとはその日のお出かけ具合でE-M1が加わる)、
2つだけ欠点がある。
ひとつはレンズが暗いこと。当たり前だけど、F2.8なのは広角端だけで
それより伸ばすとどうしても暗くなる分ISO感度があがり、絵が荒れる。
そもそも1インチで2000万画素ってちと多い。
もうひとつは
使ってるといつの間にか「AFポイントが右上の隅」に設定されてること。
なんでだろと思ってよくみたら、
原因はこれだった。
わかりますかな。

右手でグリップしたとき、親指が画面の右上隅に触れちゃうのである。
で、このタッチパネルときたらけっこう敏感な上に、
画面の隅の隅までタッチAFが効いてくれるので
きがついたらこうなってるのだ。
ああ。
何がいけないか。
普通このクラスのカメラになると、
背面に「親指を置く凹み」が用意されてる。
あるいは親指をそこにおけるようゴムだか樹脂だから置き場を作ってある。
でもTX1はそれがないので、親指が動いてここを触っちゃいがちなのだ。

どうすれば対処できるか。
まあ親指置き場を作れればいいんだが、サムグリップをつけるのも難しいし
アクセサリシューもない。

では本体前面にグリップをつけてやったら、そこに中指と薬指がひっかかって
安定するから親指ももうちょっとリラックスできるんじゃないか。

でもTX1用のグリップなんてない。
そこで寸法を測り、ナントカこれならイケるかなってことで買ってみたのがこれ。

flip bacシリーズの一番小さいヤツ。
TX1は前面のグリップ部が少し飛び出てるので小さいヤツじゃないとつけられないのだ。
とりあえずつけてみたが、
具合がよくない。グリップしやすくならない。
そうだ、上下逆につけたらどうか。

見た目はちょっとアレだけど、そうするとよい案配ではないか。
ちょうど指がひっかかってくれる。

これならグリップも安定するし、
グリップが安定したら親指もうろちょろしなくなりそうであり、
ちょっと使ってみたところ、確かに悪くないのである。
しばらくこれで運用してみよう。


2016/04/18

電動アシストロードでよみうりランド越えの日

YPJ-Rで走る日。
そろそろ遠出でもするか、ってんでYPJ-Rで走る。
まずはピューっと登戸へ。
登戸・生田緑地あたりで作例撮り。

そこから津久井道(つい旧道へ入ってしまうのはサガ)、
で、よみうりランド前駅から
ランド坂を上ってよみうりランド峠を越えて北に向かうのである。
いやあ、電動アシストロードで峠越えって快適だわ。
予想以上にあっさりのぼれた。

で、面白いことに、実は
このよみうりランドを超える坂って、遅くとも江戸時代にはある古道だったのだ。
まあ細かな道筋は帰られてるけど、迅速図を見るとよくわかる。

まずは今日のログ。こうして峠を越えたわけである。
GPSトラックをはぶいてみると、
確かにこの峠を越える道が描かれているのだ。

津久井道と府中道(川崎街道)を結ぶ連絡路であり、
実はこれをさらに北に向かうと、矢野口の渡しがあるわけで、
そこから品川道経由で府中につながっているから、
このあたりの集落から国府へ(武蔵国橘樹郡なので、国府は府中なのである)
連絡する峠越えの道だったのだろう。

津久井道から二枚橋を渡って道が分岐するのだが、

二枚橋は源義経伝説が残ってるし、
分岐点には庚申塔群も残っているし、
峠を越えた北側も
戦国時代創建の古刹や
江戸時代の地蔵尊が残っている。
ランド坂は古道だったのだ。

実はここの少し西側の道(今はゴルフ場で失われてるけど)が
鎌倉道といわれており、
中世には峠越えの道が並行して2本あったのか、
江戸時代にこちらへシフトしたのかはわからん。

で、峠を北に越えたら、川崎街道(府中街道)の旧道へ入り、
途中、「北ふちう道、西八王子道、東河崎道」という道標へ。
地蔵堂の脇に立っているのが馬頭観音兼道標だ。

「北」(地蔵尊前の道)が多摩川の渡しへの道。
府中へ向かうにはそのまま是政の渡しがポピュラーかと思ってたが、
確かにここで多摩川を渡っちゃった方がちょっと近いかもしれない。

このあと稲城大橋を渡り(一度ここを渡ってみたかったのだ)、
超久しぶりに多摩サイにはいって
延々と走って帰宅。

ふはー。疲れたけど、35kmくらいなんだよな。
数年前までは50km以上平気で走っていたのに
年をとったもんです。