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2017/05/02

走水・観音崎散歩の日-走水で古代に思いを馳せる編-

GWらしいことをするかと妻と京急に乗って三浦半島へ。
馬掘海岸で降りてバスで走水へ。
味美食堂で地魚のランチを食べよう、
という名目で、
実は走水神社へ行きたかったわたし。

古道好きとしては行っておかねばならない走水。
初代の古代東海道はここを通っていたのだ。
都から東に向かった古代東海道は鎌倉を経て、
三浦半島を横断して走水へ達し、
ここから船で房総半島に渡っていたのである。
すごいね。
相模国の走水から房総半島の上総国→下総国→常陸国というルートだったのである。
で、東京のある武蔵国はというと、東山道に組み込まれてて
上野国(群馬県)から南下してたのだ。

走水は古事記・日本書紀の双方の日本武尊東征譚で出てくる場所。
古事記と日本書紀では日本武尊に関する物語がずいぶん違っているが、
共通するのは「走水から上総国へ海を渡った」こと。

海を渡ろうとしたが荒れていて渡れず、
弟橘媛命が身を投げて海を沈めたという伝説で有名なのである。
だから走水神社の祭神は日本武尊と弟橘媛命。
確かにこの辺は房総半島が近い。
肉眼でも房総半島の工場地帯がはっきり見える。

参道を拝殿前まで上るとさらに絶景。


対岸が工場群ってところに風情があるようなないような微妙さは漂うけど、古来から使われてた航路なのだ。

本殿脇から更に上へ上ることができる。
本殿は斜面の途中に作られているのだ。
さらに上ると碑やら神明神社やらと出会うのだが
注目は稲荷神社跡地。

そこ、日本武尊が祈願した稲荷の跡地らしい。
走水神社より古い神社がそこにあったとか。

もちろん日本武尊が実在したのか、
その東征がいつのことだったのか
(さすがに西暦110年では弥生時代だし)
ツッコミどころはあるのだが、
少なくとも、そういう伝承の元になった、
たとえば
大和朝廷が東国の国々を征服するために
その軍団がここから渡海して総の国(ふさのくに)へ攻め込んだ
という事象はあったのだろう。
そのときすでに神社あるいはその原型があったのだ。
地形的にも古くから集落があっても不思議はない場所だしな。
走水神社境内からそんなことに思いを馳せつつシータするのであった。


念願の走水神社でシータ。 房総が近い! - Spherical Image - RICOH THETA

古い神社を参拝したら本殿の裏手を覗け、
は鉄則。
裏へ回ってみると、おそらくは社殿のために削られた崖。
崖は何カ所か彫られており、
そのひとつが水神社である。湧き水が合った場所なのだ。
ますます神社向き。
まさかこんなポップな河童が出迎えてくれるとは思わなかったけどな。


でも建前上の目的地は走水じゃなくて、観音崎。
そちらは次のエントリーで。


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