ページ

2017/06/10

「東京古道散歩」+寄木神社で鏝絵の日

東京古道散歩の日。


JR大森駅北口集合。
古代道路発掘の碑→日枝神社→大森不動尊
山王橋跡→暗渠→大森貝塚遺跡公園でモース
鹿島神社→光福寺→大井の井→西光寺
大井三つ叉→庚申堂(跡。建て替え工事のため今は更地)→大井町駅
ゼームス坂→ゼームス邸跡→品川銀座
天龍寺→願行寺のしばり地蔵→荏原神社→境橋(品川橋)→品川富士→品川神社
で解散。

距離の割に立ち寄り先が多くて
品川の古刹系はかなりスルー。

品川宿は江戸時代に東海道の宿場町として発展したのだが
中世には港町として賑わってた。
品川宿にある古社古刹はその頃のものが多い。
鎌倉時代創建の寺が普通に残っているのである。

有志7名で
うなぎのねどこに立ち寄って田邊さんにお勧めランチを教えて貰い、
パスタなどを食べる。
食後、時間があるという5名でおまけ散歩。
品川宿を歩くか目黒川旧河道沿いを歩くかと提案したら
目黒川がいいという声があり、
ならばあそこへ行かねばなるまいと
目黒川旧河道沿いにある寄木神社へ。

寄木は「日本国語大辞典」によると
水辺に打ち寄せられた流木。
社伝では、日本武尊が走水から房総半島へ渡った際の船の一部が品川に流れ着いたのでそれを祀ったのだという。
中世の頃何らかの流木が日本武尊伝説にちなんでご神体として祀られたのだろうか。
根拠はないけど。

旧社地は南品川。
江戸時代になり、現地へ漁師町が移されたとき一緒に遷座されたとか。
もともと品川湊は交易の要であり漁師町であったところ、
江戸時代に東海道が通され、宿場町として整備される過程で、
漁師たちは目黒川河口の砂州に移転させられたのだろう。
源義家が奥州征伐の折立ち寄って、奥州平定の帰途兜を奉納した伝説もあり。

この神社の本殿は、石造りの蔵。江戸時代のもの。
この蔵に江戸時代末期から明治時代の有名な左官にして鏝絵師の「伊豆の長八」による
鏝絵がある。
漆喰の鏝絵に絵の具で彩色したもの。
非公開なのであるが、
数人で観に来た我々を見つけた神社の方が拝殿を開けて
中を見せてくれたのである。

素晴らしい。
屋外にある鏝絵と違って保存状態がよく(昭和58年に剥離防止の処理をしたらしい)
絵の具の色も残っている。
左が天照大神と天鈿女命。右は猿田彦命。
天鈿女命のおっぱいが黒ずんでいるのは
江戸時代、村の女たちが乳の出がよくなるようにと願ってさすったからだという。

ああ、こんなよいものを見せてもらえるのなら、X-T2かE-M1 MarkIIを持って行くんだった。荷物を軽くしたいのと講師をしてると写真を撮れないので、
ZR4000だけだったのである。

品川には時宗の善福寺にも立派な龍の鏝絵が残されているが、
こちらは雨ざらしで修復されることもなく、
かなりヤバいことになってる。

その後目黒川旧流路に沿って歩き、台場跡をちょっと訪ねて
JR品川駅へ。











0 件のコメント:

コメントを投稿