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2017/10/01

文京区探索委員会スペシャルで小石川・伝通院散歩の日

朝10時に茗荷谷駅へ。

ボランティアを含むスタッフをいれて総勢29人くらい?
新潮講座で見知った方も来てくれてうれしい。
Peatixで古地図散歩で調べたら出てきたので来てみたって人もいてうれしい。
参加してくださったみなさまありがとうございました。
てなわけで
けっこうな人数で街歩きスタート。

新潮講座の半分くらいの速度で歩く感じ。
でも個人的には、ウォーキングに参加したわけじゃないから
ひたすら歩くよりは、
ちょくちょく止まっては写真撮ったり
ディテールを楽しんだりしたいので
この方がよいかと思ったりもしております。

隠れテーマは
「史跡は点で捉えるな、線で追え」です。
史跡散歩系って、
どうしても「そのエリアの史跡にピンを立てて、最短距離で回ろう」としがちで
そうすると、点でしか歴史を感じ取れない。
でも歴史って点でみても「ふーん」で終わっちゃう。
古地図を使って古道を歩くと、史跡の位置関係を線で捉えられるからいいのだ。

今回も、
古い坂を下って、川越しに簸川神社の山を見上げた江戸時代の人たち、
簸川神社へ行くと、善仁寺門前の人たちが立てた……なんだっけ? まあなんだかがあり
このあと小石川沿いに播磨坂下へ向かい、ランチを食べ、
播磨坂によって宗慶寺が移転した話をし、
極楽水の跡地から善仁寺。
実はこのあたりは伝通院の旧社地でした、のあとで
松平播磨守屋敷跡のエリアを道で示し、
播磨守は登城するときこの道を歩きましたと三百坂を進み、
現伝通院へ、
というひとつひとつの史跡がつながってることが感じられるルートを作ったのである。
それをわかって楽しんでもらえれば幸い。

この会は地元の老人たちも参加するのでいつもドキドキする。
だって、昔話は古くから住んでる人にぜったい叶わないもの。
今回も、大塚女子アパートは実は春日通り拡幅の際、建物を持ち上げてそのまま
動かしてセットバックした話とか、
わたしがまったく気づいてなかった、三百坂下通り沿いに手塚治虫の曾祖父が住んでたとか
(確かに、江戸切絵図を見ると、「手塚」と書いてある!)


今は東京学芸大付属小学校だか中学校だかの校庭です。

こちらが教えて貰いつつの散歩なのでありました。
当方としても、地元の古老(といったら怒られるかw)の方から
直接話を聞けてすげー楽しい。
歩くペースを落とした分、そういう話を引き出すこともできたし。

伝通院には予定より早めに着いたが、
その分、
極楽水の場所に伝通院の前身を開いた、了誉上人のお墓や(極楽水のところで上人の話はしてある)、浪士組を作った清河八郎の墓や(その前に処静院跡地で浪士組と新選組の話はしてある)、千姫や於大の方の墓所を回ることができた。

終了後、
有志でそのまま
沢蔵司稲荷(ここは地形的にも大らかさ的にも超お勧め)を楽しみ、
伝通院門前から安藤坂を下りて牛天神、
さらに下って諏訪神社、隆慶橋を渡って
飯田橋駅で解散。


で、だな。
歩いた距離はいつもの街歩きと変わらない(それより短いくらい)なんだが
今週はずっと家に篭もって仕事してたせいか
めちゃ疲れたのである。どはー。
牛天神から素直に後楽園駅へいって解散にすればよかったw


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