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2018/03/18

「まいまい東京」の日

京都で街歩きツアーを開催して大人気の
「まいまい京都」が東京へ進出!
ってことで、「まいまい東京」である。


これのガイドをやらないか、
京都から参加する人もいるのでメジャーな場所の方がいい
ってことで、本日開催。
朝9時、御茶ノ水駅スタート。

・お茶の水

秀忠がお寺の境内から湧き出た水で淹れたお茶が気に入ったので「お茶の水」となる。
神田川掘削で湧いた水かと思ってたら、そうではなかったらしい。すまん。
まあどっちにしろ、のちの神田川拡幅でその井戸は川の底に沈んだそうな。
江戸時代にはじまって江戸時代に消えた水。その場所はお茶の水橋の近くか。

・神田明神

奈良時代に芝崎村創建と伝わる古社で、大己貴神が祭神。芝崎村(今の大手町あたり)は海辺の漁村で、当初安房神社だか洲崎神社だかから勧請した(つまり海・航海の神様)だったともいうが、詳細は不明。
天慶の乱ののち、将門の墓(首塚)が作られたそうな。
京都でさらされた首がここまで飛んできたって伝承だけど、首桶にいれて持ち帰ってそれを祀ったのが筑土神社という話もあり(そこでは首桶が宝物として残っていたそうな。現存せず)。
鎌倉時代、天変地異を将門の霊の仕業ってことにして、将門の首塚が境内に作られ、将門も祀る。
江戸時代初期、江戸城の真ん前にあっては都合が悪いとことで
神田山に遷座。神田川掘削により現在地へ。地主神は天王。
まあうまいこと台地の縁で街道の前で江戸城の鬼門というよい場所を得たわけで、
江戸総鎮守として大人気に。
明治になり、平将門は朝敵だ、朝敵を祀るのはまずいってことで、将門神社が独立し、代わりに少彦名命を合祀。
のち、平将門が祭神として復活し、三柱に。

・男坂を下りる
・妻恋坂を上る

妻恋坂の南が千代田区外神田、北が文京区湯島。
神田明神とその周辺だけ外神田という境界事情がウケる。
妻恋坂の途中から、神田明神と妻恋坂の間にある谷を実感できる絶景あり。

・妻恋神社

妻は弟橘媛命。日本武尊伝説。日本武尊東征の帰りにとどまったという伝説による。
旧地は坂の下だったとも湯島天神南東のちょっとでっぱったとこだったとも。

・湯島天神参道

駿河台・湯島台地・本郷台地とこの辺全体が「湯島」だったと考えられてる。湯が沸いたという伝説もあるけど、まあどうでしょ。

・湯島天神

明治に湯島神社に改称されたが、平成になって湯島天満宮に復帰。でも昔からみな「湯島天神」としかいわないのであまり関係ない。銅鳥居前の案内板に「湯島神社」「湯島天満宮」両方があって「どっちやー」となりがちだが、今は湯島天満宮が正式。
雄略天皇の時代(ワカタケルノミコト。埼玉の稲荷山古墳で見つかった剣に名が刻まれていた天皇で、魏志倭人伝に出てくる倭の五王のひとり。まあ古墳時代の大王)、手力雄神を祀ったのがはじまりという。それが地主神。
室町時代に、菅原道真公を祀る。室町時代の北國紀行にも湯島の天満宮は出てくるので江戸時代前からあったのは確実。
社殿の奥に、戸隠神社あり。戸隠神社の祭神は手力雄神であり、これが地主神。

・湯島天神男坂

もともとの参道はこちらではないかといわれる男坂。下りると復興地蔵尊。

・不忍池

上野はかつて忍岡。池は不忍池。

・上野黒門

上野公園着。黒門跡を抜けて元境内へ。黒門前、今ヨドバシとかがあるあたりに「五條天神」が昭和のはじめまで置かれていた。

・清水堂

比叡山→東叡山、延暦寺→寛永寺、不忍池を琵琶湖にみたてて竹生島→弁天島
という感じで京都を摸した構成で、清水観音ももちろん清水寺にみたてたもの。
となると、山王神社も必要なわけだが、江戸時代は西郷隆盛像のあたりにあった。
今は無い。
江戸時代から花見スポット。清水観音堂の舞台から見る桜と不忍池の風景は江戸名所図会にも描かれてる。

・五條天神

日本武尊伝承あり。でも祭神も御利益も京都の五條天神と同じなので、あきらかに京都から五條天神を勧請したものでしょう。五條天神がその名になったのは平安時代なので、そのあとか。
堯恵の北國紀行に忍岡の五條天神が出てくるのでそのときには既にあった。
平安から室町期のどこかで勧請されたか。
当初は天神山に置かれ、江戸時代に寛永寺がやってきて黒門前へ遷座。今は花園稲荷のとなりに。

・花園稲荷

元忍岡稲荷(こっちの名前の方がいいのに)。通称穴稲荷。穴稲荷の穴(上野の崖に空いている穴)とそれを祀った社殿は現存。狭いところなので5人ずつ参拝にはいっていただく。

・摺鉢山古墳

上野の山に唯一残っている古墳。旧天神山。
つまり、ここの上に五條天神が祀られたため、削平されずに残ったと考えていい。
寛永の頃、清水観音堂のために黒門前へ遷座。
清水観音堂は元禄期に現地へ移され、それ以降は天神山として残る。
摺鉢山は通称のよう。今は前方後円墳であることがわかり、摺鉢山古墳として残されている。
ここ、超穴場。ここで解散。
10数人で駅前ガード下の「東京名物 じゅらく」でランチ。

という感じでありました。
誰もが知る神田明神〜上野ラインでも、あまり知られてない歴史が埋まってるのだ。
現代のレイヤー、明治以降の近代のレイヤー、そして江戸時代のレイヤーと剥がしていくと
江戸以前の東京が顔を出すのである。
それが面白い。

その後、
ちょいと不忍池で作例を撮ってから帰宅して疲れたので寝る。
起きて、名古屋vs川崎の試合を手に汗握って観戦。

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