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2018/04/04

京都最終日


今回の機材
・富士フイルムのX-H1(レビュー用に借りてるヤツ)
・オリンパスのE-M1 Mark II
・THETA
・iPhone X
・iPad Pro 9.7
・VAIO S11(お借りしてるヤツ)
・トラベル三脚(ベルボンのウルトラ)
という感じ。

OM-D用には12-100mm F4のみ
X-H1用に16-55mm F2.8、10-24mm F4、50mm F2、沼連載のために借りてるLOMOが復刻したPetzvalの58mm
という構成。

これらと着替えを「かわるビジネスリュック」と「ひらくPCバッグnano」で。
この中、右端に三脚。上に着替え下の緑の箱はカメラケースで中にカメラ1台とレンズ2本。それ以外は手持ちのひらくPCバッグnanoに放り込む。
なんとかなるものなのだな。


最終日、
さらに朝早く家を出て八坂神社と円山公園リベンジ。

八坂神社の表参道って、四条通り……に見えるんだけど、
もともとは南からのこの鳥居なんじゃないかなと思う。
社殿も南を向いてるし。

この道、八坂の塔の下からまっすぐ北上する道で、五条通り(当時)から伸びてる。
この地図をどうぞ。


元地図はこちら→http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542550

例によって国立国会図書館デジタルコレクション。
これ、江戸時代に描かれた「中世の京都」。
今の京都は秀吉によって改造された京都なわけだが、
これはその前の、おそらくは室町時代後期から戦国時代の京都を描いている。
その時代にリアルタイムで描かれたものではないのですべて正しいかどうかはわからないが、八坂神社(祇園社)の鳥居が南側にだけ描かれてる。
こっちがもとの表参道なのだ。

この地図のポイントは「五条」。
今の松原通りや松原橋がちゃんと五条通りと五条橋であること(これは秀吉が変えた)がわかる。
これがもともとの五条大橋。
今はこう。これが松原通りではなく五条通りだったと考えると、
五條天神は道沿いにあるし、その延長線上に六波羅や六道の辻や清水寺はあるわけで
なるほどこれがもともとの五条なのだ。


秀吉が五条通りを移してくれたおかげで、
元の五条通りに風情が残ったと思えばラッキーかもしれん。

朝の散策を終えて妻が東京に戻ったので
わたしはゆっくりと写真とってチェックアウトして
ひとりで見逃したポイントをたどる。

縁切りと縁結びの金比羅神社経由で

崇徳天皇廟へ。
四国へ流されて失意のまま崩御した天皇で、
祟りが怖れられた天王。
その廟がある。


そして建仁寺へ。
臨済宗建仁寺は京都最古の禅寺。


これ、Petzvalで撮った絵。周辺のボケかげんが特徴。

実に面白いレンズであります。
何しろ19世紀に設計されたレンズなのでいろいろと今のレンズとは常識が違う。
「絞り」は穴が空いた絞りプレートの出し入れだし、
フォーカスはつまみを回して行うし、ボケの形をコントロールするボケリングがついてる。

てくてく歩いて
商店街に食い込んだ錦天満宮の鳥居を愛でて、


かねよで「きんし丼」。久しぶりに食べたかったのだ。


その後、駅へと南下。


必要な写真はほぼ撮ったので、
X-H1にはPetzvalをつけっぱなしに。

先斗町を抜け、
高瀬川沿いにぶらぶら歩き、

このレンズ、いいわあ。ピントも思ったより合わせやすいし。

松原通りで元五条橋を愛でたところで疲れたので
バスに乗って駅へ。

新幹線で東京に戻る。

いやあ面白かった。



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