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2018/09/28

新潮講座「東京古道散歩」の下見で立石から柴又へ

なんか晴れ間が眩しいぞ。
ここんとこずっと曇ったり雨降ったりだったので
たまに晴れると緊張する。

なんて言ってないで
今朝届いたレビュー用のX-T3を持って
10月6日の東京古道散歩の下見。

行き先は京成線の立石。東京低地の葛飾区。
立石は平安時代の古代東海道が通っていたとこ。
その前の古代官道は柴又のあたりで江戸川(当時は太日河)を渡ってたんじゃないかといわれてる。

立石駅から古代東海道(今は奥戸街道?)に出て東へ向かうと中川に当たる。


道標から川沿いに少し歩くと「帝釈天王」と大きく描かれた石標がある。
これ、柴又帝釈天へ向かうための道標。
実は立石と柴又を結ぶ古代の道だ。

可能な限りその道に沿って柴又へ向かおうというのが今回の趣旨。
調べてみると、古代は知らんけど(中川の流路も変わってるし)
江戸時代の道ならかなり辿れる。
まず立石さまに立ち寄り

その後道なりに北上。
途中、神社に立ち寄ったりしつつ、
旧淡野洲村、旧中原村、旧青戸村、
中川を愛でて、

橋を渡り、
こんなとこに寄り道し、

今は高砂村だけど、元は曲金村だった古道を明治初期の地図をチェックしながら歩く。



意外に当時の道筋が残っていて面白い。

ゴールは柴又。柴又八幡神社裏に作られた「島俣塚」は必見。

奈良の正倉院に西暦721年に作られた「下総國葛飾郡大嶋郷戸籍」が残っている。
大嶋郷に「嶋俣里」「仲村里」「甲和里」の3つの里(まあ今でいう「村」というか「字」? みたいな奈良時代に一時期使われた集落の小さな単位)があったことがわかっている。
嶋俣は今の「柴又」でほぼ確定。甲和は今の「小岩」じゃないかと言われている。
となると、仲村は柴又と小岩に挟まれた場所で(だから仲村)
立石や奥戸あたりだろう、と推測。って考えると、立石と柴又をつなぐ道は奈良時代まで遡れる(かもしれない)のだ。いやあ面白い。

しかも、平安時代の更級日記を書いた、藤原孝標の娘は下総國から京都へ戻る時
「松戸」の渡しで江戸川(太日川)を→隅田の渡しで隅田川を渡って
浅草から京へ向かったと思われるわけで、
となると、この柴又と立石を結ぶ道を歩いたかもしれない。
まあ歩いたってことにしよう。

と、そこまで妄想で遡れるめちゃ古くからの道筋を歩いて
柴又へたどり着くと、目の前には「めちゃ昭和」な光景が繰り広げられるのである。
寅さんだから。

柴又帝釈天ってフーテンの寅さんがらみですげー観光地なんだけど、
駅前広場にはいきなり立ち食い店と不動産屋と謎のコーヒースタンドで
その真ん中に最近できたっぽい寅さんとさくらの像があり
奥の帝釈天門前町は典型的な昭和の観光ストリートっぷり。



そして京成金町線の柴又駅、単線なのだ。
いやもう観光地気分満載で楽しい。

以前訪れた時は自転車だったので、
駅前は見てなかったのだ。

というわけで、10月6日は古代から昭和まで楽しめますですよ。

この後矢切の渡しにでも、と思ったら、あれは16時までらしく断念。
金町線で金町へ出て、
常磐線に乗る。こいつが千代田線直通でさらに小田急へ乗り入れるので
乗り換えなしで帰宅できるのだ。
柴又ってうち(世田谷区)からめちゃ遠いイメージだけど
確かに遠いのだけど、千代田線-常磐線経由にすれば楽していけるのだな。
車内で爆睡。

興味ある方はこちらへ。

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