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2018/12/25

赤坂氷川神社とファンシー絵みやげのクリスマス

1月5日の東京古道散歩の下見。
前回、半蔵門から赤坂駅まで下見したので
今日は赤坂駅から赤坂氷川神社を経由して六本木一丁目駅まで。

いやあ、実は「古地図と地形図で楽しむ東京の神社」って本を書いたとき、
ひとつ見落としをしてまして。

赤坂氷川神社は「一ツ木町」にあった氷川神社を
徳川吉宗が
備後国三次藩浅野家の屋敷跡に遷座した
って経緯は書いたのだが、
実は赤坂氷川神社の崖下に「本氷川神社」って神社もあったのだ。

そっちは明治になって赤坂氷川神社に合祀されてるのである。
その「本氷川神社」を見落としていたというわけ。

たぶん「本氷川神社」って名前はもともと今の赤坂氷川神社があるあたり(今井といった)の鎮守で、後から一ツ木町の氷川神社がやってきたので
「うちの方が古くからここにあるんだぞ」てな意味合いで「本氷川神社(もとひかわじんじゃ)」と呼ぶようになったんじゃなかろうか。
本氷川神社前から氷川神社へ登る本氷川坂。このカーブは江戸時代のまま!
寛文から元禄の江戸絵図では単に「ヒカワ明神」とある。

で、本氷川神社跡から赤坂氷川神社に向かうと
氷川神社の場所の地形がすごくよくわかって面白いのだ。

ちなみに赤坂氷川神社の社殿のあたりは古墳でもあり、
刀や勾玉も出土してるそうな。

氷川神社は台地の縁にあり少し下りると稲荷と穴がある。
平安時代末期の今井城祉という伝承もある。
(東京都遺跡地図情報サービスによると、「今井城山遺跡」としてTBSのあたりがシメされているくらい諸説あるのだが)。

赤坂氷川神社は古墳があろうが城郭があろうが神社があろうが
不思議がない地形にあるのが面白い、といっていい。

詳しくは1月5日の東京古道散歩のときに。
一応、仕事絡みなので本番前にここで全部出しちゃうのもアレなので。

夜は新宿へ。
日本語の音韻変遷の大家であるS先生と、
編集者のI氏と
「ファンシー絵みやげ」研究家のメロ氏と
4人でファミレスで延々と4時間語り合って
もういい年してなにやってんだかと思いつつ
面白い時間を過ごしたのでありました。

詳しくはこちらを。
わたしはちょうど「ファンシー絵みやげ」が誕生した時代に学生で
リアルタイムにその時代を知っているので
出てくる話をみな理解できて面白い。

それをバブル期を知らない若い人が研究しているというのが大事な点で
こういうことの記録って
同時代じゃないからこそつっこめる視点が必要なのだ。

ファンシーショップとかファンシー文具とか、そういうのが一斉に出ていつの間にか消えたわけだが、そもそも「ファンシー」の元の意味から離れてるよね、ってのが気になって尋ねてみたら、その経緯をちゃんと推論してくれて、めちゃ感心。

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