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2019/01/02

武蔵御嶽神社へ初詣したのち延喜式内社を2つ訪れる正月

4〜5年前、「オオカミの護符」という本が仲間内で流行ったのである。

オオカミの護符は「大口真神」のお札のこと。
これ。


御岳山の武蔵御嶽神社が発行している護符で、オオカミをかたどっている。
その話が面白く、今でも御岳山には御師がおり、宿坊もあるというので
4年前、近所の街歩き仲間で御嶽神社(みたけじんじゃ。これをおんたけと読むと、木曽の御嶽山になる)へ初詣に行こうという話になったのである。

そのとき、わたしは「腰痛」でダウン。
2年目は参加。
3年目は帰省していて参加できず。
そして4年目。
みなにとっては4回目だがわたしには2回目の御嶽神社初詣。
御嶽神社を訪れるのは3回目。

朝7時に車で迎えにきてくれて、
6人で同乗して御岳山へ。


ケーブルカーで上へ登り、そのあとは歩くのである。
山からは東京スカイツリーが……ってスカイツリーってどんだけでっかいんだかもう。

えっちらおっちらとわたしはOsmo Pocketの作例なぞをとりつつのぼり、



宿坊や旅館や売店街を抜けて無事神社へ。
この山頂に街があり、それが今でも維持され続けてるってのはすごいよ。


そして無事参拝。


社殿の裏にある、奥宮遙拝所も忘れずに。


参拝と買い物を済ませたら飲食店街でそばを食って一息。

山を降りたら帰りはどこへ立ち寄ろうかという話になり、
いくつか案は出たが、わたしと多摩武蔵野スリバチ学会会長の真貝さんが希望した
狭山丘陵南麓の「阿豆佐味天神社」を目指すことになる。

阿豆佐味天神社は「あずさみてんじんしゃ」と読む。「阿豆佐味」は、まあ当て字というか、読みに漢字を当てたものだろう。

延喜式内社のひとつ。年末から3日連続で延喜式内社である。

天神社であるが、菅原道真系ではない。もっと古い「天神」で、少彦名命が主祭神であり、これは五条天神と同じだ。

武蔵国の縁起式内社には、阿豆佐味天神社の他に大麻止乃豆乃(おおまとのつの)天神社、穴沢天神社、布田天神社と、菅公が天神の代名詞となる前の古い天神社が多いのである。




延喜式内社にしてはちと寂れているが、青梅からの大きな扇状地を前に、往古の多摩川が削り残した狭山丘陵を背にした古社に相応しい場所である。

せっかくだから、延喜式内社をさらに参拝しようとなり、
狭山丘陵の北側にある「中氷川神社」を目指す。

実はこのあたりに「中氷川神社」は2つある。どちらも所沢市。
ひとつは狭山丘陵の北にある、三ヶ島の「中氷川神社」。
いきなり「延喜式内社」とでかくかいてある。


もうひとつは狭山丘陵の東側、
山口の中氷川神社。距離は4〜5km。
こちらは南北を丘陵に挟まれた低地で、
近くに山口城があったり近くを鎌倉街道が通っていたりする。


神社としての賑わいはこちらの方が上。
地形的にもこっちの方が古社っぽいけど、
どちらが縁起式内社の中氷川神社だったのかはわかってない。

どっちでしょうねえ。

で、なぜ中氷川神社なのかというと、
大宮の氷川神社と、奥多摩の奥氷川神社のちょうど真ん中にあるから、というのが有力。
合わせて「武蔵三氷川」といわれてる。

奥氷川神社も、なぜ奥多摩に氷川神社があるのかが気になるところで、
大宮氷川神社は足立郡に属していて足立郡は氷川神社だらけで、
そこ以外だと荒川水系に多いんだけど、
奥氷川神社は多摩川水系なんだよねえ。

もしかしたら、それぞれ別の氷川神社だったのかもしれない。
(なんかの本に、武蔵国あたりでは、水が沸き出すところを「ひかわ」と呼んだという話もあったし)
氷川神社は出雲系といわれていて、主祭神は素戔嗚尊で、中氷川も奥氷川もそうなんだが
古い文献だと主祭神は「氷川明神」とだけなってるようで、
(日本歴史地名大系による)
もともとは土着の水の神様だったんじゃないかなという気もする。

まあそういうこと考えるとキリがないのだけど、
個人的にはこれで「武蔵三氷川」全部を訪れることができてちょっと満足。

最後に山口城祉に立ち寄って東京へ戻る。



というわけで、
年末年始で、武蔵国の延喜式内社を4つ回ったのだった。


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