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2019/02/12

葺城稲荷が地形ごと消えていて驚いた日

久しぶりに日経BP社へ取材されに行く。

そののち、神谷町から虎ノ門のあたりをぶらぶら歩く。
虎ノ門ヒルズを皮切りに、ヒルズな会社(森ビルだけど)を中心に
大再開発大会が行われててちょっと気になってたのだ。

まずは神谷町の「我善坊谷」としてその筋に知られる
西久保八幡のある山と仙石山(江戸時代仙石邸があった)にはさまれた
ちょっとした谷がある。

ここ、森ビル系の再開発の波が押し寄せ、谷地全体が買い取られ、
更地化が進んでいるのだ。

以前は建物にまぎれてわからなかった西久保八幡の山も
今は北側から丸見え。
地形がよくわかりますな。
この写真、奥に見えているこんもりした山の上に「西久保八幡神社」があり、
貝塚も発見されてる。
太田道灌がここに遷座したそうな。

で、上の写真をよく見ると、山の下に土色の物体が並んでる。
拡大すると「甕」のようにみえる。
(肉眼では全然わからなかった←視力に難があるもんで)
FBに写真を上げたら、
不発弾に見えるとか(をい)
中世の古銭がはいってた埋銭の壺じゃないかとか
いろんな節が出てきたけど
江戸時代に死体を埋葬していた甕棺説
が信憑性高いかなあ。
機会があったら尋ねてみたい←誰に?←港区郷土資料館?

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追記。東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスで発見。
大養寺跡で、棺甕、焼骨壺が出土してるらしい。これの一環?
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ちなみに場所はここ。西久保八幡の北側崖下。



さて我善坊谷を出て北上して虎ノ門へ。
そこらじゅう削平してビルを建ててて昔何があったさっぱりわからん始末だが
一箇所だけ「あれ?」ってとこがあった。
国道1号の1本裏の道沿い、
崖の上に小さな稲荷があったのだが、
それが崖ごとなくなってるのだ(上記地図参照)。
なんてこった。

それが葺城稲荷(ふきしろいなり)。
今は風景はこう。

で、福山通運のワゴンが止まってるそのむこうの電柱に注目。
2009年にはこの電柱のところがこうだったのだ。
よーくみると、プラザホームズの看板の上にあるパネルに「1396」って書いてあるプレートがあるので同じ電柱のはず。
2009年撮影

ここ、台地の端を削って道路が作られていてその上に葺城稲荷があったのだ。
階段を上るとこんなだった。
2009年撮影

2009年撮影

ああ、地形ごと全部削っちゃったのね。
このあたり元禄時代に代地替えを命じられて越してきた「家づくりの屋根の職人」が集まった街で「葺手町」と名づけられた場所。屋根を葺く人だから葺手なのですな。
で、この稲荷、そのときに町の人によって台地上にあるのを「発見された」神社なのだという。
もっと前からあって、祠だけが残っていたのだろう。
いやあわくわくする話ではないか。
当初はもうちょっと山の方にあり、その山は中世の城館があったという伝承が残っていて「城山」と呼ばれていた。
葺手町と城山で「葺城稲荷」となったんだろう。

なんか地形的にも周りとのギャップ的にもすごく風情のある一角だっただけに
丸ごと削られたのが悲しい。
ちなみに、今は西久保八幡神社に仮遷座されていて、ビルが完成したらまた戻ってくるそうだが、それならいっそ「地形ごと」残しといてくれればいいのにねえ
残念。

まあ稲荷があるから削られずに残っていたような場所だったわけだが
21世紀になると神社があっても構わず削ってしまうのですな。






1 件のコメント:

  1. ホテルオオクラが建て替えられると聞いたので、仙台から、慌ててフレンチトーストを食べに行きました。その帰りに、江戸見坂を下ったら、東京にもこんなところがあるんだと、ビックリして、鬱蒼とした階段を登ったところにあったのが、葺城神社でした。その後どうなったかなあと、心配していましたが、やっぱり変わってしまったんですね。私も残念で、神社さえも削ってしまう現代に疑問。

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