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2019/05/11

多摩武蔵野スリバチ学会で高尾周辺を上り下りする日

多摩武蔵野スリバチ学会フィールドワークの日。
しれっと参加。

総勢50人くらい。

京王線狭間駅集合。狭間駅ってすごい名前だよねえ。
高尾駅のひとつ手前。

総勢50人。先頭に真貝会長、しんがりに和田副会長。


狭間駅から線路沿いに西へ。
狭間公園脇を通ぬけて南西へ。


まずは高楽寺。しだれ桜で有名とか。
1533年創建。天明の大飢饉時に五穀豊穣と悪病平癒を祈願して境内の岩肌に洞窟を掘って石仏群が安置された。


現在、洞窟は崩落の危険があるとかで入れず。
みな、外から覗き込む。


行楽寺前の旧道を歩き、いい感じの暗渠沿いに歩いていたら、途中でいきなり先頭集団とはぐれる10数名。


まあこっちの方だろうってことで歩いて行くといきなりの絶景。
高低差を楽しむのがスリバチ学会なのでさもありなん。


どう歩いたか覚えてないのだけど、高尾やすらぎ霊園前で先頭集団と合流。
ここ、急斜面の墓地で、墓参者のためのラックカーが用意されている。
まあ必要だよなあ。


やすらぎ霊園は谷地の斜面につくられている。
スリバチ学会集団はその谷地を谷頭に向かい、いきどまったと思いきや、
いきなり丘陵上へ登る大階段。
ひたすら上る。この時点でもう疲れる。


でも上りきったところでシータ。
めちゃわかりやすい谷頭である。


そこから桃源台公園経由で初音坂を下る。


そしてまた次の谷へと下るのである。
谷→台地→谷。


無事下りきった面々。見事な谷地ですな。


そして初沢川を渡って高乗寺。
ここ、片倉城城主永井氏が開基となり、室町時代の1394年創建という古刹。
今でもかなりデカい。
初沢川を挟んで西側の斜面に高乗寺。
東側の斜面上に山王神社。


高乗寺の休憩を終えたらちょっと北上して、
陸軍遺構の洞窟へ。もちろん立ち入り禁止。


川を渡って地蔵を愛で、北上。
このあたり、庚申塔はほとんどみず、野仏はほぼ地蔵。
お寺が強かったのか、庚申講が流行らなかったのか。23区周辺との違いが面白い。


途中で西へ折れ、住宅街を抜けてまた上る。
とにかく上る人たちである。


見下ろすと、いかに無茶なとこに住宅地を作り、無茶な階段を作って下さったのかよくわかる。


上りきると、浅川金比羅宮。江戸時代に勧請されたものらしい。
さすがに疲れたので上らず、下で待ってた。


下りたと思ったらまた上るのがスリバチ学会。
金比羅宮から下りて北上し、次にのぼるはまた別の山。
高尾天神社である。その奥に初沢城があったらしい。


神社は高台の端に作られるので当然上るのである。



高尾天神社を下りたら、高尾駅へ向かう。
高架なのが京王線、地上を走ってるのがJR。



高乗寺から高尾駅方面へ向かう道は、甲州街道と高乗寺を結ぶ古道だったもよう。
京王線高架したに地蔵あり。またもや地蔵尊である。高乗寺関係なんだろなあ。


そしてJR高尾駅前で休憩。
高尾駅の駅舎は昭和2年のもの。やけに仰々しいのは、
「元々大正天皇の大喪列車の始発駅として新宿御苑に設置された仮設駅舎 (995m2) を移築したもの」(wikipediaより)
だったから。
高尾は武蔵野陵への最寄り駅でもありここにあるのもわかる。


ちなみに開業当初は「あさかわ駅」だった。国鉄浅川駅。
ここで大正時代の地図に今回歩いたルートを重ねるとこんな感じ。


高尾駅から甲州街道を西へ進むと、やがて中央線の高架をくぐる……のだが、その前に、
明治だか大正だかのレンガ造りのトンネルに吸い込まれる面々。


この向こうに民家が数軒あるのだった。で、このトンネルは水路を越えるためのもの。
足元に暗渠化された水路跡が見える。


煉瓦のトンネルをすぎ、
甲州街道がJRの高架をくぐるところでシータ。
足元を流れるは南浅川。
ポイントはこの高架。
右端にある赤いところが初期のレンガ造りで、その左側は後に追加されたコンクリート製。ここに時代が残されてるのである。


甲州街道をしばし歩き、西浅川のY字路を右手に。
右手に向かう道が、旧甲州街道。


しばし歩いて、甲州街道小仏関のあと。
ここに来たかったー。
でもほとんど痕跡はなし。


そこから少し裏道を高尾駅方面へ。
小さな人道踏切があり、そこで三脚を立ててる撮り鉄ふたりと
手持ちでカメラ抱えてる撮り鉄ひとり。
まあ何かくるんだろう。
実はふたたび我々は先頭集団からはぐれており(まあ写真ばっか撮ってるからだな)、
撮り鉄の人たちに「あやしい集団はどっちへ行った?」と尋ねると
踏切を渡ったと教えてくれたのでそちらへ向かう。

踏切の名前は「小名路」。古くからの地名で「こなじ」と読む……のだがよくわからん。
日本歴史地名大系によると、ここに関所破りの成敗場があったらしい。


踏切を過ぎ、北上して金南寺。
そこから南浅川へ向かって、川沿いの観音堂。
観音堂前にもお地蔵様が座られている。


南浅川ぞいにしばし歩き、白山神社へ。
ここからさらに奥に奥宮があるわけだが、
数人は我慢できずに上ったらしい。すごいな。
さらに数人は白山神社で後朱印帳。
この白山神社は戦国時代の棟札や、鎌倉時代の板碑が残る古社。
まあ、甲州街道沿いの要衝の山の上ってことだ。


白山神社から高尾駅へ、南浅川の上流沿いに歩く。
岩場を流れていた南浅川なるもの両側が文明化してその名残が残るのも一部。


気になったのがここあたりの地名。
これは南浅川を渡る「廿里橋」。「ととりはし」とある。
ここ「廿里」と書いて「とどり」と読むのだ。
「とお」と「とお」で「20」だからかなと思ったら、やはりそのようで
帰宅して調べてみると、江戸時代の新編武蔵風土記稿には「十々里」と書かれていたそうな。どっかの段階で「十々」が「廿(二十)」になったんだろな。


やっぱ古い地名は面白い。

そして高尾駅前で解散。


何人か遅れてきてる人たち(主に御朱印帳組)がいたので会長・副会長らと待ち、
JR高尾駅経由で京王線高尾駅へ。
京王線高尾駅には北口がないので、JR高尾駅のホーム経由で行けるようになってるのである。
高尾駅ホームには、第二次大戦時の銃撃痕跡が残っている。


そして京王高尾駅(高架なので全体を見下ろせる)から
JR高尾駅を見下ろしていると、レトロペイントの中央線と、その横を駆け抜ける特急(あずさだかかいじだか)がみえたので一応撮影。



まあそんな感じで、
盛りだくさん過ぎて整理するのが大変なフィールドワークなのだった。
ちなみに今日1日で49階分上ったもよう。


おつかれさまでした。
というか疲れた。



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