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2019/05/17

等々力陸上競技場は東京と神奈川の旧府県境にたっていた!

そうそう、等々力陸上競技場の小ネタ。
等々力陸上競技場がある広大な公園は多摩川が作り出した低地で、
多摩川の旧流路跡なのである。
いつ流路がかわったのかは調べてないけど、
明治時代後期までは江戸時代の境界がそのまま残っていて、
旧流路が「府県境」だったのである。
(江戸時代に旧流路が境界だったということは、江戸時代のどこかで今の流路にかわったのですな)
だから、「等々力」という世田谷区側の地名が川崎市側に残っているのだ。

で、明治時代の府県境がついてる地図を重ねてみると、
こんなことに。

ちなみに赤い線はGPSログです。
「スーパー地形」より

つまり、
ホーム側自由席(フロンターレのゴール裏応援席)は
明治後期までの「東京府」、
アウェイ側自由席(アウェイチームのゴール裏応援席)は
明治時代から「神奈川県」
だったのである。
いやだからどうということはないけど、
これが「多摩川クラシコ」(川崎フロンターレvsFC東京)だったりすると、
旧東京府側に川崎、昔からの神奈川県側に東京のサポが陣取るという
ちょっと面白いことになるわけである。

これが逆だったら、
かつてスタジアム上にホームとアウェイの境界線があり、
東京側vs川崎側の境界ダービーという
面白いネタになってたかもしれない。


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