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2023/12/29

1229:相模国一之宮と国分寺跡経由でロマンスカーミュージアムの日

ご近所仲間の忘年会の日。

有志で……といっても3人だけど、朝から街歩き。

といっても、Tさんが車を出してくれたので、ピンポイントで。

○寒川神社

最初は寒川神社。これがなんともまあびっくりするほどの参拝者。駐車場もかなり満杯だし、駅から歩く人も多数。そんなに人気だったとは。



寒川神社は相模川の東側にある相模国一宮である。一之宮とはなかなかすごい。

裏手の神嶽山(地形的な山ではないけど)の湧水が今でもあるそうで、

相模川沿いで水運にも都合が良く、水も得られたので古くから開けた集落だったのだろう。

祭神は寒川比古命と寒川比女命の二柱で合わせて寒川大明神という。江戸時代の時点で祭神については諸説有り、明治に入ってこの二柱に定めたのだというが、そもそも湧水を中心に聖地として祀られたのがはじまりのはじまりの古い形態の神社で、特に祭神に名前はなかったんじゃあるまいか。だから寒川大明神、くらいの感じでちょうどいいと思う。

相模川の対岸、ちょっと南あたりに四宮があり、初期の相模国府はそのあたりにあったと言われている。川を挟んで国府のはす向かいに一宮があり、

古代東海道がそこを通っていた。

平凡社の「地図で見る東日本の古代」には古代東海道の想定路が描かれており、

ちょうど寒川神社の南側を通っており、高座郡衙も近い。

「地図で見る東日本の古代」(平凡社)より

○有鹿神社

寒川神社の次はどこへ行こうかということで、その後海老名の相模国分寺跡へ行くことになってたので、では有鹿神社にしようと提案。このあたりは何度か歩いてしってるので。今はネギの根宜とかパンダ宮司で有名だけど、実は立派な延喜式内社で海老名郷の総鎮守。

有鹿は「あるか」と読むが、新編相模風土記稿には「阿利加」と読み仮名が振ってあるので、「ありか」神社だった。いつから「あるか」となったのだろう。



ここの南西には海老名氏の霊堂(中に海老名氏の墓所という宝篋印塔が残っている)や、古い道標、石造物群もあり、神社の南には東西に大山道。神社の東の道は北上すると相模原市の奥宮につながる八王子道で湧水があるそうだがそこまでは行かなかった。

海老名郷も湧水水と水運の要衝だった場所だ。

○相模国分寺跡

そして予定していた相模国分寺跡へ。


海老名駅の東、高台の端に国分寺跡がある。奈良時代に作られた国分寺のひとつでその南を大山道が走り、国分寺東の南北の道は平凡社の「地図で見る東日本の古代」によると古代東海道のひとつで府中につながっていた。

「地図で見る東日本の古代」(平凡社)より。相模国分寺跡の場所がちょっと違ってる。

国府と離れていたが、その理由は不明なるもの、国府と海老名の両方を

相模川の西側には国府や四宮、厚木宿があり、東側には一宮(寒川神社)、有鹿神社、相模国分寺があり、この流域が相模国の中心だったのだなとわかる。

「神奈川における駅路に関する一考察」(日本土木学会論文集)より

○ロマンスカーミュージアム

午後になってひとり合流し、海老名駅に隣接するロマンスカーミュージアムへ。主目的はここだったりするのだ。

ロマンスカーオンリーで900円というのはちと高い気はするけど、行ってみると面白いのである。特に新宿から江ノ島・箱根までを思いきりデフォルメした巨大ジオラマは飽きない。



○忘年会

そして夜は経堂で忘年会。






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