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2024/05/04

0504:「東京古道散歩」で日本橋から人形町の日

目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の日。

日本橋北詰に集合し、按針町、常盤稲荷神社を経て、荒布橋(跡)を渡り、江戸橋を渡り、旧三菱倉庫、〒発祥の地から楓川沿いを南下、海運橋を渡って、渋沢栄一の足跡を辿る感じで近代建築を愛でつつ、鎧橋を渡る。




小網神社は相変わらず大行列なのでスルーして、人形町の元吉原跡へ。

ぐるっと回って水天宮から箱崎へ行って解散。

数人でちょいと反省会というか打ち上げしようってんで人形町方面へ、

裏通りを歩いて行くと、随所に看板建築や昔の商家建築が残っていてよい。

実はこれらは、中央区の「中央区の近代建築物調査」でピックアップされたものだ。

まずは「伍徳」。「町家から看板建築に移行する過渡期を示す、関東大震災前の店舗併用住居」だそうである。大正3年築→ 伍徳

右が伍徳。

こちらは「間瀬家住宅」。「築地仲買人が建てた、日本橋蛎殻町の専用住宅建築」だそうである。昭和6年築→間瀬家住宅


こちらは「京粕漬魚久」。「老舗粕漬屋が活用する、角地型モルタル塗り看板建築の代表例」だそうである。昭和10〜20年頃→京粕漬魚久
今、人形町には魚久が3軒あり、ここが一番古いようだが、もう営業はしてないっぽい。
残りはレストランを兼ねた本店と、人形通り沿いの人形町店だ。


こちらは詳細不明の看板建築。人形町通り沿い。時計店は平日なら営業してるかも(詳細不明)。紅虎餃子房は打ち上げの場所。建物の古さを味わいつつ餃子を食う。


古い建物があったとおぼしき場所が駐車場になっている土地も多く、人形通り沿いにもそれは顕著で、維持管理が大変になった古い木造建築の運命かもしれない。この佐野時計店と紅虎餃子房の周りもいつのまにか更地になっており、この2軒だけが残っている状態だ。

歴史の痕跡が失われるのは寂しいけれども、かといってそこに住んでいる人にとっては古くて不便な家で、それをメンテナンスして住み続けるにも金がかかるわけだし、代替わりの際の相続の問題もあるだろうし、場所柄、更地にしてビルにすればテナントからの収入も見込めるだろうし、一概に残せというのは難しいよなと思う。


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