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2015/01/31

マカベと仙川とゴジラと七人の侍と大仏と地蔵と暗渠と崖と湧水と団地とホリグチの日

大蔵団地に最近住み始めたという友だちを案内するという名目で、
ご近所4人組で祖師ヶ谷・大蔵散歩の日。
リクエストは「キッチンマカベでランチを食べたい」と「ホリグチで珈琲飲みたい」の2つ。
マカベと大蔵団地とホリグチの三題噺。
わははは。

祖師ヶ谷道を南下して途中で仙川の崖をくだり、


元日曜大工センターを抜けて仙川沿いを歩き、
東宝でゴジラと七人の侍を愛で、


妙法寺で大蔵大仏。


このあたり石井土という地名だったと石井土橋と石井土稲荷ではじめて知る。
地蔵を目印に仙川へ。
途中で暗渠発見。この暗渠の奥に水車小屋があった(昔の地図によると)。


崖下を歩くと、
湧水ポイントと思われる場所に弁財天。

さらに崖の途中に御嶽神社。

御嶽神社は「武州御嶽講」のもの。
奥多摩にある御嶽神社に参拝する「講」で江戸時代に流行っていたらしい。
そういえば、小机城址にもあった。
榛名講、御嶽講、庚申講。いろんな講がはやってて、
それぞれプチ神社となって残ってる。
民間信仰の名残って面白いわ。

そして斜面を上って大蔵団地を楽しみ、


世田谷通りを上って、途中から旧道へ。
大蔵庚申神社や横根稲荷神社。
疲れたのでバスでちとふなへ行き、
ホリグチで珈琲とケーキ。

そんな1日でありました。

2015/01/30

雪が降ったが、あっという間に止んだ。
雪をいいことに安静の大獄してた。

2015/01/29

おうちで仕事。
にしても寒くなりましたな。
養生しつつ
ascii.jpに猫連載を書いてメールするなど。

2015/01/28

渋谷温故不知新そして対談

腰の調子が戻ってきたようなので
家を早めに出て、
作例撮りしながら歩こうと、
代々木八幡駅下車。
電車やら猫やらを撮りつつ
宇田川暗渠を辿って渋谷へ歩くが
このまま渋谷駅にいってもしょうがないなと
宇田川支流暗渠を辿って鍋島松濤公園へ向かう。
かいぼりで池の水がなかった。がーん。

そういえば神泉に猫がいたな、と神泉へ向かって歩く。
庭先に猫を飼ってた(と思われる家)が見つからない。
どうやらマンションに建て替えられていたようだ。
がーん。
でも、神泉駅前のあの古びたアパートは健在。
東電女子社員殺害事件のあそこです。
そういえば真犯人はどうなったか。



ここを尋ねたら道玄坂地蔵にお詣りしなければと円山町へ。
ラブホ前に廃墟(にしかみえない朽ちた住宅)発見。


だがしかし、以前ここを取材したテレビ番組によると
廃墟ではなかったそうな。住んでる人がいるのだ。
ああ世界は広い。

ついでに道玄坂界隈の記憶を辿る。
学生の頃、唐沢に連れられていったBYG。
ボトルまでいれて、渋谷で呑むといえばここだった。
なんと健在。


道玄坂といえば道頓堀劇場。
なんと健在。


道玄坂といえば
ずっと昔から緑の網がかけられてた三連の看板建築。
きれいさっぱりなくなっておりました。


そういえば東急プラザもまもなくなくなるのだったと訪問。
学生時代、まだ真新しい東急プラザを見た記憶があるのだが、
どうやらそれは1980年代のリニューアルだったようで
建物自体は60年代のもの。とはいえ、50年で建て替えとは残念。
6Fではタイムスリップ渋谷写真展開催中。
撮影禁止だったけど、
昭和30年代の渋谷再現ジオラマだけは撮っていいよというので撮る。


夜の待ち合わせまでまだ時間があったので
ヒカリエからちょいと夜景。

生き延びてる歴史的風景も好きだけど
変わりゆくものの否定もしたくない。
いつもそんな複雑さの内包を意識させられる渋谷。

夜はLOFTにある東京シティラウンジで
Flick!電子書籍特集の対談みたいなもので納富さんと。

どうも歩き回ったら腰が悪化したらしい。だめじゃん。
帰宅して、仕上げねばならない原稿に手をつける気にならず、
寝る。

2015/01/27

ソファで優雅に原稿書きと決め込んだ日

引き続きおうちでお仕事。
つなぐネットの連載を書く。
なんとか下書きを終えたので、明日仕上げよう。

デジカメ関連の仕事だと
どうしても大きなモニタで写真を選んだり見たりしながら作業しなきゃいけないから
iMacの前から離れられないけど、
そうじゃないときは、MacBook Airを膝にのせて
ソファで原稿書き、って手が使えるのだ。
腰が楽でよろし。

さらにあれこれと作業。

腰の調子も戻ってきたので
明日は早めに家を出て作例を撮りつつ散歩しよう。


2015/01/26

安静の大獄な日

まあなんというか腰痛なので安静の大獄ときめこみつつ、
ITMediaにNEXUS6のカメラレビューを仕上げてメール。

腰を痛めるたびに
やはり、椅子は大事だよなと思うわけで、
昔はWilkhahnのPictoを使ってた。ショウルームで見て気に入ったので。
2001年、念願のアーロンチェアを購入。
だがしかし、2004年に手放す。
ここの5月25日あたりを参照
アーロンチェアは素晴らしいチェアで、
座面がアミアミなのがよかったのだが、
わたし、椅子の上でよくあぐらをかくのだ。
姿勢をちょっと変えたいとき、あぐらをかいたり、
膝を曲げて座面にのせたりする。
アーロンチェアの座面って、お尻をしっかりサポートするために
両端が上に上がってる、凹面状になってる。
あぐらをかくと、その端っこが腿に当たって痛いのだ。
清く正しい姿勢で仕事する人には絶品だが、
始終姿勢をかえたい落ち着かない人にはつらいのである。

そうそう、昨年末のとある忘年会で、
「2004年にアーロンチェアをゆずってもらったものです」と
挨拶されておどろいた。
いやあ、10年ぶりに偶然会うとは。
あのときはありがとうございました。

今はSTOKKEのActulumを使ってる。
木製のシンプルな椅子。
Actulum Stokke | profita
でもキャスターがないとか回転しないとかがやや不便。

で、だな。
今座ってみたい椅子は、まあ、ここ5年くらいずっと気になってるのだが、
WilkhahnのON!。
ON. | Products - 製品 | Wilkhahn Japan|ウィルクハーン・ジャパン
椅子の上で姿勢を変えたい人にはちょうどよさげでしょ。
座面の傾き方とか。
構造もシンプルなので好きな姿勢で座れそうだし。
何しろ
「正しく座る」から「自由に座る」へ
なのだ。
ファブリックはオレンジで。

だがしかし、今、15万円もする椅子を買う金はないのであった。
うーむ。


2015/01/25

山城へGO! で小机城攻略の日

腰痛を抱えつつ小机城址へ。
そもそも、昨年末、
友だちが「超入門 山城へGO!」という山城散策入門的本を購入、
面白そうなのでわたしも買い、
購入者仲間で「まずは小机城へ行ってみよう」となったのだ。

日産スタジアムにはよく行ったけど、小机城址はいつも横目に見るだけで、いちど行ってみたかったこともあり、総勢5人で小机駅集合したのである。


小机駅からまず日産スタジアムに向かい、鶴見川。
鶴見川を挟んだ丘に、太田道灌が小机城攻めの陣地をおいたのだ。
川は渡らなかったけど、対岸から眺める。
そして、堤防沿いに歩いて行くと、京浜河川事務所の新横浜事業所発見。
「入場自由」と書いてあるので休憩がてら入ったら、
ここがまた面白い。
屋上に出られるというのでお願いすると、
スタッフの方がパネルを持ってついてきて、
遊水池(鶴見川が氾濫しそうになると水門を開けて一帯を池にして水を逃すことで、洪水を防ぐ仕組み)の説明をしてくれる。
年に何回も門が開けられてるんだそうな。役に立ってる。
めいっぱい水が入ると、日産スタジアムが水没して「のぼうのスタジアム」状態になるらしい。ちょっと見てみたいぞ。
さしずめ、日産スタジアムあたりを囲む堤防は「石田堤」ですな(笑)。

で、屋上でシータ。下に目をやると説明を受けているわれわれがおります。
京浜河川事務所新横浜出張所屋上からシータ。Photoshopで注釈を入れてみるテスト。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

注釈をちょっといれてみた。
個人的にツボだったのが、事務所脇の通信塔。
何かと思ったら「XバンドMPレーダ」だという。
おお。詳しくはこちらを。最近の雨情報はもっぱらこれ。
XRAIN雨量情報 地域選択
iPhoneアプリもあるし。

で、今日のログはこちら。
シータを撮った場所がよくわかるかと思う。
このあたりむかしはどうだったか。

明治の地図、昭和の航空写真、最新の航空写真と続けてどうぞ。
鶴見川沿いの低地(ここ、山に囲まれてるけど、実は標高がすごく低いのだ)に
丘陵地があり、その先に小机城が作られたのがわかる。
さらに、昭和まで農地だったのが、新横浜ができ、スタジアムと同時に遊水池が作られて大きく変貌を遂げた様子もどうぞ。




いやはや、それが面白く時間を食ってしまった。
いかんいかん、ってことで小机城址へ。
にしても、第三京浜が思い切り城址をぶった切っててたまらんですな。

ときどきあらわれる案内図にそって横浜線沿いに奥の方へ入ると、
狭い道の奥に斜面があらわれる。
ねこや(根小屋)あとだ。そこから坂を上り、空堀を土橋で越えて本丸である。
ここもシータで。
小机城本丸へシータ - Spherical Image - RICOH THETA

いやあ、空堀がすげー深くて、縄張りもきれいに残ってて
面白い!
あまり観光地化もされてなくて、それも含めてお勧めの散歩ルート。
空堀を歩くとかもう楽しいっす。


ここまできれいに残ってるとは思わなかったもの。

土地所有者19名、ってのもたまらん、昭和の案内看板。個人所有の土地を開放してくれてるのだ。
ちなみに、長尾景春の乱で、景春の仲間や逃げた豊島氏がここにこもり、太田道灌側に攻められて落城したことで有名。
その後、後北条氏の時代に重要な城としてその家臣が城主となった。
こういう城は必ず街道筋に建てられるわけで(そうじゃないと意味ないし)、
当初は江戸と鎌倉、後に江戸と小田原を結ぶ道が近くを通っていたはずだが、
当時の道筋がめちゃ気になるところ。
中原街道が近いので、当時の中原街道はこのあたりで小机を通っていたのかもしれないし、
神奈川のあたり(小机から南南東方向)に権現山城があってそこでも合戦があるので、
そちらと小机の関係も気になるところ。

いやあたまらんですな。
戦乱期の関東地方はもう群雄乱立しすぎて戦いばかりでややこしいので
一度頭の中を整理しなきゃなあ。
と、帰宅して、古本屋で入手した
昭和56年の「歴史と旅8月号 関八州古戦録特集」を読む。

ちなみに「山城へGO!」とあわせて千田嘉博氏の「戦国の城を歩く」を読むと
行ってみたくなります。面白い。

2015/01/24

「iPhoneユーザーにMacBookAirをすすめる10の理由」とな

朝起きてさて多摩武蔵野スリバチ学会と仙川地図研究所の合同フィールドワークにでかけようかと朝食を摂ってたら突然背中左側の筋を痛めたのである。
とほほ。
昔よくやらかしたとこだがここ2年くらい静かな休火山状態で油断してたか。
ここ2週間ほどちょこまかとよく働いてたので疲れがたまってたのかもな。

というわけで、
フィールドワークは欠席して家で安静の大獄と決め込んでたら
エイ出版から「iPhoneユーザーにMacBookAirをすすめる10の理由」なるムックが届く。
先週末篭もって書いてたヤツ。

パラパラとみて驚く。写真がでかい(笑)。
こんなに使われるなら、もそっと身なりに気遣って行けばよかったと
今更後の血祭り。ぐはっ。どくどくどく。何しろこんな具合。




わたしは主に、Windowsユーザー向けのページを書いているのだが、
なぜか写真ではこんなに登場しております。
iPhoneを使うようになってから、Macが気になりだしたというMac初心者に向けたムックでありますが、よろしければご笑納を。


2015/01/23

ハスキーと日本vsUAEなどなどな週末

あれこれ作例撮りのため、
ちょいとハスキーを抱えてお茶の水へ。
聖橋上とか湯島聖堂とかその辺を狙う感じで。
にしても、重たいな。いやその頑丈さやでかさを考えればさほどでもなく、
この重量で狙ったところにピシッと止まってガタつかず信頼性抜群なのが素晴らしい名機なのであるが、
普段持ち歩くのがもう、マンフロットのトラベル三脚「BeFree」なので……。
そういえばBeFreeのカーボン版が出ましたな。高いけど軽い。
三脚談議ははじめると長くなるけど、
安い三脚だとネジを締めた瞬間にちょっと雲台が動いたり、
ちょっとしたショックでぶれたりしがちだけど、ハスキーはそんなことないので
ちょっとでもぶれちゃ困るってときは欠かせないのであります。

昼、その足で某社某氏と秘密のミーティング的なあれやこれや。

夜、日本vsUAE観戦しつつITMediaにNEXUS6のカメラレビュー書き。

日本vsUAE。
まあなんというか、
「35本シュート打って枠内が8本で1点」
が全てを物語ってますな。
豊田なんか鳥栖でもっと難しいシュートをもっとピンチな場面で何度も決めてるのにあれを外すとは、力が入りすぎたか。

もひとつ。中二日。
試合の入りが悪かったというけれども、
選手の中に「中二日だから体力を消耗しすぎないようにしよう」という考えがあったんじゃないかと思えるくらい省エネモードの入りをしちゃった感があり、
そういう意味でも、中二日で選手固定がいかんかったと思うわけで、
前中後それぞれひとりずつは選手を入れ替えておくべきだったんじゃないかと
思いつつ見てたわけである。


2015/01/22

小雨

天気悪いですな。いやはや。
ともかく、NEXUS6の足りない作例とスクリーンショットがあったので
天気悪いけど慌てて近所でなんとかし、
発送。
でもって、ascii.jpに猫連載を書いてメール。
ITMediaに撮影術の連載を書いてメール。

2015/01/21

雨。寒い。
ITMediaにAquosPhone ZETAのカメラレビュー書き。

午後、
人形町で日本カメラ編集部。打ち合わせ。

夜、書きかけの原稿を仕上げてメール。



2015/01/20

今日の猫塚

雨。
なんとか足りない作例などを追加して
スクリーンショットなどを用意して
あれこれメモをして
返却。



猫は毛布に潜り込んで猫塚作ってた。
今度は2匹入り。

2015/01/19

稲荷下橋と稲荷

昼間、ちょいと自転車でご近所をぐるっと
スマホ2台持って作例撮り。いつものアレは撮っておかねばならないので
撮りに行ったのだ。

豪徳寺からふと東へ向かうと、
烏山緑道を「稲荷下橋」で越える。
烏山川時代(古い文献や地図には「烏山用水」とあるけど、これは烏山川の水量が少なかったので江戸時代に玉川上水から水を少しもらい、用水として使っていたから。元は自然河川なので烏山川と呼びたい)、ここに「稲荷下橋」がかかってたのだな。
明治末期の地図だとこの辺に水車小屋があったもよう。橋がかかったのはその頃かそのあとだ。


「稲荷下橋」ってことは、「近くに稲荷神社がある」ってことである。「下」ってことは、普通に考えて、稲荷は「上」にあるのだ。
烏山が作った河岸段丘を考えると、片側は世田谷城(当時)なので違う。
ってことは、東側の段丘上にあったはずである。
というわけで、東京時層地図の出番。


はい。ちゃんと神社マークがあります。
でも行ってみると、神社なんて影もかたちもない。
高度成長期にそこに区役所の庁舎ができたのだ。



そのときに……神社を壊して終わり、ってことは考えづらいので
ありがちなパターンとしては
・建物の屋上や中庭などその敷地内でちょっと移動して現存
・近くの大きな神社に合祀してもらって末社として現存
である。
どっちなんでしょうね。昭和の話なので調べればわかると思うけど、
そんなことしてたら今日撮る予定の作例を撮り終わらないのでここで話は終わり。

そうそう、向かいの公園に小さなトタンで囲われた庚申塔を発見。
最初はここに遷座されたかとちょっとワクワクしたんだけど
溶けかけた庚申塔でありました。
この坂、明治初期の地図にも載ってたので、昔からの道なんでしょう。



こうやって古い地図を見ながらうろちょろするのが面白い。
そうそう、地名ってどんどん失われてるけど、
橋の名やバス停に意外に残ってるので楽しいもんですよ。

ちなみに、稲荷下橋のひとつ下流にある品川橋、
戦国時代、吉良頼康が吉良城城主だった時代、常盤姫伝説ってのがありまして、
その常盤姫が城を抜け出して渡ったのが品川橋だったという。
ここを渡って南東に向かい、世田谷通り近くの石橋あたりで殺されてしまったとか。
詳細は「名残常盤記」で。


2015/01/18

仕事の合間に国土地理院サイトから昭和11年の航空写真を楽しむ

今日は「境界協会」のフィールドワークで
横浜からシーバスに乗って大桟橋で……という楽しい横浜の日。
でもキャンセル。とほほ。

さて働くぞ。
ってんで、
ひたすらエイ出版のMacBookムックの原稿書き。
とりあえず8ページのWindowsユーザーのためのMac入門的な記事を
延々と書き続ける。
それが終わったら、巻頭の12ページ。
全部で20ページもあるやん。
ともあれ、月曜の朝までになんとか書き上げてメール。
いやあこれだけ集中して原稿書いたのって久しぶりやわ。

で、原稿中の息抜きは国土地理院地図。
デザインが新しくなって、スマホでも見やすくなった。
よいのは検索窓が常に一番上にでてること。
それからデータの重ね合わせがわかりやすくなったこと。
前からできてたはいたんだけど、
たとえば、明治前期の低湿地データを重ねて見ると、
昔川だったとこがよくわかる。今は暗渠になってるとこも一発。
まあ明治前期のデータなので、ん? ちょっとずれてるんじゃね、
ってとこもあるけど、これはよい。

国土地理院地図より

さらに、古い航空写真も探せる。
古い写真は「単写真」といって地図上の撮影ポイントが出て、
それを開くと、別サイトの、そのポイントで撮影した航空写真を見られるのだが、
探しやすくていいのだ。
なんと、昭和11年の航空写真なんてのもあるのである。戦前ですよ、戦前。
国土地理院地図より
で、だな。ここで青山の昭和11年の航空写真を見てみると、こうである。

つい黒塗りエリアが気になってFaceBookに描き込んでしまったら、あっさり、
皇族の土地じゃね、ってことで解決。
確かに、赤坂御用地も塗りつぶされていたものな。
いやあ面白い。

昭和11年ってまだ六本木通りは影も形もなかったのよ。

あとは古地図も見られれば完璧なんだが。。いつかやってくんないかな、国土地理院。

ちなみに国土地理院の新バージョンの地図サイトはこちらです。
地理院地図

2015/01/17

渋谷駅は工事中

カメラレビュー用スマホ2台を抱えて
渋谷で昼から夕方まで人物作例撮り。
むしろ興味は渋谷駅前再開発工事進捗状況。
もうかなり丸ごと大工事の様相を呈していて
東急東横線ホームは完全になくなって
歩道橋から山手線ホームが丸見えで
東急東横店東館はほとんどなくなり
銀座線ホームだけがぽつんと残っている様子がたまらんのでした。



昨日今日で疲れたので早寝。

2015/01/16

ぶらり新潟へ

ここ数年、毎年、ITMediaの撮影術絡みで雪国へ行っているのであるが、
今年は新潟にしたのである。

たまたま昨年だか一昨年だか、スリバチ学会フィールドワークの折、
新潟のNPO法人「まちづくり学校」の中の人とともだちになりまして、
その人に雪の新潟を案内してもらうことにしたのだ。
NPO法人まちづくり学校

というわけで上越新幹線。越後湯沢より北にはいったことなかったので
どのくらい雪深いかと思いきや。


あ。越後湯沢から長岡は雪の中だったのに、
燕三条を過ぎたら雪ほとんどないやん。

新潟平野は平野なのでそれほど雪深くはないそうな。

新潟駅に近づくと、ビッグスワンが見える。
いいねえ。回りに高い建物がないので遠くにはっきり見えるのだ。
これを見ちゃうと、一度観戦に行きたくなるってもんです。

新潟駅前は雪がないってことで、
車で山奥の方へ案内してもらう。

雪に埋もれた映画館廃墟とか。


雪の住吉神社とか。

津川。
ここ、会津と新潟を結ぶ古街道筋で、川を使った水運が発達してて、住吉さんが勧請されたのもおそらくその関係である。

さらに山奥へ向かう。
途中、ダムに出会ったので雪のダムパノラマ。
この寂莫とした風景がたまらん。



にしても、廃墟とかダムとか神社とかそんなのにばっか心惹かれてていかんですな。

で、思ったより雪がない。
いや、雪はあるんだけど、どれも以前降った雪が溶けかけてるという感じ。
12月にどかっと降ったあとはけっこう暖かかったそうで
雪景色ネタは毎年難しいですわ。

まあそれはそれでなんとかするかって感じで、
山道で除雪車とすれ違ったり

雪山に沈む夕日を撮ったりしつつ、
最終のひとつ前の新幹線で東京に戻ってきたのでありました。

山賀さま、案内ありがとう。