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2016/09/04

三田から芝へ七つの神社をめぐる日曜日

田町でマンフロット社日本法人10周年記念ファン感謝デー。
アウトレット製品がすごく安くて
190とジュニアギア雲台を買いそうになったのだが
今金欠なので我慢する。んぐぐ。

一足先に会場を離れてた三井さんらが近所でお茶してるというので合流して
4人でお茶。

3人はカメラを買いに車で行くと言う。
わたしはちょいと訪れたい神社があったので
札の辻橋を越え、
国道15号へ。

三田春日神社
慶應大学脇の斜面に沿って鎮座する。
958年に目黒区三田に創建。藤原氏が武蔵国国司として訪れた際、
藤原氏の氏神である春日神社を勧請したという。
戦国時代、港区三田(現在地)に遷座。
目黒区と港区の両方に「三田」があるけど、昔は「三田」の範囲が広かったのだ。

柳神社
稲荷。江戸時代後期に芝松本町の守護神として勧請された小さな街の神社。

蔵稲荷神社
ここはノーマークだった。柳神社の裏手に出ると、高層マンション敷地の片隅にこんもりとした塚があり、木々の隙間から祠が見える。何かと思って反対側へ回って見ると、蔵稲荷大明神と書かれた鳥居があり、塚を登ると稲荷神社なのである。
この場所、江戸時代は薩摩藩の蔵屋敷があり、そこで屋敷稲荷として勧請されたものらしい。それが残ったのだろう。なんとも築山の上に置いてもらえるとはなかなかである。絵的にも面白い。

伏見三宝稲荷
赤羽橋の南側にある小さな稲荷。ポケモンGOのジムになってる。
交差点の小さな稲荷だが、ここにやってきたのは昭和60年。創建は明治初期らしい。
鳥居脇に大正6年の馬頭観音あり。

赤羽橋を渡り、東京タワーを右手にみつつゆるやかな坂を飯倉に向かって上る。
P9040053.jpg

飯倉熊野神社
奈良時代初頭(養老年間)、芝の浜辺に勧請された熊野神社がそののちこの場所へ遷座したそうだが、熊野神社が広がりはじめたのは平安時代のことで、ちょっと養老年間は古すぎる気はする。中世あたりが妥当か。

飯倉交差点を右折して東京タワー方面へ少し歩き、最初の角を左にはいる。
目的地は幸稲荷神社。未訪問だったのである。今日一番訪問したかった神社だ。

幸稲荷神社
室町時代の応永元年(1394年)、岸之村の鎮守として勧請されたのが始まりで、当時は岸之稲荷と呼ばれていたそうな。その場所は増上寺の前、今の東京電力あたり。
室町時代はそのあたりまで海が来ていたのだろう。
鎌倉街道が通っていたと伝わっている。旧東海道より少しだけ内陸より。
にしては海に近すぎるかなという気はするも、江戸城が小田原北条氏のものになった後なら考えられるかもしれん。
文化8年現在地へ遷座。末社の瘡護(かさもり)稲荷は腫れ物を治してくれる系の稲荷。

元来た道を戻って飯倉交差点から少し北上して久しぶりに西久保八幡神社。
ここも坂の上。

西久保八幡神社
平安時代の11世紀初頭、霞ヶ関に創建、太田道灌が現在地へ遷座。関ヶ原合戦の際秀忠の正室が戦勝を祈願したとか。旧東海道が整備される前はこの国道15号のルート(桜田門→霞ヶ関→飯倉→二本榎通り)が東海道(奥州道)として使われてたんじゃないかと踏んでるんだがどうでしょう。縄文時代の貝塚も見つかっている古い土地。
舌状台地の上で、神社を置き街道を抑えるのに非常に都合が良い場所である。

暑くて疲れたので、西久保八幡裏手から崖を降り、我善坊谷の寂れっぷり(森ビルが再開発するためにどんどん地上げしてるから)を見て、神谷町駅より帰宅。

西久保八幡の裏道から見る我善坊谷を記憶しておくためのシータ。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

西久保八幡の境内の奥にすごく狭い階段があり、急な崖を降りていくと(夏はもうジメジメジトジトしてるんだがそれもまたよし)、廃墟がずらっと並ぶのである。
森ビルが再開発を始めるまでの期間限定風景なり。

・今日のログ


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