平井の日。
平井駅前にある平井オープンボックスで開催される
「「暗橋」で楽しむ平井さんぽ ~平井の本棚・半径3㎞の新たな出会い展 開催記念トークイベント」
へ。
「「暗橋」で楽しむ東京さんぽ」なる本を書いた暗渠マニアックスのおふたりと、旧町名の本を書いた102so(じゅうにそう=十二社、と読むそうです)さんのトークライブで、
暗渠マニアックスのふたりはもともとの知り合いで、「「暗橋」で楽しむ東京さんぽ」のブックデザインやレイアウトを妻が手がけていることもあり、
妻が招待されたのでわたしもくっついていったのである。
で、イベントは17時から。それまで時間があるなってことで、ひと駅手前の亀戸で下車して街歩きしながら向かうことにしたのだが、炎天下は暑かった。
亀戸天神はスルーし、
亀戸駅から北上してまずは香取神社。
香取神社は下総国一宮であり、江戸時代に武蔵国に編入される前はここは下総国だったのだ。
隅田川以東に香取神社が多いのはもそのせいである。ここの香取神社は665年創建という。
香取神社には「亀の井」という亀戸の地名の起こりとされてる井戸があったそうである。
亀戸の亀は、亀の甲羅のような州があったのが由来といわれており、海に近く、真水が得られる井戸は貴重だったのだろう。
665年創建というのがある程度の史実を含んでいるのなら、当時はこのあたりが陸地の南端だったと思ってよさそうだ。
さらに北上してスカイツリーがよく見える北十間川を渡り、
吾嬬神社を抜ける。
吾嬬神社はその名の通り、日本武尊伝承がある土地。当時、浮洲の森があり、吾嬬の森と呼ばれていたそうである。
吾妻神社の辺りや香取神社の辺りは往古は中川の河口あたりにいくつもの州があったのだろう。
吾妻神社の裏を抜けて行徳道へ出る。
行徳と浅草を結んでいた古い街道なのだ。
たぶん、江戸時代より前からあったんじゃないかな。場所的に。
平井は室町時代からある地名だし。
そして東あずま(ひがしあずま。あずまといえば東のことなので何がなんだかな地名ではあるが、このあずまは「吾嬬」のあずまなのだ。漢字だと東吾嬬。記紀によると、日本武尊が走水で失った妻を嘆いて「あづまはや」と言ったのが、東国を「あずま」と呼ぶ語源とあり、あずまは「東」を指す言葉であるから、「ひがしあずま」は「東東」なのだ)駅前で踏切を渡る。
当初は「平井街道」駅だったが(行徳道沿いに駅があるからね)、戦後「東あずま」駅に名前が変わったのだ。吾嬬神社があることからこの辺は「吾嬬」と呼ばれており、吾嬬の東だから「東あずま」なのだろうけど、もやもやする。
ともあれ、駅前のあんみつのお店でクリームあんみつをたべてひとごこち。
行徳道沿いに大井戸稲荷あり。由来は傍らに井戸があって旅人のノドを潤していたからという。やはり海に近い街道で真水が貴重だったのだというのが偲ばれるわけである。
行徳道を辿り、平井橋で中川を渡り、
旧道沿いに、道標、諏訪神社、平井聖天として知られる燈明寺を参拝し、
平井駅へ。
駅前で熱中症らしき症状で倒れた人あり、近所の人が助けようとしてる。
手伝おうと119番にかけるが、一向につながらず。
やがて、駅前の交番からおまわりさんがやってきて助けてくれる。
倒れた人を最初に見つけた人が交番に走ってくれたそうである。
次々と近所のお店の人が氷をもってかけつけたりして
下町っぽさを感じる。彼は無事回復したろうか。
そうこうしてるうちに時間になったので平井の本棚2F にある平井オープンボックスへ行き、トークイベントを楽しむ。
会場にはなんと「東東京区区」(ひがしとうきょうまちまち)の作者かつしかけいたさんもいらしててびっくり。
「東東京区区」は東京低地を散歩するマンガなのだけど、登場人物の多国籍感も含めて非常に面白いのでおすすめ。
東京低地の古道ってなかなか行く機会がないので、炎天下でへろへろになりつつも歩いてみてよかったわ。海に近い低地ならではの歴史が隠れてるもの。今は海も遠くなって、海沿いって意識はないけれども。
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