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2026/04/28

0428:上野五重塔が開かれた!

東京古道散歩の下見を兼ねて上野へ。

先月、上野東照宮の五重塔が東照宮側からもアクセスできるようになったと聞いて見に行く。

ほんとにフェンスの一部が開いてた。

ここ、もともと東照宮の一部だったのだけど、明治初期の神仏分離期に五重塔は仏塔なので神社の一部にはできない、破却だ、となりそうになったところに、寛永寺が「いやそれはうちのものだ」ってことにし、東照宮とは関係ないってことで生き延びたのだけど、その後寛永寺がうちで維持するのは難しいってことで東京へ寄贈。

東京は上野動物園の敷地の一部としたために、動物園側からしかアクセスできなくなったのだ(もちろん動物園の入場料は必要。東照宮側からはフェンス越しにしか見られなくなった)。

って話を今度出る単行本に書いていたのだが、東照宮側からもはいれるにようなったというので急遽書き換えが必要になり、写真撮影と現状チェックを兼ねてみにいったのである。


何が起きていたか。

五重塔を一周できる園路があったのだけど、それを2ヶ所で閉鎖し、半分は動物園側から、半分は東照宮側から入れるようにしたのだ。

なるほど。


上野から入谷へ古道散歩の下見。三島神社が思いきり建て替え(神社の敷地にマンションを建て、神社自体は縮小されて残る)の真っ最中だったのがちょっとショック。


そのあとは、江東区へ行き、震災復興小公園の項を書くべくシェアサイクルを借りていくつか走り回り、写真を撮る。当時の意匠が残ってる公園があるのだ。


2026/03/31

0331:取材とフィールドワークの日

午前、「銀座たてもの探訪」の取材で泰明小学校。


午後、週末の東京古道散歩の下見で上野から浅草へ歩く。雨だったけど。

今回の目玉は浅草三十三間堂跡。

実は江戸時代初期、浅草に三十三間堂があったのだ。

京都の三十三間堂の長く真っ直ぐな外廊下が武家の間で通し矢の腕比べ場所として流行り、

江戸にも作ったのである(通し矢のために!)。

焼失後、深川に移ったのだけど、通し矢のためだけに造った三十三間堂という名の腕試しの場だったので、周辺に何もないときはよかったけど、寺院が建ち並び、町もでき、人口が増えるにつれ、そんなとこにあるのは危険ってことになったんじゃないかと思う。

で、火事を機に、より田舎の深川へ移転したのだ。

当時の名残は、三十三間堂に勧請されたという矢先稲荷のみなのだった。







2026/02/01

0201:東京古道散歩の下見の日

お昼は銀座で小冊子用の再撮影。2点ほど差し換え用のカットを撮る。

土曜日の「東京古道散歩」に向けて

カメラ持って下見に。白山神社から小石川。


当初は簸川神社にも立ち寄るつもりだったのでそちらへ足を伸ばしたけど、意外に遠くて時間がなくなりそうだったので、節分豆まき大行列だけ見てボツに。

節分は2月3日だけど、日曜日である本日に豆まきを行うってことで、みんな大行列。ご近所の人に尋ねたら、60人ずつの入場制限してるそうな。すごいな。


で、極楽水から医師手塚良仙邸跡(手塚治虫のひいお祖父さん)から三百坂上って伝通院。

善光寺坂を下ってこんにゃく閻魔&塩地蔵というコース。





2026/01/09

0109:東京古道散歩の下見で旧本郷区を歩く

 17日の東京古道散歩の下見に出かける。

湯島から切通坂を上り、


春日局に挨拶して


寛永期創業という超老舗和菓子屋「壷屋」でもなか。



本郷三丁目から北上し、菊坂あたりを下ったり上ったりして


追分から中山道に入り、大円寺でほうろく地蔵に手を合わせて


白山神社まで。



2025/06/02

0602:東京古道散歩の下見の日

新橋で某社の某な某。

その後、土曜日の「東京古道散歩」の下見で赤羽橋へ。

赤羽橋駅から神明坂を上り、



日向坂を下り、


麻布善福寺参拝ののち、


仙台坂を上って麻布氷川神社。


一本松坂を下り、鳥居坂下から六本木ヒルズ前を抜け、


芋洗坂を上って朝日神社。


ハードロックカフェの前を抜け、六本木交差点から龍土町。


そして乃木坂で解散というルート。

東京古道散歩初の「坂道シリーズ」。

でも歩くのはすべて、寛文期の江戸外絵図に描かれてる古道なのである。

で、帰宅して、

東京古道散歩の配布資料を作り始めてダウン。


2025/03/20

0320:高輪散歩の日

休日。

近所の街歩き友らと高輪散歩(東京古道散歩の下見兼ねて)。

高輪ゲートウェイシティで何かランチ食べられるかなと思ったら、

オープンは7日後だった。がーん。しかもあらかじめ候補にあげてくれていた中華料理屋も休みだった。


でも、たまたま見つけて入ったネパール料理屋が良かったのでよし。


今日がたまたま赤穂浪士が切腹させられた日(旧暦だと2月何日)で、

普段は非公開の切腹の地が公開されていてボランティアの人が解説してくれるというので行く。


肥後細川家の屋敷跡で、殿様がその場所を保全するように言い残したので今でも残っているのだそうな。

大石内蔵助が切腹した場所には目印として石が置かれている。


偶然とは言えよいタイミングでありました。

その後、聖坂の蟻鱒鳶ル(アリマストンビルのアリマストンビを漢字にしたのだと気づくまで読み方が分からんかった)の外観が完成してるというので観に行く。

周辺は再開発中で、このビルは少し位置が動かされるそうな。


高層マンションとこのビルが同時に存在する姿が楽しみである。


ついでに、御田八幡宮旧地のあった一帯(旧讃岐会館裏)が再開発されているというので、旧地の碑はどうなったのかと見に行ったら、完全に更地になってた。なんてこった。

また元の場所に戻されるだろうか。でも、あの地形の妙は失われるだろうなあ。


御田八幡宮は今でこそ東海道沿いに鎮座しているけれども、旧地は久保御田。上の写真の場所だったのだ。窪地に八幡宮ってのは変なんだけど、行ってみると窪地に向かった小さな斜面の上、台地のキワで、確かに神社に相応しい場所だったのである(でも更地になってしまったその地形の妙が失われそうである)。

麻布十番まで歩いてお茶して解散。


2024/04/06

0406:「東京古道散歩」で日本橋から浅草橋まで歩く日

 予想外の満開桜に出会えた「東京古道散歩」。

雨が不安だったけど、なんとか降られずにすみました。

ありがたや。





参加してくださったみなさまありがとうございました。

ちょっと打ち上げして帰宅したら夜桜だった。



2024/03/02

0302:「東京古道散歩」の日

目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の日。

待ち合わせは成増駅。ちょっと早めに行ってランチ。

調べたら、駅前の立ち食い焼肉ライスが名物だというのでそこへ行く。

焼肉丼なんだけど、ここでは焼肉ライスなのだ。



さて、幸いなことに晴れているので出発。

いったん線路沿いに東へ向かって暗渠を辿って「コジベイ久保」。「小治兵衛」と「小次兵衛」の2つの表記があり(庚申塔の解説には「小次兵衛」、横に立っている碑には「小治兵衛」)、どっちが正しいのか……まあどっちでもいいというかその辺は両方あるんだろうな。口碑の伝承が元なのだから。

しばらく国道254号(現川越街道。旧川越街道を拡幅した部分)を西へ歩き、

白子川の谷へ下る直前で旧道が分かれる。

新道は台地の端を切り通して緩やかに坂を下るのだが、旧道はしばらく台地が続いたのちに急坂で下るのだ。

途中、地蔵尊やら道祖神やらを集めた一角がある。

坂を下ってしばらく白子川へ向かって歩くと、川の直前で埼玉県に入る。

今の川は直線に直されているが、旧流路はくねくねしており、それが境界になっているのだ。

埼玉県に入ると白子宿である。

白子宿の道は崖の手前で左に直角に曲がり、その後、右に大きく曲がりながら坂を上る。

クランク状の宿場は小田原北条氏らしいところ。北条氏が宿場と楽市楽座を作ったのだ。

世田谷新宿と同じパターンだね。あそこも大きくクランクさせて宿場にしてる。

白子宿の崖は湧水の宝庫。

地福寺、滝坂の小島家の湧水、熊野神社、青龍寺の滝、さらに本陣をつとめていた富澤家の湧水と豊富だ。

小島家の湧水は小島家の敷地が再開発中で見られなかったけど、隙間からは確かに小さな湧水が見えた。



熊野神社はきっと中世のものだろう。中世に熊野信仰が流行ったから。

そこにある富士塚は明治3年のもの。きれいな形でいつでも上れるのでみんなで富士登山する。


そして、神社の脇にある白子コミュニティセンターでトイレ休憩。

中には白子宿の昭和21年を再現したジオラマがあり、予想以上によい休憩に。


休憩後は滝修行ができたり洞窟がある清龍寺。江戸時代までは熊野神社と一体だったのが神仏分離で分かれたのだろう。

そして、富澤湧水で崖からしみ出る湧水をチェックしたのち、

川越街道の旧道の旧道である大坂を上り、

代官屋敷(Daikanと書いてある)や馬頭観音を愛で、浅間神社でもうひとつの富士塚(こちらは溶岩で作られたコンパクトな富士塚だ)を参拝し、



あとは引又道を歩いて和光市駅へ行って解散。


有志数人でファミレスでお茶して帰宅したのだった。