目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の日。
待ち合わせは成増駅。ちょっと早めに行ってランチ。
調べたら、駅前の立ち食い焼肉ライスが名物だというのでそこへ行く。
焼肉丼なんだけど、ここでは焼肉ライスなのだ。
さて、幸いなことに晴れているので出発。
いったん線路沿いに東へ向かって暗渠を辿って「コジベイ久保」。「小治兵衛」と「小次兵衛」の2つの表記があり(庚申塔の解説には「小次兵衛」、横に立っている碑には「小治兵衛」)、どっちが正しいのか……まあどっちでもいいというかその辺は両方あるんだろうな。口碑の伝承が元なのだから。
しばらく国道254号(現川越街道。旧川越街道を拡幅した部分)を西へ歩き、
白子川の谷へ下る直前で旧道が分かれる。
新道は台地の端を切り通して緩やかに坂を下るのだが、旧道はしばらく台地が続いたのちに急坂で下るのだ。
途中、地蔵尊やら道祖神やらを集めた一角がある。
坂を下ってしばらく白子川へ向かって歩くと、川の直前で埼玉県に入る。
今の川は直線に直されているが、旧流路はくねくねしており、それが境界になっているのだ。
埼玉県に入ると白子宿である。
白子宿の道は崖の手前で左に直角に曲がり、その後、右に大きく曲がりながら坂を上る。
クランク状の宿場は小田原北条氏らしいところ。北条氏が宿場と楽市楽座を作ったのだ。
世田谷新宿と同じパターンだね。あそこも大きくクランクさせて宿場にしてる。
白子宿の崖は湧水の宝庫。
地福寺、滝坂の小島家の湧水、熊野神社、青龍寺の滝、さらに本陣をつとめていた富澤家の湧水と豊富だ。
小島家の湧水は小島家の敷地が再開発中で見られなかったけど、隙間からは確かに小さな湧水が見えた。
熊野神社はきっと中世のものだろう。中世に熊野信仰が流行ったから。
そこにある富士塚は明治3年のもの。きれいな形でいつでも上れるのでみんなで富士登山する。
そして、神社の脇にある白子コミュニティセンターでトイレ休憩。
中には白子宿の昭和21年を再現したジオラマがあり、予想以上によい休憩に。
休憩後は滝修行ができたり洞窟がある清龍寺。江戸時代までは熊野神社と一体だったのが神仏分離で分かれたのだろう。
そして、富澤湧水で崖からしみ出る湧水をチェックしたのち、
川越街道の旧道の旧道である大坂を上り、
代官屋敷(Daikanと書いてある)や馬頭観音を愛で、浅間神社でもうひとつの富士塚(こちらは溶岩で作られたコンパクトな富士塚だ)を参拝し、
あとは引又道を歩いて和光市駅へ行って解散。
有志数人でファミレスでお茶して帰宅したのだった。
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