赤坂の夜。
夜、赤坂の地図バーMで東京スリバチ学会の皆川さんを囲む会。
せっかくなので早めに赤坂へ向かい、
あれこれ写真を撮りつつ回る。
山王日枝神社がちょうど閉まる時刻にあたり、
随神門が閉じられるさまを見る。
にしても、ここ、「山王日枝神社」だったり「日枝神社」だったりで面白い。
正式名称は「日枝神社」なのだけど、江戸時代は「山王さま」(あるいは山王権現とか山王宮)と呼ばれており、最寄りの駅も「溜池山王」だ。
日枝神社の「日枝」は「比叡山」の「ひえい」。
思いきり詳細を略していうと、最澄が比叡山延暦寺を開いたとき、比叡山の守り神として「山王権現」を祀った、延暦寺を護る山の神様であり、明治元年の神仏分離令の際、「山王」をはずして「日枝神社」となったのだ。
でも江戸の記憶として「山王」の名はずっと残り、今にいたってもやはり「山王さま」で、日枝神社の祭は「山王祭」なのである。
だから一般に「山王日枝神社」と呼ばれるのだ。だから4月に出る本でも「山王日枝神社」と書いている。
山王日枝神社が閉まったので、周辺を散歩しつつ赤坂へ。
そして一ツ木通りを歩きつつ赤坂不動尊に参拝し、
ちょっと時間が余ったので日が暮れるまでカフェで一服し、
2羽のインコを撮りながら現地へ。
10分ほどはやく地図バーMへ辿り着くと、皆川さんら3人がその前で立ち話をしてたので合流してバーへ。
今回の主役は建築業界の重鎮(なのか?)おふたり。
NYCではインチとメートルの違いに苦労したという話などを聞きつつ、
ここでは書けない話も聴きつつ、
めっちゃ楽しい夜を過ごす。お酒もちょっぴり飲んだわね。
そして、茨城出身の方のお土産、将門煎餅をいただく。
平将門って下総国の人なんだけど、下総国って廃藩置県ののち、
ほとんどが千葉県になったのだけど、将門のいた下総国の北の端っこの方は茨城県に組み込まれたのだ。そして将門が討たれたのは下総国だけど、今の茨城県なのである。
その辺を知ってるとややこしくて面白い。
0 件のコメント:
コメントを投稿