2017年8月20日日曜日

迎賓館赤坂離宮を堪能した日-本館ライトアップ編-

本館を堪能したら18時半。
前庭へと移動する。
18時45分からライトアップなのでそれ狙いである。
夜景作例も必要だったことだし。


そのために、手持ちスローシャッターができるカメラとレンズを持ってきたのだ。

ライトアップ前とあとをどうぞ。

ライトアップ前。

ライトアップ後。

ライトアップ前のマジックアワーな迎賓館もよいですな。
で、あれこれ写真を撮って回る。




WBはその都度調整しながら撮っております。
ちょっとライティングの赤みを残したいときもあれば、
WBをライティングに会わせて迎賓館を白く出したいときもある。
というわけで。

そしてそろそろ帰るかと迎賓館から離れていくと、


近くで、空爆でもはじまったかのような轟音が響く。
神宮外苑の花火大会がはじまったらしい。

この花火大会って好きじゃないのよね。
場所柄高く大きなのを打ち上げられない上に
音ばかりでかくひびくから、
空爆を想像しちゃう。

森の隙間からちょっとだけ花火を覗く。
噴水と花火。
いやあ、こういうとき、E-M1 Mark IIと12-100mm F4のカップリングは最高だわ。
手持ちでもISO感度を上げないでこれだけ撮れるもの。

ライトアップは19、20日だけだけど、
本館の一般公開は29日までなので、行くべし。
個人的なお勧めは、本館主庭の噴水と地形です。

で、帰宅。



迎賓館赤坂離宮を堪能した日-地形と本館編-

作例撮りついでに、赤坂にある迎賓館赤坂離宮へ行ってきたのである。
土日はライトアップする←夜景作例を撮れる!
一般公開日で本館の中に入れる上に、藤田嗣治の絵も観られる!
というわけで行かねば案件だったのだ。

実は本館内の一般公開へ行くのははじめて。
四ッ谷駅で降り、正面から入ろうとすると、


本館を観覧する人はこっちじゃなくて、西門へ回ってくれといわれる。
ぐるっと鮫河橋方面へ少し歩くと、西門。
警備員に見つめられながら撮影。
少しだけ空いてる簡素な門から中へ入る。

人が少ない。もっと大勢おしよせてるかと思ってたのだが、ちょっと拍子抜け。
このまま案内に従って奥にある受付へいけばいいのだが、
その前に見逃してはいけないポイントがひとつ。
それは首都高。
迎賓館敷地内を首都高が走ってるのだ。

正確にいえば、敷地の地下を首都高が走ってて、
その一部が吹き抜けになってて上からみえるのだ。
このときカメラはバッグに入れっぱなしだったのでiPhone+ワイコンで撮影。


これは面白い。
地図でみるとよくわかる。
今日歩いたログごとどうぞ。「スーパー地形」アプリ。

首都高が前庭の真下を抜けているのがよくわかる。

ちなみに赤坂離宮跡は戦後、国に移管されて様々な用途に使われ、迎賓館の前は「東京オリンピック組織委員会」が置かれたそうで、ここを首都高が通ったのは1964年なので、オリンピック直前である。

その後、1974年から迎賓館として使われるようになった。

首都高を堪能した後は受付。
行列用のロープが虚しいくらいに誰もいなくてびっくり。
ここの一般公開日って来場者がすごく多くて混雑してるってイメージがあったのだけど
そんなことはないのか。
あるいはけっこう一般公開してるので、昔ほど珍しくなくなったのか。

来場前に細かく持ち物検査が行われ、
そののち、チケットを買って入場。
今回は藤田嗣治の絵が展示されている分、普段の一般公開よりお高めらしい。

わくわくである。
で、入場。
見学できるのは本館内と主庭で、本館内は撮影禁止だけど、主庭はOkというのでカメラを取りだし、
真っ先に主庭へ。
赤坂御用地の地形を見たかったのだ。
上記地図で分かるとおり、主庭の南側はぐっと下がった谷地になってるのである。

本館のある土地から1段下がって噴水があり、さらにぐぐっと下がってるのがわかるかと思う。
徐々に南下する。
噴水を撮りながら、NDフィルタもってくればよかったなと思ってもあとの祭り。
E-M1 Mark II + 12-100mm F4という史上最強手ブレ補正コンビなのである程度のスローシャッターは手持ちでイケちゃうのだ。


さらに噴水の裏側へ。いよいよ高低差である。


この下には降りられないが、隙間から池の水がみえる。
警備員さん曰く、この向こうは迎賓館ではなくて赤坂御用地で皇室の土地なので、階段を降りてもその奥に柵があって入れない。
ここから御用地が覗けないよう、高い木が植えられた。
御用地の森にはタヌキやハクビシンやノラネコがいる。
そうである。

前掲した地図でわかるように、赤坂御用地は昔の複雑な地形がそのまま残っていて、
その中に古道跡があるという話もあり、
古道好きとしては一度散策してみたいのだが、無理だろうなあ。

で、地形と噴水のガーゴイルを楽しんだら、

本館へ。

本館内は撮影禁止。
とりあえず、明治時代後期に西欧に負けない西欧的な建築を、ってことで作っただけあって、けっこう絢爛で宮殿風。

どこもかしこも、欧州宮殿的で当時の日本のコンプレックスや、西欧風にしないと欧米から一人前の国と思ってもらえなかった事情もあるのだろうなと思いつつ
建築や意匠を楽しむ。

どの部屋にも少しずつ和のテイストが紛れ込んでいて、
豪華絢爛なシャンデリアがぶら下がってる花鳥の間に、
日本の花や鳥を描いた七宝焼きが飾られてたり、
ナポレオンの帝政時代にフランスで流行したアンピール様式を取り入れたために
なぜかエジプト風の意匠がはいってて、
でもドアの上に鎧兜の武者がまじってたりするのが
面白い。

堪能してたら、偶然、大昔の会社員時代の同僚にばったり会う。
互いにびっくりする。

本館を堪能したら、
前庭へ。

---以下後編---

2017年8月19日土曜日

麻生のチョコレートケーキ露頭を観に行ってきた

数日前、小田急線から地層がみえる、って話が話題になったのであるが、
これ、工事が進んだら見られなくなるじゃん、
この辺の地形、その活用法も含めて面白いんだよなってことで
暑い中、作例撮りついでに行ってきたのである。

いやあ、おいしそうな多層チョコレートケーキ露頭でありました。

たまらんですな。手前にマンションを建てるために削っているらしい。
住所的には川崎市麻生区上麻生。
電車的には小田急線の柿生駅と新百合ヶ丘駅の間。
小田急が走っているのは麻生川が作った谷で、
上の写真の丘は麻生川が削れなかった多摩丘陵。
柿生駅から歩いた方が面白い。

柿生駅の東側に出て少し歩くと、線路に沿った南北の道がある。
これ、古道。義経伝説もあるような場所なのだs。
新百合ヶ丘へ向かって歩くと左手に小さな稲荷がある。

さらに北上し、ガード下をくぐり、左手に小田急線、右に丘を見ながら歩くと、この地層ケーキが現れる。
カシミール3D+スーパー地形セットでみるとこんなである。

南から歩いてきて、
麻生川の支流(あるいは人工的な用水路)が小田急の線路下から顔を出すあたり、
道路が丘陵の端に沿ってゆるくカーブするあたり。
上記地図の「A」地点である。
地形データは少し前のものなので、A地点がぽこんと岬上に飛び出てるのがわかる。
Googleストリートビューで北側から見た図はこんな感じ。

それが今はどうなっているか。
こうである。いやあ、見事なものですな。

丘上のマンションと手前のゴミ捨て場が一致してるのがわかるかと思う。
この岬上の部分がごそっとマンション建設のために削られたのだ。
で、削ったばかりの露頭が小田急からよく見えるので話題になったという次第。
南からみるとこうである。

下の方の層は「上総層群」と呼ばれる古い地層で、洪積台地の洪積部分。
武蔵野台地の基礎となる層。
上の方は関東ローム層。
でもどこがどうなのか詳しいことは、専門家でも現地で見ないと断定できないといわれてしまった。
(FB友達にそっちの専門家がいるので尋ねてみたのである)
見事な地層なので、わかりやすい調査報告書でも作ってくれないかな。
勉強にもなるし。


この場所、実は街歩きとか地形歩き好きには有名な場所で、
それはこの露頭の置くにみえるマンションとその奥に見える「高台住宅」による。
この高台住宅、オーバーハングしてるのだ。
もとの地形を考えると、手前のマンションは土を削って建ててるのに対し、
奥の高台は思い切り土を盛ってコンクリートで固めて土地を作ってる。
しかもオーバーハング。
上の地図でいうと「B」のエリアだ。


いやはやこれはすごい。住んでる人、地震の時こわかったろうな。
ちなみに、この上に立っている住宅へは丘の上からアプローチする。
気になるので、ぐるっと回って坂を上って丘の上へ行くことにする。
このオーバーハング住宅の先には墓地がある。

井上家の墓地らしい。このあたり、井上家の土地だったのだろう。
ぐるっと回った坂を上り、
上記地図の「C」地点から撮った写真がこちら。

四階建てのマンションの屋上と台地の高さが同じくらいってことだ。

このまま元の道を戻るのも癪なので
そのまま南下して(上記地図の白い線の道)、
古くて狭い坂を下りて(行き止まりと書いてあるが、徒歩なら抜けられる)

ふたたびチョコレートケーキ露頭の前を通り、
北上して新百合ヶ丘駅へ到達して
暑くて疲れたので、喫茶屋OBでデカいアイスコーヒーを呑んで一息。


まだ早い時間だが、今日は雨が降るという予報だったのでさっさと帰宅。
そして、たまがわ花火大会の直前に豪雨がやってきて
花火大会は中止となったのであった。

ちなみにこのあたり、
昨年末にも歩いてるのである。そのときのもようはこちら。
同じ位置で同じ稲荷神社撮ってるという進歩ないわたしでした。