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2025/06/02

0602:東京古道散歩の下見の日

新橋で某社の某な某。

その後、土曜日の「東京古道散歩」の下見で赤羽橋へ。

赤羽橋駅から神明坂を上り、



日向坂を下り、


麻布善福寺参拝ののち、


仙台坂を上って麻布氷川神社。


一本松坂を下り、鳥居坂下から六本木ヒルズ前を抜け、


芋洗坂を上って朝日神社。


ハードロックカフェの前を抜け、六本木交差点から龍土町。


そして乃木坂で解散というルート。

東京古道散歩初の「坂道シリーズ」。

でも歩くのはすべて、寛文期の江戸外絵図に描かれてる古道なのである。

で、帰宅して、

東京古道散歩の配布資料を作り始めてダウン。


2025/03/20

0320:高輪散歩の日

休日。

近所の街歩き友らと高輪散歩(東京古道散歩の下見兼ねて)。

高輪ゲートウェイシティで何かランチ食べられるかなと思ったら、

オープンは7日後だった。がーん。しかもあらかじめ候補にあげてくれていた中華料理屋も休みだった。


でも、たまたま見つけて入ったネパール料理屋が良かったのでよし。


今日がたまたま赤穂浪士が切腹させられた日(旧暦だと2月何日)で、

普段は非公開の切腹の地が公開されていてボランティアの人が解説してくれるというので行く。


肥後細川家の屋敷跡で、殿様がその場所を保全するように言い残したので今でも残っているのだそうな。

大石内蔵助が切腹した場所には目印として石が置かれている。


偶然とは言えよいタイミングでありました。

その後、聖坂の蟻鱒鳶ル(アリマストンビルのアリマストンビを漢字にしたのだと気づくまで読み方が分からんかった)の外観が完成してるというので観に行く。

周辺は再開発中で、このビルは少し位置が動かされるそうな。


高層マンションとこのビルが同時に存在する姿が楽しみである。


ついでに、御田八幡宮旧地のあった一帯(旧讃岐会館裏)が再開発されているというので、旧地の碑はどうなったのかと見に行ったら、完全に更地になってた。なんてこった。

また元の場所に戻されるだろうか。でも、あの地形の妙は失われるだろうなあ。


御田八幡宮は今でこそ東海道沿いに鎮座しているけれども、旧地は久保御田。上の写真の場所だったのだ。窪地に八幡宮ってのは変なんだけど、行ってみると窪地に向かった小さな斜面の上、台地のキワで、確かに神社に相応しい場所だったのである(でも更地になってしまったその地形の妙が失われそうである)。

麻布十番まで歩いてお茶して解散。


2024/04/06

0406:「東京古道散歩」で日本橋から浅草橋まで歩く日

 予想外の満開桜に出会えた「東京古道散歩」。

雨が不安だったけど、なんとか降られずにすみました。

ありがたや。





参加してくださったみなさまありがとうございました。

ちょっと打ち上げして帰宅したら夜桜だった。



2024/03/02

0302:「東京古道散歩」の日

目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の日。

待ち合わせは成増駅。ちょっと早めに行ってランチ。

調べたら、駅前の立ち食い焼肉ライスが名物だというのでそこへ行く。

焼肉丼なんだけど、ここでは焼肉ライスなのだ。



さて、幸いなことに晴れているので出発。

いったん線路沿いに東へ向かって暗渠を辿って「コジベイ久保」。「小治兵衛」と「小次兵衛」の2つの表記があり(庚申塔の解説には「小次兵衛」、横に立っている碑には「小治兵衛」)、どっちが正しいのか……まあどっちでもいいというかその辺は両方あるんだろうな。口碑の伝承が元なのだから。

しばらく国道254号(現川越街道。旧川越街道を拡幅した部分)を西へ歩き、

白子川の谷へ下る直前で旧道が分かれる。

新道は台地の端を切り通して緩やかに坂を下るのだが、旧道はしばらく台地が続いたのちに急坂で下るのだ。

途中、地蔵尊やら道祖神やらを集めた一角がある。

坂を下ってしばらく白子川へ向かって歩くと、川の直前で埼玉県に入る。

今の川は直線に直されているが、旧流路はくねくねしており、それが境界になっているのだ。

埼玉県に入ると白子宿である。

白子宿の道は崖の手前で左に直角に曲がり、その後、右に大きく曲がりながら坂を上る。

クランク状の宿場は小田原北条氏らしいところ。北条氏が宿場と楽市楽座を作ったのだ。

世田谷新宿と同じパターンだね。あそこも大きくクランクさせて宿場にしてる。

白子宿の崖は湧水の宝庫。

地福寺、滝坂の小島家の湧水、熊野神社、青龍寺の滝、さらに本陣をつとめていた富澤家の湧水と豊富だ。

小島家の湧水は小島家の敷地が再開発中で見られなかったけど、隙間からは確かに小さな湧水が見えた。



熊野神社はきっと中世のものだろう。中世に熊野信仰が流行ったから。

そこにある富士塚は明治3年のもの。きれいな形でいつでも上れるのでみんなで富士登山する。


そして、神社の脇にある白子コミュニティセンターでトイレ休憩。

中には白子宿の昭和21年を再現したジオラマがあり、予想以上によい休憩に。


休憩後は滝修行ができたり洞窟がある清龍寺。江戸時代までは熊野神社と一体だったのが神仏分離で分かれたのだろう。

そして、富澤湧水で崖からしみ出る湧水をチェックしたのち、

川越街道の旧道の旧道である大坂を上り、

代官屋敷(Daikanと書いてある)や馬頭観音を愛で、浅間神社でもうひとつの富士塚(こちらは溶岩で作られたコンパクトな富士塚だ)を参拝し、



あとは引又道を歩いて和光市駅へ行って解散。


有志数人でファミレスでお茶して帰宅したのだった。





2024/01/29

0129:「東京古道散歩」下見の日

 目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の下見でときわ台駅へ。

駅前で昼飯を食い終わった頃、XをチェックしたらApple IDが復活した旨のポストを発見。

iPhoneからアクセスを試みたら、無事復活してた。よかったよかった。

で、ときわ台駅から川越街道に出て、旧道をメインに下練馬宿経由で下赤塚駅まで歩く。







途中、てくてくと歩くだけのエリアがあるけど、まあしょうがない。

芦原妃名子さんの訃報を知る。

ショックで言葉もない。


2023/01/29

0129:高田馬場一帯を散歩する日

そろそろ次の東京古道散歩の配布資料を作らねばならない。

高田馬場跡から池袋へのルートは昨秋「まいまい東京」で歩いたルートなのでいいけれども、高田馬場駅から諏訪神社を抜けて高田馬場跡へというルートはずいぶん前に歩いたきりだったので、そっちをチェックしたくて出かける。

諏訪神社はもともと大国主命と事代主命を祀っていたところに徳川義直が諏訪大神(建御名方命)を勧請し、諏訪神社となった。なぜ義直かというと、そのみなみの戸山一帯が尾張徳川家の下屋敷になったからである。

諏訪神社は少し高台にあり北側に神田川の支流が流れていた。その支流を取り込んだ形で玄国寺があったが、明治以降に敷地が縮小されて、川の北側に墓地と地蔵尊、南側に寺と別れてしまった。

玄国寺に移築され、書院として使われている旧岩倉具視邸。

諏訪神社。空が広い!

その辺を確認しつつ歩き、北東に向かって斜めに通じる古道を通って高田馬場跡へ。

このルートは村尾嘉陵が八八幡詣でで歩いた道だ。彼は穴八幡から諏訪神社を経由して大宮八幡宮へ向かうのに多分この道を歩いてる。

もうちょっと足を伸ばして面影橋まで歩き、

そこより北は最近歩いてるので変わってるとこはないはず、と、

甘泉園へ向かい、水稲荷へ。

いい水が得られたという甘泉園の裏の高台に水稲荷が鎮座する……というのはいかにも神さまが祀られそうだし、崖を登って訪れてみると実に静かで緑に囲まれた古そうな場所だが、水稲荷がここへやってきたのは昭和38年のこと。早稲田大学が水稲荷があった場所に校舎を新築して校内を拡げたい、その代わり、早稲田大学が持っていた甘泉園の土地を水稲荷に譲渡する、てきなことがあったのである。


じゃあ水稲荷が来るまでその高台に神様は祀られていなかったのかというとさにあらず。江戸時代は三島山と呼ばれ、三島大神が祀られていたのである。今は水稲荷に合祀されてめだたなくなってるけど。

水稲荷本殿の裏には、戸塚の地名語源になったという「富塚」があり、これは古墳であり、いかにも古そうで昔からここにあったようだが、実は富塚も水稲荷と一緒に遷ってきたのだ。

水稲荷とともに遷された富塚古墳

これは富塚古墳の石室が流用されたといわれている。

いや、古墳はその場所にあることが大事なのでおいてこうよ、構内に古墳がある大学っていいじゃない、と思うのだけど、昭和38年のことなので当時の価値観的にはどうだったのかわからん。高度成長期の真っ只中、歴史的な云々は軽視されてた時代だったのだろうか。

じゃあ旧地に行ってみるかと穴八幡の方へ向かう。旧地は穴八幡から早稲田通りを挟んだ反対側にあったのだ。そこにあるのは知ってたけど、大学構内なのでなんか入りづらかったのである。

でも今日はもう大事な用件も終わったし、はいっちゃえということで小さな早稲田大学第3西門から入って奥へ向かうと、9号館の手前に小さくて四角い一角がある。

そこが富塚跡。富塚跡の碑が建っている。

この門の奥に富塚と水稲荷はあった

早稲田大学構内にある「富塚跡」の碑

もうちょっと歩くか、ってことで一陽来復の御守りを求めて行列してる人々を迂回し、戸山公園に入って蟹川暗渠を辿りつつ箱根山登頂。

戸山公園にある箱根山(築山)。

箱根山山頂から日没を眺む

そして、大久保通りに出て、都バスで新宿西口へ行くのであった。

帰宅後、ascii.jpに猫連載を書いてメール。

ITmediaにデジカメトレンドのコラムを書いてメール。

2022/11/05

1105:川越古道散歩の日

久しぶりに川越へ。

川越市役所が主催する街あるきの秋バージョンで、

わたしの「川越古道散歩」も再度同じコースで行われるのだ。

以前と街の様子が変わってるといけないので

早めに川越入りし、ダイチャリを借りて下見しつつ集合場所の市役所へ向かう。


途中、公開されてた武家屋敷にも。ここはコースに入ってるので公開されてるのはありがたい。



で、休日の川越はめぼしいお店がだいたい混雑してるのでランチに困るのだが、

そんなときの救世主、というか超穴場が市立博物館内のティーラウンジ。

案の定、とても空いていてゆっくりごはんを食べられたのだった。穴場すぎて心配になる。



そして市役所前へ辿り着き、そこで自転車を返却し、

集合を待って川越古道散歩スタート。


テーマは、川越城址と喜多院周辺に残る古道。

目の前に社殿が見えていても「江戸時代はここに土塁があって直接はいけませんでした、ここでは江戸時代の参道を忠実に歩きます」という酔狂なコースである。

喜多院にもわざわざ江戸時代の惣門から入り、江戸時代の南門から出るという趣向だ。

地元の老夫婦も参加していて、いやこんなの参加しなくてもあなたたちの方が詳しいだろ、

と思いつつ、適度なタイミングでフォローしてもらう。

地元の人じゃないとわからないことや昔話はあるからね。

そして無事喜多院にゴール。お疲れ様でした。

参加してくださったみなさまありがとうございました。

コースはこんな感じ。



で、川越市駅まで歩き、


帰宅して、明日の準備に取りかかる。

明日は午前4時起きなのだった。