2018/01/31

夜は月蝕

夜、月蝕。
適当に撮って適当にメッセンジャーのグループに投げたら
赤い月の写真も見たいといわれたので
部屋着のママ廊下に出て三脚立てて撮ってみた。

ほんとに赤かったですな。



そして1月が終わる。

昼はさわやか沼

modul.jpでやってるこんな沼連載。

その第3回ロケ。
いしたにさんのLEAF試乗に便乗って感じで
人生はつさわやかなど。


詳細はいずれmodul.jpで。


2018/01/30

国立国会図書館デジタルコレクションは相変わらず素晴らしい

Nikkorレンズならそのままニコンのボディにつければいいやんか、
という話はあるけど、
ムリなのである。
なぜなら
・ニコンのボディはレンズごとフジヤカメラに行っちゃったから
・光学ファインダーではピントの山がわからないヘタレだから
(その上、光学ファインダーがしっかりしてるカメラは高くて重い)

そういう意味では
マニュアル露出のセッティングがしやすくて
EVFで拡大表示やピーキング(シビアなフォーカスではアテにならないけど)が容易にできる
X-T2っていいのだよ。

それはともかく。

今週土曜日に迫った「東京古道散歩」のための配付資料を作る。

現代地図(カシミール3D スーパー地形セット)やら
明治前期の迅速図(これは紙で買ったヤツをスキャンしてある)やら
江戸名所図会の絵画やらを組み合わせて作ってるんだが、
作業してると細かいことが気になる。
地名の由来とか旧地はどこだったかとか。

ローカルな、なおかつ信頼性のある情報ってネットだとなかなか見つからない。
がさごそがさごそ←探してる音
あった。昔、板橋区の郷土資料館で購入した本。
特に「いたばしの地名」が素晴らしい。
細かいところまでちゃんと調べてあるし、古道の話もちょっと載ってる。
わからないことはわからないと書いてある。さすが。

古地図も探すが、さすがに志村までくると江戸からちょいと離れているので
良いものが見つからない。明治以降ならあるんだけど。

なんとか国立国会図書館デジタルコレクションで中山道の絵図を見つけたが、ちょっと今回の地図として使うには難しい。

そうだ。
「江戸近郊道しるべ」の「志村に遊ぶ記」で、村尾嘉陵が手製の地図を描いてなかったか。よし、ってんで手持ちの東洋文庫やらeBookJapanで買った電子版やらにあたるが、
地図が小さくて文字がつぶれてる。
これでは使えないなあ。
あ、困ったときの「国立国会図書館デジタルコレクション」。
ここで「嘉陵紀行」「江戸近郊道しるべ」(嘉陵紀行という名で出版されたこともあったので)の両方で調べると、
「江戸近郊道しるべ」の優れたカラー図版発見。
国立国会図書館デジタルコレクションは研究用として高解像度でスキャンしたデータを公開してくれてるので素晴らしい。
何千円買った本より無料でダウンロードできるここの方がよい資料になるとは。
もちろん著作権はとっくに切れてるので問題ないのである。


村尾嘉陵というのは、江戸時代後期、いわゆる化政期の武士で、
老後、江戸近郊を歩き回っては紀行文を残しているのだ。時には手製の地図までつけて。
簡単にいえば「江戸時代の街歩きブロガー」、「街歩きブロガーの元祖」である。

上記の志村の地図もすばらしい。中山道・岩槻街道・川越街道をシンプルに赤で描きつつ、
志村についてはちゃんと「古城址」「延命寺」「清水薬師」とポイントを抑えてて、
古城址にはちゃんと「カラ堀アトアリ」と注釈付。

「江戸近郊街歩きを歩く」って紀行連載、
書きたいので、どこかのっけてくれませんかねえ。
企画書書くか。

というわけで
国立国会図書館デジタルコレクションは超素晴らしい。
国立公文書館のデジタルコレクションは普通に素晴らしい







あらためてE-M1 II+12-100mmの手ブレ補正には感心するわ

晋遊舎のMONOQLOがミラーレス一眼特集やるというので
上野へ。30台以上あって容赦ない。


寒い。
終わったら夜だった。

にしても、E-M1 Mark II + 12-100mm F4の手ブレ補正はおかしい。
ISO200でF5.6でシャッタースピード1秒で手持ちで撮っても
まったくブレてない。


人間堕落するー。


2018/01/29

Ai Nikkor 24mm F2.8 の復活

「東京カメラサービス」に修理依頼してた古いNikkorを受取に行く。
フォーカシング用の中玉の油ぎれだったようだ。


その場で試し撮り。


さてこのレンズ、
気になるのが、いつのどんなレンズかということ。
ニコンの古いレンズって「NIKKOR」としか書いてないのだが
世代によって微妙に違うのだ。

そこで調べてみた。
Ai Nikkor 24mm F2.8。
Ai-Sじゃなくてその前の型。
ググると1977年3月だったもよう。
41年前のレンズだ。

無事、X-T2に装着完了。
APS-Cなボディにつけると36mm相当になるわけで
スナップ用として丁度いい。


そのレンズを持って午後は有楽町のライカへ行き、
ライカCLを返却。
いやあ気持ちよく撮れるカメラでありました。

ちょっと写真を撮りながら帰宅。




こういうレンズは絞り開放でムリにぼかそうとするよりは
その画角を生かして、さっと撮る方が楽しい。

写真には3つの役割がある。
「コミュニケーション」と「記録」と「表現」である、
とずっと言ってきたけど、4番目に「道楽」をいれたい(笑)。
道楽です。


F5.6かF8くらいにセットし、
ある程度フォーカスのあたりをつけて
(この頃のレンズは絞りと被写界深度の関係がレンズ上に明記されてるのであたりをつけやすい)
さっと構えて撮る。

F8まで絞れば3mあたりにフォーカスを合わせると無限遠までイケるのでいい。
ただ、(当たり前だけど)EXIF情報に絞り値が書かれないので
どれで撮ったかあとでわからない。

わははは。
帰宅して、東京カメラサービスでいただいた
53周年記念ボールペンとともに。




2018/01/28

使い残したパスネットが現金に化けた日

さて、東京の私鉄地下鉄で活躍したパスネット(プリペイドの磁気カードでこれで改札を通れた)が廃止されてはや……はや何年だ?

余ったパスネットは駅窓口で払い戻ししてくれるのだが
それの期限が2018年1月31日。あとちょっとやん。

ってわけで、
なぜか使い終わったパスネットやイオカードを保管してあったので
(絵柄が面白いのと、いつどこへ行ったかの記録として残そうと思ったんだと思う)
ひっくり返してみると、あるわあるわ。

残金130円のカードとか
残金790円のカードとか
中には未使用のカードも。

アバウトな性格が出てますな。
2005年とか平成18年とか(西暦か和暦か統一されてなかったっぽい)。
小田急京王東急京浜東武(西武はなかった)都営地下鉄東京メトロゆりかもめりんかい線。いろいろ乗ってきたもんです。


とりあえず残高のあるカードが13枚見つかったので
それを持って最寄りの駅へ。
パスネットで統一される前のSFメトロカードやTカード(パスネットと互換性はあった)もあったけど、一緒に窓口に出すと、
中でごそごそと機械に1枚ずつ通してる。
何枚も機械にどさっとセットして自動的にシャーシャーと処理するわけじゃないので
(まあもともと1枚ずつ使うことしか想定してないだろうし)
時間がかかるが、
パスネット以前のカードも含めて全部Ok。
13枚のカードが現金約6,200円になりました。
いやあ、思い出してよかった。

想定外の小遣いに。
清算したカードは返してくれるので、
使い切ったプリペイドカードコレクションには影響無しでした。
(そんなコレクションどんな意味があるのかしらんけど)

街歩き仲間に某電鉄の人がいるんだけど、
彼によると
ギリギリになって大量のパスネットを持ち込む人がいて
駅は大変だそうです。
金額が大きすぎて駅にある現金では足りず、
後日来て下さい、ってことになった人もいるとか。

まあ、コレクターのみならず、以前販促品として作って余ったパスネットを抱えたまま放置してた人とかいるだろうしなあ。

深夜、
ITMediaにパナソニックのG9 Proのレビューを書いてメール。




2018/01/27

東京古道散歩下見の日

2月3日は新潮講座「東京古道散歩」の日。
その下見をせんと、本蓮沼へ向かう。

地下鉄改札から地上に出て北上。
右手に廃虚がまだ廃虚のままなのを確認して
蓮沼氷川神社へ。

今回のテーマは中山道と志村城。
江戸時代の五街道のひとつ中山道を本蓮沼から志村、さらに蓮沼村旧地へと歩き、
出井川沿いに戻ってきて、
志村城&延命寺の中世史席&板碑ツアーという構成で、
幹線道路として古道の風情は雲散霧消してる中山道、
途中で鎌倉街道伝承のある岩淵道と交差。
あまり知られてないが、少し奥へ入ると道路脇に庚申塔兼道標がひっそりと残ってる。
そこには「富士大山・新井薬師道」とある。
大宮八幡→中野→板橋→岩淵とつながる鎌倉街道があったという説があり、
この道が中野の新井薬師へつながってたと思うと信憑性もなかなか。

志村一里塚を過ぎると志村坂上。ここから中山道旧道が残る。
中山道から分かれる大山道の道標には、練馬・柳沢・府中それぞれへの距離が書いてあり、ここから西の各地へつながっていたのがわかるわけであるがどこまで辿れるか。

中山道の大きくS字に曲がる急坂は清水坂だが、
途中に地蔵があったので地蔵坂、その前は隠岐殿坂という。
「江戸近郊道しるべ」の村尾嘉陵は「隠岐殿坂」と書いてた。
地元の人がそう読んでいたのだろう。

坂下からの風景が絶品。崖からはみでたマンションである。大胆すぎ。

そこから清水坂の清水の語源となった清水薬師の跡地にある庭園。
さらに中山道旧道を辿って小袋橋。
小袋橋の向こうが旧蓮沼村。
出井川暗渠に沿って御成塚。
ただこの暗渠、未舗装で、下手に歩くと靴裏に関東ロームな赤土がへばりつく。
天候次第では避けた方がいいかも。

ぐるっと回って志村城下。
出井川が作った舌状台地の上に志村城がある。
崖の北側は日陰であり、ここが一番ヤバかった。
何しろ今日の時点でこれである。誰も雪かきしなかったようだ。

まあ2月3日には溶けてるだろうってことで
志村城。
城址へ行くのは冬に限りますな。
葉が落ちてて空堀の様子がわかりやすい。
雪に埋もれてたけど。

荒川低地に臨む崖を降りたり上ったりするので
雪が残ってたり路面が凍結してるとやばいわけで、
一箇所、超ヤバイ道路(崖の北側で日が当たらない上に誰も雪かきしなかったらしい)があったけど、まあ週末まで晴れ間が続けばなんとかなるでしょう。

この崖のあたり、湧水が豊富で川が近くて、人が住みやすかったようで、
古代からずっと人が住み続けてるエリアである。
なかなか歴史が深いのだが、
いろいろ資料をあたっても、
志村城がよくわからない。

文献には一切出てこない城だそうで、
地元では「武蔵千葉氏の支城」で、
大永四年、北条氏綱に江戸城を落とされた上杉朝興が川越城へ逃げる途中、
このあたりで戦いとなり、落城したと伝わっていると
新編武蔵風土記稿などに書かれている。

志村城址に残っていた板碑もちょうど大永四年(←間違い。よく見たら大永六年でした。落城の翌々年)。
誰かこの板碑に、志村城がどんな城だったのか尋ねてくれやしまいか。

米良文書などによると、鎌倉から室町時代は豊島氏系の志村氏がいたようで、
志村氏と武蔵千葉氏の関係はどうだったのかなどいろいろ謎が深い。

中山道が開かれたのは江戸時代初期だが、じゃあ中山道の元になる道はあったのか。
志村城があるってことは何らかの道があったのだろうけど、中山道のような南北の道があったか、鎌倉街道伝承のある岩淵と志村を結ぶ道(岩淵の渡しは中世の紀行文にも出てくるのであったのは確実)がメインだったのか。

そんなことを考えながら歩くのも楽しい。

東京の意外に深い歴史を堪能できるコースなので
街道好きの人、神社好きの人、山城好きの人、坂道好きの人、崖好きの人、湧水好きの人、板碑好きの人、織部灯籠好きの人などなど
興味ある方はぜひ。
場所はこの辺です。




2018/01/26

湯島-上野-神保町-池袋とハシゴした日

京都に「まいまい京都」なる京都案内のミニツアーがあって
キャンセル待ち続出の人気なのであるが
それが春から東京にも進出するということで、
わたしもひとつガイドを受け持つことになったのである。
詳細はまだアレですが。

なるべくメジャーなところがいいねということで、湯島上野界隈。
あらかじめコースと案内文を作成して渡してあるのだが
ちょいと下見を兼ねて出かけることに。

神田明神妻恋神社湯島天神五條天神穴稲荷等々

今、神田明神はこんなで、
湯島天神はこんなです。



そして崖下には遮光器土偶風というか縄文ヴィーナスというか、そんな雪だるま。
これはなかなか得がたいセンスなり。


その後、
神保町にある晋遊舎のMONOQLO編集部で打合せ。

寒い。

夜は池袋。
伊藤ルーリー嬢主催の「著作の手ほどき」第3回。
先日「東京凹凸地形散歩 -多摩武蔵野編-」を上梓された
皆川会長と真貝さんがゲスト。
こんなおしゃれな地下空間を借り切って、

スクリーンに投影されるのはいつものコレです。

ブラタモリの裏話なぞも聞き出す。




2018/01/25

ライカ

ITMediaにLeica CLのレビューを書いてメール。


軍艦部に小さな液晶パネルがついてるのは
胸のあたりに持ってダイヤル回して露出を決定し、
持ち上げてファインダーを覗いて撮る、
という昔ながらスナップ撮影のリズムのためなのだろうなと思う。

このパネルはなくてもいいといえばいいのだが、
スナップのリズムで撮りたい人には必要なのだ。
背面モニタを見ながらセッティングするのとはちょっと違うのである。

さらに、ascii.jpに猫連載を書いてメール。
今回はα7RIIIで撮った猫で。


2018/01/24

晴れた日はカメラを持って

最近仕事してないな。いかんな。
そんな日はカメラを持って。

というわけで、晴れたのを期に近所で定点作例なぞ。
Leica CLと
LUMIX G9 Pro。

G9 Proの全部入り感がすごい。
Leica CLのレトロとモダンの融合っぷりも面白い。

Leica CL モノクローム(ハイコントラスト)


2018/01/23

雪の中恵比寿ガーデンプレイスへ

昨年、モデルをしてくれてた女子大生さんが卒業するというので
おっさんふたりでお祝いのランチを恵比寿で、
ってことで雪の中を恵比寿へ。

雪かきをしてあるエリアと放置してしまったエリアのギャップがすごいですな。
駅前に近づくにつれ、商店が増え、雪かきもきちんとなされていて歩きやすくなるが、
駅前はおまわりさんががんばっておりました。

駅へ歩く時間を多めに見積り電車が遅れる可能性も加味して
家を出たら、予想以上に順調で、待ち合わせより30分早くついたので
恵比寿駅から山越えのルートをとって雪の坂道を歩くことに。

いつも山手線から見えていた稲荷がずっと気になっていたのである。
わざわざ雪の日にいかずとも案件ではあるがいい感じに時間が空いたのでしょうがない。

恵比寿駅の西口を出て坂を上る。

まだ雪は残っていて坂道は慎重に歩かねばならない。みな雪が溶けている道路の中央あたりを選んでバラけて歩いている。

この坂を上ると目的地から逸れていくので、左へ折れ階段を上る。

恵比寿-目黒間はけっこう高低差があり、
恵比寿駅は高架なのに目黒駅では切り通した谷になる。
斜面を隙間なく開発しているので時には階段も必要なのだ。

目的の神社は今はマンションの脇にあった福徳稲荷神社。

ここ古墳があったらしい。墳丘を聖地として神社を勧請したか。
ググったらこちらに詳しかった。
境内には謎の石碑。おそらく一文字目は「澁」だろう。
「澁谷次郎の趾」だ。

澁谷次郎が誰なのかわからないが、
ここはそもそも「下渋谷」であり、中世に渋谷一帯を領していた渋谷氏のゆかりかもしれないと思うと掘り下げたくなる。

さてもう一山超えて、ここを自転車で駆け抜ける勇気に感服しつつ

ガーデンプレイスへ。

美味しいものをいっぱいいただきました。
帰宅して作例を整理。





2018/01/22

雪やこんこ?こんこん?

ITMediaにhuaweiのMate 10 ProとMate 10 liteのカメラ機能比較記事。
確かに両者のスペックは全く違うが、
じゃあ常にProの方が見映えのする絵を撮れるかというとそれはまた別の話で、
でも両方見ちゃうとProが欲しくなるよなあ。
まあそうでなきゃhuaweiも困ろう。

雪が降る。

雪の日のE-M1 Mark II + 12-100mm F4は最強ですな。
防塵防滴だし耐低温だし手ブレ補正は頭おかしいレベルで効くし。


ところで「雪やこんこん」ではなく「雪やこんこ」なのですな。
子供の頃、ずっと「雪やこんこん」だと思ってたのだがそういう人多いはず。
でも、雪やこんこんでもいいよな、という気はしてる。

2018/01/21

ブラカグラの日-赤城神社の元々の参道はどっち?-

ブラカグラ。


神楽坂をぶらぶらしようという神楽坂再発見の街歩き。
有料のイベントだったのだけど、20名ほどの方がきてくださってありがとうございます。

今回、東京の神社本を出したのを機に、神楽坂の神社の話をし、
そのあと神社巡り。

で、思ったんだけど、赤城神社の元々の表参道って、
今の裏参道(急坂を上る方)だったんじゃないかねえ。

崖下の神田川が作った低地で農耕をし、ちょっと高いところに集落を作り、
山の上に赤城神社を祀った、と仮定しよう。
赤城神社裏参道はそのまま早稲田から鎌倉街道経由でなんとか上州へつながってたし、
早稲田と牛込の間に上州からやってきた大胡氏ゆかりの寺社が点在してるし、
赤城神社の旧地は早稲田の田島にあったという伝承もあるし。
大胡氏がやってきたのは戦国時代っぽいけど、
その前からその辺りの集落が田島(低地の中の微高地)に祀っていた祠を
江戸城と鎌倉街道を結ぶ道沿いの山の上に赤城神社として
遷座したと考えたらつじつまがあうかな、と。
18世紀前半(まだ善国寺がないのでたぶんその頃)の江戸図より。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8369303

ともあれ、
古地図を追いつつ、
本多横丁、筑土八幡神社、御殿坂を下り、瓢箪坂を上り、赤城神社。
さらに横寺町から袖摺坂、牛込城址からぐるっと回って逢坂を下りて
船河原築土神社と堀兼の井、そしてゆれい坂を上って若宮八幡経由で神楽坂。
広重の浮世絵を見比べたりする。昔も今も賑わいは一緒ですわ。面白い。


最後は行元寺跡の寺内公園で解散。

参加されたみなさまありがとうございました。
郷土史に詳しい方もおられて、こちらも現地の方しか知らないことを
いろいろ教えてもらいながらの古地図散歩でした。
そういうのありがたい。

打ち上げに出て帰宅。
にしても神楽坂、人が増えてる! しかも若い女性が多い!
流行ってるの?
……と思って調べたら、どうも東京大神宮と赤城神社がパワースポットとしてペアになってるっぽい。恋愛の御利益的なアレで。
なるほど。

2018/01/20

法政大学のシンポジウムでムチャブリされた日

市ヶ谷駅で降りて法政大学へ。


目的はこのシンポジウム。
法政大学が立ち上げた「江戸東京研究センター」が主催するシンポジウムがありまして
テーマが「古代・中世の原風景」となったらもう行かねばなりますまい。


主催者は何度もお会いしたことのある陣内先生。
実は「東京人」で「古道特集」したときに座談会でお会いして以来、
顔を覚えて貰っております。
主催者挨拶時に、吉川弘文館から出てる「東京の歴史」の宣伝も。
買わねば。

今回は、法政大学で教えておられる講師と教授、
さらにゲストとして葛飾区の谷口さんのお三方の講演。

最初は神谷先生が武蔵国府と水の関係。
府中は地下水と多摩川の水運に恵まれている国府に相応しい場所って話。
(ただ、品川湊は国府の外港だった、と不用意に言ってしまったのでシンポジウムでつっこまれることに……)
多摩川源流の玉姫物語伝説は知らなかったのでちょっと調べてみたいところ。




2番目はお馴染み、
葛飾区の学芸員をされている谷口先生の低地の話。
相変わらず話が面白い。

ガチの考古学者さんなので最新の発掘をベースにした史実に基づいた話をわかりやすく離してくれる。
今回は武蔵国と下総国の境界の話と葛西城の話。
江戸時代に武蔵国と下総国の境界が変更されて、古隅田川から太日川(今の江戸川)になった……のだが、北条氏の時代にすでに葛西は江戸圏に含まれていた、
ナニナニ時代という区分に囚われていては本質を見失う、という
目からうろこの話。尊敬してます。
さらに葛西城発掘。なぜそこに葛西城が作られたのかとか
葛西城には一時期足利氏がいて「葛西公方」が存在したとか
葛西城は未訪問なので行かねば。


最後は高村教授が
古代や中世の聖地がどう取り込まれていったかという話。
大阪など他の地域の話を交えながら
都市圏が広がるに従って水神が遷座して境界を守っていたとか
洞窟の湧水はことごとく水の聖地かするとか。
境界の聖地に置かれた神社は時代を経て境界が変わるに従って遷座する。
ああ、神社の遷座ネタは大好物なので面白い。
秋葉原にある柳森神社の遷座の歴史とか。
神田明神もそういう視点で江戸時代の遷座を捉えると面白い。
中沢新一のアースダイバー的な面白さといったらいいかも。
神社創建伝承をそのまま持ってきてるのがちょっと引っかかったけど。




講義が終わったら、休憩してそのあと
法政大学の国際日本学研究所長と府中郷土の森博物館館長のおふたりを加えて
パネルディスカッション。
その前に法政大学総長が出てきて挨拶したのはびっくりした。
法政大学の学長さんって、江戸文化の専門家だったとは。知りませんでした。

そしてシンポジウム。
なんか緊張感漂ってて、面白い。
ITやカメラ系のパネルディスカッションは観たことあるけど、
こういうアカデミックな世界は雰囲気が全然違うわ。

司会進行の陣内先生も大変だ。

で、パネルディスカッションが終わって、質疑応答。
特に質問もなさげなのでこれで終わりか、と思った瞬間、
陣内先生が、会場にはいろんな専門の方がいらっしゃってますが、
古道の荻窪さん、何かありますでしょうか、
と突然のムチャブリ!
ひー。心臓によくないです陣内先生。

びっくりした。緊張した。

でもこういうハイレベルなシンポジウムって知見が広がっていいわー。
明日のブラカグラ(NPOが主催する神楽坂の勉強会みたいなやつ。わたしはそこで講師兼散歩ガイドをするのです)の参考にもなりました。

帰宅して、ブラカグラで使うプレゼン用の資料(テーマは神楽坂の4つの神社なので、特に歴史的に面白い赤城神社と筑土八幡(と津久戸明神)についてまとめる)を作って寝る。