2015年7月31日金曜日

8月は「なおきち」で避暑を

と思ったら、
夏風邪が妻にうつって妻が寝込んだーーー。
ああ、
うちの妻、デザイナーなので展示のテイストとか
相談しながらやろうと思ってたのに。

で、結局ろくな準備できず、バタバタと
ブリーフケースにプリントをどかっと詰めこんで
田無駅へ。

なおきちの場所はこちら。


ほんとは今週あれこれと展示の準備をちゃんとして今日を迎えるはずだったのだが
発熱で寝込んでしまってなんもできなかったので
プリントとそれを壁にはっつけるためのコマンドタブだけもって駆けつける。

で、お店のうららさんと相談しつつあれこれ貼ってみる。

DMC-CM1

DMC-CM1

黒フチの写真が、クリエイト仕上げの銀塩プリント。
いやあ、こうして壁に貼ってみると(写真ではわからんけど)、
全然違うわー。いいわー、クリエイト。
でもまあ、インクジェットに比べると高いけどな。

なお、なおきちの開店時間はなおきちのWebサイトでご確認を。
カフェなんでおいしい飲み物や食べ物やお酒も用意されております。
DMC-CM1
田無なおきち|トップページ

展示してある写真が欲しいと思った奇特な方、
お店の方へお声かけくださいまし。
カフェなのでわたしは在廊してませんが、
お暇な方はぜひ。

とりあえず、肩の荷がひとつおりたー。
とはいえ来週くらいに再訪して、ちょっと手直しせねば。



2015年7月30日木曜日

原稿書く

熱は徐々に下がったが都会にイク元気はないので
妻にエプサイトにいってもらって写真展用のプリント。

今回は、試しに
クリエイトのプロラボサービス8枚、
エプサイトのインクジェット出力10数枚を
組み合わせることにしたのである。

クリエイトのプロラボサービスは
まあそれなりにコストと期間が必要だけど、
クオリティはすごいと塙さんが絶賛してたので
使ってみたのだ
クリエイトWebオーダーサービス|プロラボクリエイト

で、わたしは家で
ascii.jpに猫連載を書いてメール。
さらに、発熱のせいで遅れてたつなぐネットの連載仕事をする。

熱は下がったが咳が残ったげほごほがほ。


2015年7月29日水曜日

一回休み

夏風邪で発熱で延々と煮込む、じゃない、寝込む。

まあそれにともなって
写真展用のプリントをしにエプサイトに行く予定がちょいとあれやこれやでなんだかんだでサザエさんで、
まあ夫婦ともども何かとボケてた1日でした。


2015年7月28日火曜日

夏風邪でダウンした日

なんか数日前から調子は悪かったのだが、
この日、夏風邪であることが判明。
調べてみると、もう、
IT業界をはじめとして、知人が大勢夏風邪で倒れてる。
業界のおっさんの間で大流行なのか、というレベル。

昨日は
喉が痛い程度だったのだが、
今日になって
喉痛+咳。昼過ぎにはそれに鼻水鼻づまりが加わり、
夕方には微熱。
夜には悪寒+さらなる発熱と
1日で風邪の諸症状が順番にやってきた感じ。
というわけで、
休む。


2015年7月27日月曜日

猫宅訪問第5回、ついでに杉並の古道をたどったりする日

猫宅訪問の日。
場所は杉並区。「寅印菓子屋」をやってる小嶋さんの自宅。

うちから公共交通機関を使っていくとどうあがいても遠回り。
1時間以上確実にかかる。
うちから自転車で行くと最短距離をつっぱしれるので
途中コンビニに寄っても30分かからない。

となれば、暑くても自転車ですな。
ヘルメットかぶってカメラ背負って走る。

でもって、人なつこい2匹の猫と楽しく撮影。

せっかくだからと杉並のかまくら道を念頭に、
尾崎熊野神社とか田端神社とか
見てまわる。

実は
甲州街道にある鎌倉街道入口交差点から北上し、鎌倉橋をわたった跡、
浜田山駅東を抜けてまっすぐ北に向かう道(すぎまるが走ってる)が
「鎌倉通り」と名づけられてて、これが鎌倉街道だと思われがちだけど、


よく見ると部分的に不自然に直線で、古い地図を見るとこんなきれいにはつながってないのですよ。
で、わたしは本来の古い道筋はこんなだったんじゃないかと思っております。



鎌倉橋を渡った道はそのまま北東へ進んで大宮八幡宮へ。そこから2本に分かれて阿佐ヶ谷かまくら道と中野方面へのかまくら道へ。
で、もう1本、人見街道と天沼(さらには石神井)を結ぶかまくら道(天沼かまくら道)があり、成宗砦から熊野神社を経由して大宮八幡宮につながる連絡道があったんじゃないかと。

いかがなものでありましょう?

ちなみに、五日市街道にこんななぞの三角空間発見。

これ、この空間の奥に見える細い道が旧道(つまりもともとの五日市街道)なのだ。
近代に道をまっすぐにしたとき(五日市街道は細くてくねくねしてた)に生じた
デッドスペースをこのように使ったのですな。
そんなちょっとしたことが面白い年頃です。

にしても暑かった。自転車で走り回る日ではありませんな。

2015年7月26日日曜日

帝都地形図閲覧大会

近所の街歩き仲間があつまって
うちで、地図閲覧大会。
江戸の地図から、明治の迅速図、
で、これが目玉なのだが(目玉に辿り着いた時点でもう夕方だったという)
之潮から出てる「帝都地形図」。
1/3000という大縮尺でほぼ戦前の様子がディテールまで描かれているため、
郷土史に興味ある人にはたまらん代物なのだが、
わたしはそれの第3集と第6集(杉並区と世田谷区と大田区あたり)を持っており、
それを見たいというのが発端だったのだった。

いやあ細かい水路とか水車小屋とか、今は無きあれこれがきちんと描かれてて
よい地図ですよ。1/3000だから一般的な地図からは漏れてる情報も満載だし。

にしても地図好きが集まって古い地図を見るとやばいですな。

2015年7月25日土曜日

夕暮れ猫

パナソニックのDMC-G7を持って
ご近所猫作例撮りに自転車で。
DMC-G7

このシリーズは伝統的にバリアングルなのでしょうがないのだけど、
これがチルト式モニタだったら、
画期的な「タッチパッドAF」がもっと快適に使えたのにーと
思うことしきり。

4kフォトはやはり面白い。
特に4kプリ連写がいい。

まあやってることはパースト連写なんかと変わらないのだけど、
素材が「800万画素の動画」として記録されている便利さかなあ。


2015年7月24日金曜日

田無「なおきち」で猫写真展やります

告知。
田無駅近くに「なおきち」というカフェがありまして、
先月、「ゆるりアワー」でiPhoneカメラ講座的なことやった場所なのだけど、
混沌の屋形風呂: 「ゆるりアワー」で「iPhoneカメラ講座」的な日

そこでは
毎月、店内の壁を使って写真展やっておりまして、
8月の「なおきちギャラリー」として
荻窪圭の猫写真展やるのである。


多摩地区の方、西武線沿線の方、
料理もおいしいよいお店なので
お茶がてらお立ち寄りくださいませ。
8月のお店が開いてる日はいつでも見られます。
詳細はこちらをどうぞ。
田無なおきち|トップページ

壁中にデカく猫写真貼り付けてます。

まあそんな感じであれこれ写真のセレクトなどをしてプリントの手配。
夜はITMediaの撮影術(久々に書きました)で
恒例、夏の水着編をなんとか書いてメール。


わたしはなぜバリアングルよりチルト式を好むのか

今年はマイクロフォーサーズ界で残念な出来事がふたつあった。

ひとつめはオリンパス。
E-M5の後継機であるE-M5 IIが「チルト式モニタ」から
「バリアングルモニタ」に変わっちゃったことである。
もうひとつはパナソニック。
GX7の後継機であるGX8が「チルト式モニタ」から
「バリアングルモニタ」に変わっちゃったことである。

なんてこった!

今回はその話。

バリアングルモニタは横に開くヒンジと縦に回転するヒンジの2つを持っており
「いったん横に開いてから回す」という構造が特徴だ。
この方式のメリットは「より自由な角度にモニタをセットできること。

FZ1000のバリアングルモニタ

具体的には2つ。
ひとつめは横に開いてから回すため「180度回せば自分撮りにも対応できる」。
もうひとつは斜めの位置で止めることで「縦位置でのローアングル撮影に対応できる」。
である。
これだけ見ると、チルト式に比べて圧倒的にこちらが良さそうに見える。
チルト式は縦位置ローアングルに対応できない。
知人のカメラマンにも、縦位置撮影が多い(ポートレートなんか特にそう)からバリアングルがいいという人がいる。

だがしかし、バリアングルモニタには致命的な欠点が4つもあるのだ。

ひとつは「開いて回転する」という2アクションが必要になること。
これ、瞬時にさっとセッティングしづらい。

もうひとつは、撮影後にモニタをそのまま戻すと、裏を向いちゃうことである。
このように。


普段この状態になっていて問題ないならよい。
常にこの状態でよいなら、モニタを開いたときにすぐ使えて良い。
だがしかし、デジカメの場合、
写真の再生、撮影の細かいセッティングはすべてモニタを見ながら行うのだ。
これだとモニタが見えない。EVFを覗けばいいんだけど、
常時覗いてたら疲れるじゃないか。

かくして
「モニタを横に開いて撮影」→「撮り終えてそのままパタンと閉じる」→「再生してチェックしよう(あるいはセッティングを見直そう)」→「げ、モニタが裏向いてるじゃん」→「また開いてひっくり返す」
が頻発し、使っててイライラするのである。


ああ、なんてこった。

バリアングルの方がいいといってる人って、あまり背面モニタを使わない人じゃないかと思う。アイピースを覗いての撮影がメインならそうは気にならないだろうしね。
わたしも普段はEVFで撮るけど、腰と相談しながらつらいときはさっと背面モニタに切り替えるから。

そして3つめの欠点。
それはモニタを開いた状態だとストラップが邪魔になるということ。
見ての通り、モニタを横に開くと、モニタ・ストラップ・カメラ本体・ストラップとなる。
開いたモニタを上から見る(ローアングル撮影するんだから当たり前だ)と
ストラップが画面にかぶって邪魔なのだ。
普通に考えて、邪魔だろう、それ。
以前、パナソニックのGH1やG3で猫を撮ってたのだが、それがけっこうストレスだった。

4つめの欠点は、横位置ローアングル撮影時に「モニタが光軸からずれる」こと。
風景を撮るときは問題ないけど、
マクロ撮影時、さらに動いている猫を追うときは
モニタとレンズの光軸の位置のずれがすごくストレスなのだ。

2つの利点と4つの欠点。
かくしてバリアングルモニタは精神的によくないのである。

対して、チルト式モニタはシンプルである。

単に根元にヒンジがあって上下に動くだけだからだ。
最近の安いカメラは(G7Xなんかそうだな)、上にひとつヒンジがあるだけなので
ハイアングル撮影に対応してくれないが、
まっとうなチルト式モニタなら上と下の2箇所にヒンジがあって使いやすい。
Powershot G3Xのチルト式モニタ。これはよい。
これのメリットは、
・ワンアクションでぱっと角度をつけられるので瞬時の撮影に対応できて快適
・光軸がずれないので構図を微調整しやすい
の2点。
逆にデメリットはひとつ
・縦位置ローアングル時は役に立たない(モニタを斜めから見てアタリをつけるしかない)

つまり、

「縦位置ローアングル撮影時以外はチルト式の方がずっとストレスなく快適に使えて優れている」

のだ。

だからわたしはチルト式が好きなのである。
猫を撮るとき、頻繁にモニタを開いてローアングル撮影するからね。

パナソニックはずっとバリアングルでやってきたから、チルト式だったGX7が異端だったのはまあしょうがないとして、だ、
オリンパスはずっとチルト式でやってきたのだから、今からバリアングルにされても困るのである。
だからE-M5 IIに手を出す気はない。もしE-M1 後継機もバリアングルになっちゃったらどうしようとそちらが不安である。

もし両方を解決するなら、チルト式にひとつヒンジを追加するという手はある。
こんな感じに、普通にチルトしつつ、
モニタ右にあるヒンジで横にも開くようにするわけだ。


ヒンジがややこしくなるとモニタ回りにスペースが必要になりそうだけれども、
これと同等の構造をもつ「ケータイ電話」がかつてあったわけで
(パナソニックがかつて上と横にヒンジが付いた端末を出してたし)
作れないことはないはず。
バリアングルにするくらいならこっちにして欲しいわあと強く思う次第。

ちなみに今のところ、ミラーレス機では

○チルト派
・NIKON Nikon 1(V3やJ5)
・OLYMPUS E-M1 / E-M10 / E-PL7
・FUJIFILM X-T1 / X-T10
・SONY α5000 / 5100 / 6000 / α7
・Panasonic GX7
・CANON EOS M3

○バリアングル派

・OLYMPUS E-M5 II
・Panasonic GX8 / G8 / GH4

とチルト派が強いわけだが、
間違って、E-M1の後継機がバリアングルになっちゃわないよう祈る次第である。

あ、ちなみに動かないモニタは論外ね。
QV-10でデジカメをはじめた人としては動いて当たり前なのです。



2015年7月23日木曜日

働く日

さてそろそろ働くか、ってんで
ascii.jpに猫連載を書いてメール。
続いてITMediaに防水デジカメの記事を書いてメール。

2015年7月22日水曜日

QV-10誕生20周年!

カシオがQV-10誕生20周年を記念してトークショーを行うというので
招待されて行ってきたのである。

1995年に登場したカシオのQV-10は真に画期的なデジカメだった。
なんというか、iPhoneの元祖といっていいレベル。
QV-10の夢想がiPhoneとなって結実したといって過言ではないほどである。

画期的だったのは、ニーズがあって誕生した製品ではなく、
QV-10が新しい潜在的なニーズを発掘したということ。
文字通り「発明は必要の母」。

まあトークショーではQV-10をナンパに使ってたという(笑)麻倉先生と
QV-10を開発したおふたかたが当時を振り返りつつあれこれ
QV-10に至る過程を語ってくれたのだが、
面白かったのは2点。
ひとつは「熱子」と「重子」の話。
まあデジタルカメラの試作機があまりに熱を持った上にあまりに重かった上にそう名づけられたのだそうな。

で、熱を持ちすぎるのでファインダーをはずしてそこに放熱ファンをつけた。
それだと画像を見られないので、
その頃登場した小型の液晶テレビをつないでみた。

おお。これはいいじゃないか、となったのだ。

もうひとつは
もともとは「テレビ&カメラ」企画だったこと。





小型液晶モニタの新しい使い道はないか→小型テレビだよな→それにCCDカメラを付けたらいいんじゃね→カメラ機能付きポケットテレビの誕生(未発売)→テレビ機能いらないんじゃね→世界初の液晶モニタ搭載デジカメ誕生

である。

今わたしがこんな仕事(デジカメ評論家的な)をしているのも
QV-10があったからで。
QV-10の存在を知り(まあ、パソコン業界におりましたから)、
これは面白い、買わねば、と、
発売日に即ヨドバシカメラへ走ったのである。

その前年にアップルがQuickTake100を出しており、わたしもレビューを書いたんだけど、
あれ、10万円もした上にモニタもついてなかったのだ。
あくまでも「Mac用の画像入力機器」のひとつで、「撮った写真を文書に貼り付ける」というDTP寄りの製品として登場してたのだ。

QV-10は違った。画質はひどいものだったけど、
「モニタ+内蔵メモリでパソコンがなくても単体で完結」し、
「撮った写真をその場で見て楽しむという新しいコミュニケーションツール」
として登場したのだ。


あれは凄かったね。
QV-10を買ってそこら中で見せて歩いてたらデジカメ関連の仕事がくるようになり、
カシオにも何度も取材に行った。

わたしにとって画期的だったのはもうひとつ、
「レンズが回転する」こと。
QV-10より先にシャープの「液晶ビューカム」というビデオカメラが回転式レンズを搭載していたのだけど、
デジカメではもちろん初。
QV-10を触ったことで、モニタ付デジカメの面白さや、「レンズが回転する」ことでアングルフリーになるという面白さを知ったのだ。

今、チルト式モニタが好きなのはもうQV-10のおかげといって過言ではないレベル。
ほんとはモニタのチルトじゃなくて、
「ボディが回転する」QV-10式が一番使いやすいのだよな。グリップとモニタの位置関係が固定されるから撮りやすい。

ちなみに、当時のQV-10は「.CAM」形式というJPEGに似てるけど違うファイル形式で保存されてたわけだが、今でもCAMファイルを開けるアプリがあるので
見返すことができるのである。
素晴らしい。画質があまりにアレなのも懐かしすぎ。
面白いので当時存在してたオウム世田谷道場の写真を。まだオウムがあれこれやらかす前で、「これ、なんだろ」と思ってたまたま撮ったのだった。
QV-10じゃなきゃこんなの撮ってなかったのは確かです。


まあ回転式レンズ(というか回転式ボディというか)は
その後、ソニーのCyber-shot 55系、ニコンのCOOLPIX 900系に受け継がれたものの
今は1台たりとも残ってません。
理由は簡単。背面モニタが大きくなり、レンズ部を回転させるスペースがとれなくなったから。たぶんそうだ。

まあQV-10を語ると長くなるけど、
あの頃よく遊んでた「電脳筒井線」の連中の間ではやり、
オフなんかで会うたびに撮った写真を見せあってたなあとか、
遊び仲間にいた音楽業界の人から
「海外からミュージシャンがくると秋葉原でQV-10を買ってた」という話を聞いたなあとか
(当初は日本でしか売ってなかったから)
まあいろいろと画期的だったのだ。

その後、デジタルカメラ市場は伸びそうだってんで
ソニーのCyber-shot、富士フイルムのCLIP-IT、さらにニコンやオリンパスが参入。
キヤノンやパナソニックは当初はあまり力を入れてなくて、
デジカメ黎明期は、カシオとフジとオリンパスとニコンで引っ張ったようなものだった。

で、カシオはそこでいったん脱落したんだが、
EXILIMで復活し、今にいたるわけである。

2015年7月21日火曜日

CM1で撮ってGoogleフォトが最近のパターン

晴れたのでちょいと作例撮りとブツ撮り。
夏だわー。
ひまわりはまだこれからだけど。
DMC-CM1

そうそう、Googleフォトって楽だわー。
このブログはBloggerのサービスを使ってる。これ、google傘下である。
DMC-CM1で撮った写真は自動的にGoogleフォトへバックアップしてる。
撮って帰宅してWi-Fi環境下に入ると自動的に
写真がGoogleフォトにあがる。
そこから使いたい写真をブログ用のアルバムに追加する。
Bloggerで写真を選んで貼り付ける。
楽だーーー。
しかもCM1ならクオリティもけっこういいので
最近、ちょっとしたスナップはiPhoneよりこっちで撮ることが増えております。
Googleフォトにあげると2000万画素の絵が1600万画素になっちゃうけど、
こうやって使う分には問題ないし、
オリジナルはオリジナルでときどきMacに吸い上げてるし。

iPhoneで撮った写真はiCloudフォトライブラリに同期してるんだけど
(同期という意味ではこっちの方がよくできてる)
iCloudフォトライブラリってiPhone内では便利なんだけど
デスクトップで使うには何かと機能不足なのだ。
さっさと進化して欲しいんだが、いつになるやら。


2015年7月20日月曜日

黒子のバスケとザリガニ釣りと大将塚

さて本業に戻るか、ってんで、
作例がちょっと足りないカメラを抱えて
自転車で走る。曇ってきたけど、稲が育った次太夫堀公園でザリガニでも撮るかと思ったわけで。

行ってみたら、妙齢の女子がひとりでザリガニ釣りするというシュールな光景に出会う。
しかも足下に黒子のバスケ自由帳とか出てる。
もしや、と話しかけてみたら、その筋の人でした(笑)。
夏コミ用の原稿が詰まったので気分転換にザリガニ釣りにきたらしい。

CM1

面白いー。せっかくなので、BL系ヲタの話をいろいろと聞かせてもらう。
「げんしけん」で描いている姿、ほぼあんな感じですよということで。

いつの間にか曇ってきたし、ザリガニの写真も撮らせてもらったしということで、
自転車でぶらぶら散歩しつつ帰宅。

帰途、大蔵氷川神社の少し上にある「大将塚」をやっと発見。
民家の敷地内にあるというので半分諦めていたのだが、
なんのことはない、公道から見える場所にあったのだった。小さくて陰になってるからわからなかったのだな。
大将塚。CM1


ここ、古墳なんだけど、源義賢の墓という伝承があり、源義賢朝臣墳という石碑が建てられている。
平安時代末期の源氏の武将にして源義仲の父である源義賢は「大蔵館」に住んでおり、大蔵合戦で討たれたと書かれてる。
で、その「大蔵」はどこか、という話で、一般に埼玉県比企郡にある大蔵が比定されてるのだけど、世田谷区にも大蔵という地名があり、伝承が伝わっているのだった。
まあ、当時の武蔵国の状況を考えると、近くを鎌倉街道上道が通ってた埼玉の方がありそうではあるんだけど、
世田谷区大蔵から石井土の国分寺崖線上のあたりは古墳や遺跡も多く、
古くからの土地だったのは確かで、源義賢伝承ができてもおかしくない場所なのであった。




2015年7月19日日曜日

昼間は境界協会FW。夜はお台場で「地図ナイト11」。

まあなんというか、
慣れないことをするときは何かと緊張するし、
準備も時間がかかるわけで、どっと疲れるわけですが、
でも面白いのでついやっちゃうわけですよ。

というわけで
今日は地図ナイトに初の出演。
地図ナイト11。テーマは東京の古道。

昼間は境界協会会長にして日本地図センターの(最近、テレビにもよくでてる)小林せいのうさん主導で都心の協会歩き。

外堀の上を歩きつつ、都心部の境界を楽しむ会。
猛暑の中大勢集まりまして、
わたしは喰違門のとこでちょっと話をしただけで、
もっぱら一参加者。

四ッ谷駅に集合し、
外堀の上を歩いて喰違門へ。
外堀内側の土塁の上から、お濠の中を走る丸ノ内線とその向こうにうっすらと見える迎賓館(江戸時代末期は紀伊徳川家下屋敷でありました)。


そして、喰違見附の上から弁慶堀と首都高。

喰違見附は、江戸城外堀の中で最初に作られた門で、
他の門がすべて侵入者を撃退すべく「枡形門」なのに対し、
ここだけは古い形式の「喰違門」(要するに単なるクランク)。

形式が古いこと、いち早く必要だったことから、
室町時代、渋谷から江戸城へ向かう道筋だったんじゃないかという人がいて
(わたしもその線はあると思ってる)、
そういう要衝だったから、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の下屋敷でかためられた。
逆に信頼できるこの三家が固めていたから、枡形門にしなくてよかった、
という線はあるよね、と。
今の国道246がここにつながっていたとするなら、
(少なくとも、室町時代は赤坂経由ではなかったと思う。地形的に、
 湿地帯を抜けて崖を上るのは古道的じゃない)
どういう道筋だったか。

夜はそんな話をする予定なのだった。

喰違門から紀伊国坂へ抜け、
ホテルニューオータニの新旧二つのスターハウス型ビルを眺める。

Y時のスターハウス型ビルの上に円筒形が乗るというデザインコンセプトは維持しつつ
旧館は1964年、タワーは1974年。その10年でこれだけテイストが違うのが面白い。
これは見比べて時代を感じるべし。

 そして赤坂見附門跡。

 を抜け、山王日枝神社。もう暑すぎるのでエスカレーターっす。

 山王日枝神社の表参道は実はここじゃない。山王日枝神社の西側(今の外堀通り)は文字通り「外堀」で、この辺は湿地帯&溜池だったから、道路なんてなかったのだ。
 表参道は実は東側(国会議事堂側)にある。

 山王日枝神社から少し行くと首相官邸。
 このあたり、区界がちょうど外堀に沿ってる(溜池の内側のライン)。
 首相官邸前をぞろぞろと歩いてると当然こういうことになりますが、
 もちろん問題はなし。

 上の写真は外堀通りから1本裏の通りにはいるところ。この裏の通りが溜池後に水路として残された暗渠で、区界なのだった。
 そして外堀通りに沿って文科省に向かう(途中、播磨屋で休憩。御やきもち買う。播磨屋といえば丹波黒豆が詰まった御やきもちでしょう!)。


 このあたり、知らなかったけど、今でも外堀の石垣がところどころに残ってるのだ。
 今の街並みが外堀の影響を受けているので、道が東西南北じゃなく、まっすぐでもなく、交差も直角じゃなく、方向感覚がすぐおかしくなるのである。
 面白いけどな。

 文科省のあたりがリニューアルしたとき、発掘された外堀が一部公開された。
 それを楽しんで解散。同じ外堀を上からと下から。OLYMPUS AIRに魚眼をつけて撮ったのでちょいと歪んではおりますが、虎ノ門で石垣を楽しめるのはなかなかですよ。




 みなさん地下の解説コーナーに釘付け。
 ここ、壁の色が途中で変わってる。これ、当時の外堀の水位を表してるんだそうな。よい趣向であります。

 ちなみに、最近リニューアルしたばかりの文科省あたりでありますが、
 すでに歩道の一部がこんなことになっております。
 お濠を埋め立てた場所で地盤的にアレとはいえ、いいのか。


 今回、参加者に土木や地盤の専門家もいたのであれこれ捕まえて話を聞いたんだけど、……何しろ知らない世界の話なので詳細は覚えられませんでした。

 虎ノ門で解散。
 ひきつづき夜の部(カルカルの地図ナイト)に参加する人は三々五々時間をつぶしてお台場へ向かうのだが、わたしと小林せいのうさんは地図ナイト出演者なので寄り道はせずそのままお台場へ。


東京カルチャーカルチャーの地図ナイト11。
17時オープン18時開演。
我々は16時半頃到着して機材のテストなどを行う。

カルカルのステージからシータ! #地図ナイト11 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
 当初、何人くらい来てくれるかなという不安もあったのだが、
 主催の小林さんが最近テレビに出てる効果か超満員。
 当日券がかなり出たということで賑やかなまま、
 小林せいのうさん司会、コメンテーター(笑)に江川達也さん、
 ゲストとしてわたしと葛飾区の学芸員で東京低地専門の谷口先生、さらに地図界の神である今尾先生の3人が登壇。さらに東京の立体地形図まで登場して、盛りだくさんすぎといわれた夜は更けていったのでありました。
 わたしは大山道の歴史を現在(今の国道246ですな)から室町時代(吉良・太田道灌の時代)まで遡ってその変遷をプレゼン。
 いやあ、緊張したー。疲れたーー。
 でもその後の懇親会も含めて面白かったー。
 また機会があったら呼んでください。

追記:大島だみあんさんが撮ってくれた当日のステージ写真です。こんなでした。江川さんにつっこまれてるとこ(笑)。



2015年7月18日土曜日

明日は地図ナイト

なんとか「地図ナイト11」用の資料が完成。
持ち時間は40分なのでこんな感じかなというところ。
迅速図と古道がテーマなので
迅速図を多めに使う。
ブラタモリを観る。
仙台編は面白かったな。

2015年7月17日金曜日

ぼーっ

まあなんというかぼーっとしてた1日。
地図ナイト11の準備が遅々としてすすまず、
国道246の変遷(つまり大山道が国道246になるまでの変遷)を
多摩川から赤坂まで追ってみようということで
現代の地図と明治の迅速図と江戸時代の地図(目黒筋御場絵図)の3つを使って
プレゼンする予定なのだが、
そこに挿入するいい写真がなかなか見つからない。

遠出したときの写真は見つけやすいのだが、
世田谷区内の写真はちょっとした拍子にちょこまかと撮ってるので
逆に探しづらいのだ。いやはや。

今日中に終わらせるつもりだったのになあー。

そうそう、KeynoteにWebコンテンツを埋め込みたいと思うのだが、
できないんだっけ?
具体的にはあれです、
Keynoteで作ったプレゼンにTHETAで撮った全天球パノラマを
埋め込んで、ぐりぐりと動かしたいのだよねえ。

2015年7月16日木曜日

7月19日(日曜日)はカルカルへ

ちょっとだけ寝て起きて、
ぼーっとしつつ
一昨日の写真を吸い上げたり、
その他諸々の細かい仕事。
「地図ナイト」の準備をしたり
ascii.jpに猫連載を書いてメールしたり。

でも疲れが残ってるわー。
まあしょうがないな。

というわけで、
次の日曜日はお台場のカルカルで「地図ナイト」です。
お題は「古道」なのでわたしも登壇です。
カルカルの登壇は2度目だー。
1回目は「猫ものナイト」で猫写真の撮り方の話をしたのでした。

内容が全然違う(笑)。
今回は
古地図をスクリーンに出しつつ
道の変遷の話をします。

構成は頭の中にできてきたので
そろそろプレゼン資料をちゃんと作らねば。

というわけで、
みなさまのおこしをお待ちしております。
詳細はこちらを
『地図ナイト11/東京の古道~迅速図から過去への旅~』 TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty

2015年7月15日水曜日

ちょいと実家へ

朝の新幹線で名古屋へ帰省。
帰りは夜行バスに挑戦。
学生時代はよく使ってたんだけどな、ドリーム号。

最近の長距離バスは昔に比べて楽チンと聞いて。
どうせならゆったりしてるのがいいよね、と
3列シートの車両を選択。
ちょっと割高だけど、それでも
新幹線の半額以下(特に平日は安い)。
まあ疲れるしあまり眠れなかったけどな。

長距離バスはトイレ付きのと
トイレ無しのがあって、
個人的にはトイレなしでいい。
トイレ無しの方がマメにSAやPAに止まって休憩してくれるから
外に出て飲み物補給したり身体をほぐしたり一服したりできるもの。

ちなみに、さくら観光のプレミアム2+1をセレクト。
確かに席に余裕があっていいわ。
新宿/秋葉原行きなのだけど客も少なかったし。
ディズニーランド行きはすげー多かったけど
まあメインのユーザー層はそうなのだろう。

で、5時前に新宿着。
ほぼ始発で帰宅したのでした。

2015年7月14日火曜日

苛酷な水着撮影の日

朝品川駅に集合して、
恒例、ITMediaの水着撮影の日。

晴れたーー。
やったー、と海に行ったらいいが、
風が強くて波が高くて「遊泳禁止」……。


確かに海水浴場の波ではありませんな。
で、泳ぎにいったわけじゃないんだけど、波打ち際を歩くと監視員が飛んでくるほど。

ちなみに今回のモデルさんはオスカーの辻祐香さん。美人でユニークな子でありました。
すばらしい。
辻 祐香公式ブログ|be amie オスカープロモーション公式SNS・オーディション

いやあ苛酷でした。
じゃあ砂浜で撮ろうとすると、
風で飛んでくる砂粒が痛くて無理!

持って行ったレフ板を砂除けに使う始末←本来の用途で使ってない
いやはや苛酷でした。
なかなかバリエーションのある写真が撮れず、
予定より早めに城ヶ島へ移動。

もちろんあっちはもっとすごいことになっておりました。


さてどうやって原稿にしようかと
頭を悩ませつつ帰宅となったのでありました。
さて困ったぞ。

何しろちょっとカメラを構えるだけでレンズが汚れる始末。
今回、
海辺でレンズ交換したくないので、それぞれ違うレンズをつけたボディを3台持っていったのだけど、
そうしてよかったわ。

疲れ果てて帰宅。

2015年7月13日月曜日

PSとLRの新機能「かすみの除去」は逆光対策に

先月だったか、Adobe CCが2015年版にメジャーアップデートかかりまして、
フォトグラフィプランにはいってるわたしもさっさとアップデートしたわけですよ。


まあいろいろと新機能がついたわけだけど、
おもしろいのが「de-haze」(Photoshopの方はこの表記のママ)、
あるいは「かすみの除去」(lightroomは日本語になってた)。

遠景がもやっとして霞んでたり、ガラス越しに撮ってもやってるときに
それをクッキリさせてくれる技。

たとえば、富士山。5月に富士吉田市で撮った富士山。
空に薄く雲がかかってたんだけど、この機能をかけてやるとこんな。


嘘くさいほど効果大。富士山がクッキリであります。
遠すぎて遠景がかすんでるときにいい。
使い方は簡単。たとえば逆光でコントラストが低下して白っぽくなっちゃった写真でも


「かすみの除去」をぐっとかけてやるだけ。

これ、「かすみの除去」というけど、
「逆光下でのコントラスト低下」対策にすごくいいのだ。
遠景でかすむのはしょうがないけど、
逆光下でのコントラスト低下は避けたい。
そんなときこれをかけてやると、コントラストがいい感じに復活するのだ。
それが上の例。
もうひとつ。

上の狐も下の光景もDMC-CM1の写真なんだけど、これ、レンズフードがついてないこともあって、
逆光に弱い。
でもこのフィルタをかけてやればキリッとしてくれるのだ。

上が元の写真。下が「かすみの除去」(+α)した写真。

思ったより使えそうだぞこれ、という感じで、
ああ、いつどうやってApertureからLightroomに本格移行しようか
未だに悩みつつ、
徐々に併用しております。

Apertureって大量に写真を突っ込んで整理するのにいいんだけど、
Lightroomってあまり大量に入れると管理がめんどくさそうなんだよな。
基本的に元写真の場所(フォルダ)を意識しなきゃな設計だから。

とりあえず、Adobeさん、
「Lightroom Catalog Manager」出してくれないかな。
複数のカタログをうまく管理して使い分けられるように
してもらえるとすごくうれしい。

とLightroomであれこれ遊んだあと、
家電批評の仕事をちょっとしてメールして
明日の準備して寝る。


2015年7月12日日曜日

[古道]北千住から西新井大師へ光化学スモッグ注意報とともに

仕事がない晴れた日は趣味に走るべしpart2
ということで……毎週そんなことやってる気がするんだが
 ……仕事下さい。

はともかく、
足立区の古道はほぼ手つかずだったので今年中にあれこれ訪れたいとずっと思ってたとき
西新井大師で風鈴祭りが開催されてると聞き、
よしそれにしようと北千住へ。
今日のお供は、いつものOM-D E-M1とパナソニックのCM1。
iPhoneはログ撮りや地図で忙しいので、
スナップは全部CM1で撮ってみた。まあこっちの方が基本性能が高いので便利。

辿るのは大師道か芳賀善次郎氏が鎌倉古道と推定した道か、まあ大師道を「推定鎌倉街道支線」とする考えもあり、千住から奥州へ向かう鎌倉古道(の支道)には候補が2本あるということだが、
今回は、最終目的地が西新井大師ということもあって「大師道」を辿ることに。

まずはログ。
FieldAccess 2で明治の迅速図に薄く現代の国土地理院地図を重ね、その上にログをのっけ、
Skitchで注釈を付けてみた。全部iPad上での作業。

これをやると、鉄道や今の街道、川筋が薄く透けるのでその位置関係がわかりやすい。
今回は特に大正〜昭和初期に作られた「荒川放水路」(あれ、人工の川です)の影響が如何に大きかったかが見てとれる。
あたまでわかってても、荒川(放水路)の北と南で別の地域って感じがしちゃうもの。

ともあれこんな感じ。



北千住駅から旧日光街道を南下してまずは氷川神社。
千住あたりはとにかく「氷川神社」だらけ。
荒川流域は氷川が強いのだ。

・仲町氷川神社

 牛田(北千住の南東あたり)にあった氷川神社を1616年にここに遷座したとか。
 江戸時代には白幡八幡神社もここに合祀されていたもよう。
 (地図の右下にある氷川神社)。
仲町氷川神社。DMC-CM1

・白幡八幡神社

 源義家が白旗を戦勝祈願したのがはじまりという。それがこの場所であったかはよくわからないが、江戸時代は仲町氷川神社に合祀されていたらしい。

・千住神社

 北千住の神社といえばここ。旧日光街道筋から離れているが、鎌倉古道筋なのでこの場所でよいのだ。
千住神社。E-M1

 926年創建の稲荷と、1279年の氷川(ここにも氷川!)が並んでて、「二つ森」と呼ばれていたのが元。大正になって2つの神社をいっしょにして千住神社と改称。
 一の鳥居のすぐ脇に「史跡 八幡太郎源義家陣営の地」とある。
 源義家が奥州へ向かう際、ここに陣を張ったという話。
 浅草橋の銀杏八幡、さらに鳥越神社、浅草を超えて今戸神社と義家伝承が南北に並んでいるのがミソ。

 今日はとにかく暑くて蒸しててこんな日にひとりで古道散歩なんてアホだなと思ってはいたが、さすがに千住神社ほどの神社になると風が通ってて涼しい。
 喫煙所でくつろいでると、光化学スモッグ注意報の放送が流れる。なんてこった。

 ともあれ、ここで帰るのもばかばかしいので西新井大師へ向かう。
 墨堤通りをまっすぐに進む。江戸時代に隅田川の堤防として作られたのが墨堤。
 江戸時代に作られた堤だからここを鎌倉古道が通っていたわけがないという人もいるが、堤が作られる前は川が作った微高地だったんじゃないかと思う。千住神社の立地条件をみるにつけ。であれば、ほぼ同等の道筋であっても不思議はあるまい。
 今でも墨堤通りだけ両脇より少し高いのが面白い。

・元宿神社

 しばらく進み、現荒川に近づくとそこは「元宿」。千住宿の元々の場所で、平安時代から中世はここが「千住」の中心であり、宿だった。
 元宿堰稲荷を参拝したあと、元宿神社へ。
 ここは氷川ではなく、八幡。
ここが八幡だったころの名残。元宿神社。E-M1


・西新井橋

 荒川放水路建設のために、かつて元宿を開拓した鈴木氏が先祖伝来の土地を奪われたと切々と語る「感旧碑」が元宿神社にある。
 上の地図を見ると、荒川放水路が道も集落も流してしまったのがわかる。
 古道を辿るときも大変。

・神社銀座←勝手に名付けた

 川を渡ると、西へ向かう。本木のあたりは神社の宝庫。
 とりあえずいけるところは全部回るつもりで。
 本木氷川神社、北野神社、胡録神社、熊野神社。

 狭い地域に4つの神社が集まってるんだけど、それぞれ別の場所なので
 地図を見ながら迷いつつ訪問。
 あ、熊野神社に行きそびれた! 今気づきました。がーん。
 今度リベンジしなければ。氷川から元の道に戻らずにそのまま北上すればよかったのか。ちょっとショック。

・中曽根城址

 このあたり、古道の道筋がけっこう生きてて素晴らしい。
CM1

 その大師道を北へ向かう途中、東にそれ、中曽根神社へ立ち寄る。
 ここ、戦国時代の中曽根城址(千葉氏の居館)なのだ。淵江城ともいう。
中曽根神社が中曽根城址。E-M1

 大師道と鎌倉古道といわれてる道のちょうど中間にある。

・興野氷川神社

 そして大師道へ戻るとまた氷川神社。興野神社。

・西新井大師

 ここからはもうまっすぐ、ときどきコンビニで涼みつつ、西新井大師へ。
 風鈴祭りは最終日で到着したときは16時過ぎでもう大物は売れちゃってたみたいでちょっと寂しかったけど、十分涼めました。
DMC-CM1

 西新井大師って、新井薬師(こっちは中野区)と紛らわしい名前でいかんですな。
 なぜ西新井なのか、どれだけ古地図を見たり歴史を辿っても、新井村や東新井村はないぞ、と思ったら、このお寺の「西にある涸れ井戸から水が出た」←「西の新しい井」という伝承があるらしい。
西新井大師のご案内 | 西新井大師

 わはははそれは意表をつかれたわ。

 西新井大師、弘法大師が創建というから9世紀創建か。
 まあ弘法大師が創建したとか弘法大師が見つけた井戸は全国に無数にあるのでアレなんだが、ここは古そう。

・大師前駅

 さて目的も達成したので帰る。
 西新井駅まで歩こうかと思ったら、大師前駅が面白い。
 無人なのだ。改札がないのだ。中に入り放題なのだ。
大師前駅。改札はあれどあけっぱなし。CM1

 入ってみると、単線なのに無人駅とは思えないほど広い。
 初詣客をさばくためだろう。
 ついひと駅だけ電車に乗る。
 乗るのは無料だけど、西新井駅で改札を通るときお金を払うわけで、よくできたシステムである。ひと駅だけだからできたんだろな。

 ちなみにこの大師線、もともと西板線といって、東武東上線の上板橋駅まで伸びる予定だったんだそうな。でも頓挫し、ひと駅分だけ残ったのである。面白い。

 西新井から東武線で北千住へ行き、そこで千代田線に乗り換えて帰宅。
 西新井駅で掲示板を見ると、行き先が中央林間(東急田園都市線!)、中目黒(東京メトロ日比谷線!)、浅草(東武伊勢崎線)とすごいバリエーションでややこしい。
 東武線って浅草起点ってイメージがあったのだけど、それも過去のものなのであるなあ。
西新井駅ホームにて。CM1。

 いやあ、暑くて死ぬかと思ったけど無事帰還。

 大師道は鎌倉古道かといわれると、なんとなく用水沿いに作られた江戸時代の、西新井大師詣でが流行した頃の道のような気がする。
 今度はもう1本のルートをたどってみることにする。