2019年1月16日水曜日

「まなたび」で古墳巡りの日

昔から
いろんな会社がカルチャーセンター的な事業をやってるわけだが、
ここ数年、街歩き系の野外講座が人気だってことで
いろんなところが手をだしはじめてるようで、
小田急電鉄の「まなたび」もそのひとつ。

今日はその「まなたび」の日。
テーマは古道と古墳ってことで
狛江古墳群を古地図を見ながら案内したのである。

いやあ平日ですよ、平日なのに参加者は23〜4人。
びっくり。
平日の昼間なので、定年後の方か専業主婦の方ばかりかと思いきや
会社を休んで来ました、ってな方もいて
非常にありがたい。
すごいな、小田急。

で、
民家の庭にある古墳とか普段は鍵がかかってて入れない古墳とかも入れていただけたし、
泉龍寺では仏教文庫の所長さんが解説をしてくれたし
非日常感や特別感もあってみなさん楽しんでいただけたかと思う。

まあ民家の庭の古墳も「実はみなさん自由にご覧になっていいんですよ」といってくれたし
鍵がかかってる古墳も隣のマンションの管理室に声をかければ鍵をあけてもらえるし、
ビルの裏庭にある古墳も管理室にひとこえかければその場で許可をもらえるのだが、
ひとりふたりで散歩してるときはなかなかお願いしづらいですしね。

当日のルートはこんな感じ。
途中でランチがはいってたりするので
古道ばかり歩いたわけではないけど。
古墳も登頂するのが偉いわけじゃないんだけど
まあ許可をもらえば上れる古墳もあるんですよ、ってことで。

古墳って当たり前だけど、周りより一段高いから
そこに上ると、昔はここから全体を見渡してたんだろうな
古墳って目立つから
街道を通すときも目印にしたんだろうなと思う。
鎌倉街道も品川道も、古墳を上手に使ってルートを決めてる感じがあるもの。

次回は3月に小野路を……ああ、コースの詳細を決めなければ。

まあなんというか
学生の頃からずっと、
「雑誌」を通して多くの人にアプローチするという世界で生きてきたので
そういう時代が終わるとは思ってなかったし、
「雑誌」からネットを通してひとりひとりがダイレクトに他の人たちにアプローチするという時代になっても、媒介が変わっただけでやっていること自体に大きな違いはなかったのだけど、
リアルの世界で人を集めて直接アプローチするってのはまったくの門外漢で
新鮮で面白い。収入的にはかなりアレあけど。
と同時に、
インターネットの普及(スマホの浸透を含む)によって
人ってリアルで集まりやすくなり、またリアルで集まりたくなってるんだなあと
実感する次第。
だから、街歩きの講座も隆盛なのだ。
……って他人事のように俯瞰しててはいかんのだが。








2019年1月15日火曜日

特になにもない日

特になにもない日

2019年1月14日月曜日

昭和9年の全国旅行案内地図

さすがに仕事をしないとまずいので
トリセツに原稿を1本書く。

さらにSV600で古地図をスキャンしてデジタル化を進める。

これ、昭和9年の婦人倶楽部7月号付録という「全国良好案内地図」。
昭和9年なので南樺太もちゃんと鉄道が敷かれて描かれてる。
この鉄道、今はどうなってるんだろう。
もちろん西は満州まで。

昭和9年はまだこういう旅行地図のニーズがあったのだなあ。
日華事変が昭和12年なので、その3年前だ。


面白いのが裏面の広告。
雑誌の付録なので広告がはいっているのだ。


吉本興業合名会社の「まんざい」
「ナンセンスの山/爆笑の海/吉本興業専属/モダン漫才は/人生の遊覧案内」
だそうである。

いかん、見てるとそれで1日が終わってしまう。

2019年1月13日日曜日

歴史の勉強をする日

どうも腰の具合がよくないので
出かけるのはやめて家で歴史のお勉強。


ニコン100年史と古代史講義。
一応どちらも歴史本。

ニコン100年史……腰痛もちにはつらいほど重厚な2冊組で
気になってたカメラ史のディテールを真っ先にチェック。

これはありがたい本であります。
老舗光学メーカーってだいたい同じ時期に創業してるんだけど
(ちなみにオリンパスは今年創業100年)
それには事情があったのだなあというのがよくわかる。
それまでレンズ用のガラスを輸入し、
それを加工して双眼鏡や潜望鏡などを作っていたのだけど
第一次大戦で輸入が滞り、
これは国産しなきゃまずいという軍の要請で岩崎が作ったのが日本光学なのだ。
ニコンは軍需用の光学機器、
オリンパスは顕微鏡
光学製品を内製しなければという時代だったのですなあ。

ニコンのレンズが世界に認められたきっかけの話もちゃんと描かれてる。

古代史講義は、めちゃ面白い。
ただ中学高校の教科書レベルのことは頭にある程度入ってないとつらいけど
それを踏まえてると最新の研究成果で頭の中がアップデートされる。
まあ複数の人がそれぞれ担当の章を書いているので
内容のレベルに差は出ちゃうけど、
古墳時代から律令時代へ移り変わったあたりの事情を知りたかったので
ちょうどよかったのでした。
で、邪馬台国はどこにあったんでしょうねえ←ちなみにトンデモな与太話は一切出てこない真面目な講義本なので「〜〜の謎」系の内容を求めると頭抱えるかと思います。


2019年1月12日土曜日

SV600で大正時代の地図をスキャンする日

腰の具合がよくないので
こりゃフィールドワークはムリだなってことで
多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワーク参加を諦めて
家で遊ぶ。

久しぶりにPFUのScansnap SV600を引っ張り出し、
所蔵の古地図をこんな感じでスキャン。


で、A3サイズ4枚分をJPEGにして
あとでPhotoshopで合成しようという寸法。

手作業で合成したけど、めちゃめんどくさい。
PhotoshopのPhotoMerge機能を使うと……
うまくいったりいかなかったりするんだが、
まあうまくいくこともあるので
あれこれ試行錯誤しつつ合成する。

ほんとはでっかいスキャナで一発でスキャンしたいのだが
そんな設備ないからなあ。
古い地図はたいていB2サイズなのでB2を一発で撮れればいいんだが、
写真で撮ると光を均一に当てるとか、中心をしっかり出すとか……めんどくさい。

でも面白いのだ。
これは、大正15年(昭和2年に出た版だけど、中身は大正15年のままっぽい)の東京郊外地図。昨日、髪を切った帰りにこの手の古地図が充実してる古本屋に寄って買ってしまったもの。

郊外地図といいながら、東京と埼玉だけなんだが、「かつての武蔵国のエリア」を地図にしたと思えば納得。大正時代ならまだ武蔵国って感覚残ってたろうし。

これがまた面白いのだ。
たとえばここ。
東京都(当時は東京府)ないに「てうふ」(調布)駅が2つある!
なんて紛らわしい。青梅と青海どころじゃない。
左は今の調布市。右は今の田園調布。大田区田園調布はかつて「調布村」だったのだ。

当時の地図を見ると一発でわかる歴史ってあるもんで。
やはり古地図は面白い。

いつか、手持ちの全古地図をちゃんとスキャンしてデータベース化したいのだが
いつになるのやら。

ところで、SV600も発売から4年。そろそろ新型出ないですかねえ。
わたしのような使い方だと、USBじゃなくてWi-Fiでつながってほしいし、
もうちょっとクオリティも欲しいし、A3オーバーの書類を複数枚にわけてスキャンして
きれいに1枚につないでくれる機能も欲しいし、
必要な時に持ってきて使うので、持ち運び用の取っ手も付けて欲しいし。
まあ、こんなニーズは少ないとは思いますが。


2019年1月11日金曜日

腰痛の金曜日

朝起きたら……腰痛が出てた。
なんてこった。
昨夜も普通に寝ただけなのに。。。

どうにもこうにもならんのだが
美容院予約してあったので髪を切りに行き、
ハズキルーペで遊び
(ハズキルーペがいっぱい置いてあったのだ。確かに、高年齢の人が多い古い美容院に置くというプロモーションは理に叶ってるかも)
帰宅して、
ascii.jpに猫連載を書いてメールして
あとは養生する。


2019年1月10日木曜日

来週は「まなたび」で狛江古墳群古道散歩

1月16日に小田急系の「まなたび」で狛江古墳群を案内するわけで、
平日なのに参加者がけっこう集まってるらしい。
すごいな。

というわけで気合いを入れて
当日配布する地図資料を作る。
3〜4ページにしてねといわれたので、
目黒筋御場絵図をちょっとと
現代地図+明治の迅速図で
古道や川跡、古墳などあれこれ書き込んでたら
思ったより時間がかかってしまった。


そうそう、無事、PayPayの20%還元が来ておりました。
大当たりはなかったので戻ってきたのは総額8,000円ほどですが。

2019年1月9日水曜日

ご近所でPayPay

近所の小さな珈琲豆屋さんへ珈琲豆買いに行ったら
PayPay対応してた。



現金はあまり使いたくないので(だって管理がめんどくさいし、財布出して小銭探すのもめんどくさいし)、
こういう店が増えるとうれしい。

ただなあ、あまりに「なんとかPay」が増えすぎてめんどくさくなりそうではある。
いろんなとこがデータの抱え込みを目指して、ポイントカードを拡張する感覚で電子マネーを用意するものだから、
カードを何枚も持つのに比べれば楽だけど、アプリが増えて管理がややこしくなるのも
まったくもってユーザーフレンドリーじゃないわけで、
まあ2年もすれば淘汰されると思うけど、
それまでに電子マネーっていろいろ用意しなきゃいけなくてそれぞれ登録しなきゃいけなくてめんどくさいじゃん、と思われないように祈ります。

トリセツにPixel3の記事を書いてメール。

2019年1月8日火曜日

Osmo Mobileとinsta 360 One X

延々と、Osmo Pocketで撮った映像をいじったり
insta360 One Xで撮った全天球映像を編集して遊んだり
する日。

Osmo Pocketの記事をITMediaに書いてメール。
いやあ、これ面白い。
片手でいつでもさくっと撮れるのはいい。
ケーブル直結して必要な分だけ取り込んでさっとめとめられるのもいい。
自分で使うとしたらもっと画角を広げて欲しいけど、
新ジャンルの動画クリップカメラだわ。
GoProをカジュアル動画カメラとして使っていた人に向いてそう。

三脚穴が欲しいなあと思ったけど、
その手のアタッチメントはもう山ほど出てるので
自分であれこれアレンジして遊ぶのがいいんだろうなあ。

個人的にはお気軽動画クリップ撮影カメラとしては
insta360 One X(でとった全天球動画から切り出す)の方が楽しかった感あるけど
どっちも面白いわー。

2019年1月7日月曜日

「ナゴヤ歴史探検」のような本求む

東京へ戻ったとたん、
御嶽神社から延喜式内社めぐり。
1日休んで、
4日は護国寺などで作例&猫撮影
5日は東京古道散歩とおぎくぼ古地図カフェ
6日はレビュー用作例撮りに渋谷昭和遺構一般公開最終日駆け込み
となんやかやと忙しく動き回っていたので
身体が疲れてる感があり
のんびり過ごしつつ、
名古屋の書店でたまたま見つけて買った「ナゴヤ歴史探検」を読む。

これ、面白い。
日本史って、そのときどきの歴史的中心地域で語られるので、
古墳時代から戦国時代は畿内が中心、
江戸時代以降は江戸東京が中心で
土地勘がない場所で語られてもピンときづらいのは確かにその通り。
で、縄文・弥生から現代まで
「名古屋とその周辺」で語ろうっていう本なのだ。
だから、名古屋を知らないと面白くないのだけど、
名古屋人なら気になる「尾張氏」で古代を語り、
鎌倉街道は名古屋周辺の道で、
信長や秀吉の話は当然入り、
江戸時代になると義宗じゃなくて宗春(尾張徳川家)がメインという
偏りっぷり。
でも自分の住んでる住んでた土地で歴史を語ってもらうと
すごく理解しやすい。

中学生向けなのでツッコミは深くないが
各自治体がこういう視点で
その土地を中心とした日本史をまとめてくれたら
うれしいなと思う。

とりあえず「東京の歴史」は今刊行中だけど、
大著だから内容は充実しているけど気軽には手を出しづらいのだ。
って、「東京の歴史」はもう5巻まで出てるのか。
1巻しか持ってないや。続きを買わねば。

2019年1月6日日曜日

1月6日その3-渋谷昭和遺構一般公開最終日に駆け込む

渋谷駅、玉川通り(国道246)の南側一帯は起伏があって古いマンションやら何やらが並んでてよい風情なのだった。

そこが再開発のためにごそっと撤去され、
1月7日から閉鎖され、道路も一部廃道になっちゃうのである。

この一帯が既に廃虚になってるわけで
「渋谷駅南廃虚群一般公開最終日」
あるいは
「渋谷昭和遺構一般公開最終日」か。
いずれにせよ、渋谷の一角が完全に廃墟化しているさまは一度見ておかねば、なのだ。


ってことで最終日ギリギリに出かける。

さてこの道路、歩いてみるといい感じに地形により沿っていて古そうな道であるが、
実はそれほど古くはない。
こういうときは東京時層地図の出番。
白い枠がほぼ今回の再開発区域。


明治の終わりまでは台地上は「江守邸」だったようで、
大正半ばに、江守家がその土地を手放し、
開発されて今の街ができた、と見て良さそうだ。
稲荷橋は現存してるので(渋谷ストリームとやらに組み込まれてしまったが)
それを基準に位置関係を見るといい。

で、池袋から埼京線に乗り、渋谷駅新南口に出たらすぐかな、と思ったら甘かった。
普段使わない改札だからすっかり甘く見ておりました。
この改札、山手線の内側にしか出入口がなく、
外側へ回るには、さらに南下して猿楽橋を渡るしかないのだ。
いやはや。

まあしょうがない。
南からアプローチすることにする。
大正時代の地図を見つつ、写真を撮りながら歩く。
どうやら、日本発明振興会館より北側が再開発区域になるっぽい。
発明振興会館は生き残ったか。



廃道になることを知ってか知らずか日常のように歩いている人たちにまじって
カメラを持ってあれこれ撮りまくっている人もちらほら。
同じこといるもんだ、ってことでシータ。

渋谷南廃墟群一般公開最終日に 廃墟路地でシータ。 この辺りは地形も昭和っぷりも面白かったのですけれどもねえ。 #渋谷 #廃墟群 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

さらに歩くと、1938年築という「ジュネス順心」なる有名な古アパートがあるのでその前でシータ……しようとしたら、街歩き仲間のM氏に「おぎくぼさーん」と声かけられた。
今日が最後ってことでカメラ持って撮りに来たらしい。
やっぱ知り合いがいた(笑)。
シータしてるわたしの姿を撮ってるのがM氏です。

渋谷南廃墟群一般公開最終日に 廃道直前道路でシータその2 ジュネス順心として知られる築81年築のアパート前で。 #渋谷 #廃墟群 #廃道 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

さらにここの前に座って写真を撮ってたら、通りすがりの地元のおばあさまがやってきて
「ここ、最初はホテルだったのよ。渋谷で最初のホテル。おじいさんと一度泊まりたいねって話してたの。丸い窓は船をイメージしているの。途中から賃貸に変わって、テレビでアパートだったといってるけどほんとはホテルだったの」という。
そうか最初はホテルだったのか。当時としてはモダンだったんだろなと思う。
が、この記事によると、

1938(昭和13)年、イタリア人により設計された3階建ての木造建築。丸窓や4連アーチのポーチ、玄関周りのタイル張り、ステンドグラスなど、当時としては珍しい洋風建築の装飾が随所に取り入れられた外観で、同地区の中でひときわ存在感を放っている。もともと建物は「(戦前戦中の)日本を中心としたアジア編成に向けた『大東亜共栄圏』の中で、インドネシアやビルマ(現・ミャンマー)など、東南アジアの優秀な留学生を受け入れる学生寮として使っていたと聞いている」と話すのは現オーナーの志村和義さん(80)。
だそうで、ちょっと話が違う。
さて、今のオーナーさんと、通りすがりの地元のおばあさまのどちらが正しいのかは分からないけれども、戦前のことなのでもう寮だったのかホテルだったのか、寮的な宿泊施設を、あまりにモダンな建物だったのでホテルと間違えたのか、その辺はわからない。



その地元のおばあさま、「もうちょっと先へいくと崖に穴があるでしょ。あれは防空壕の跡なのよ」と親切に教えてくれる。
たぶん、こんな風にいろんな人にレクチャーしてまわってるんだろうなあ。

これがその防空壕跡。


この先、渋谷方面に向かうと(わたしの中で)有名な三叉路。



ここ、左手の崖下の道は廃道になるが右手の坂道は残る。
でも坂道の奥のヤマハはなくなるっぽい。

坂の上から見下ろしてみる。
これはTHETAじゃなくて、insta360 One X。


このあたりの一角、封印された昭和感満載だったのだが、
再開発予定があったので、建て替えできなかった、ってのもあるんだろうな。



楽器屋さんも、赤坂喫茶スナック専門学院もバーテンダースクールも
なくなるのであった。

このエリア、なんどかカメラもって散歩したり、このあたりにかつてあったアピアへ遠藤ミチロウのライブを聴きに来たりしたのでちょっと思い入れはあるのだが、
再開発区域だったがために昭和のまま凍結していたと思うと、
やはり「渋谷昭和遺構一般公開最終日」とでも称するのが似合っていたのかと思う。

そして、渋谷駅からバスで経堂へ行き、
友人宅で新年会みたいなものにお邪魔するのであった。

1月6日その2-女子大生とOsmo Pocketで遊ぶ昼

Osmo Pocketのレビューを書くにあたり、
これ、人を撮りながら遊ぶのに向いてるから人物作例必要だよな、
今の世代の子がどう感じるのか知りたいな、と思って
いつもモデルしてくれる女子大生さまにお願いしたところ、
予想以上にウケてて、
セルフィーモードにしてちょっとその辺で自撮り動画撮ってきてみて、
と渡したら
なかなか帰ってこない始末。

めちゃ楽しそうでしょ。

なるほどなあ。
これ、頭の中に仕上がりイメージを作って撮るっていうより
自由に遊びながら撮るカメラなんだよなあ。
そういうレビューにしよう。

昭和な喫茶店(上記写真)で軽く食べたのち
彼女はバイトへ行き、わたしは渋谷へ。
渋谷区桜丘廃虚群一般公開最終日なのだ。
渋谷駅南の線路沿いの昭和な一角が再開発のためにどさっとつぶされ、
明日から道路がいくつか廃止になり通行も禁止されるので
今日中に行っておかねばならないのである。


1月6日その1-部分日食の朝

部分日食の朝。

朝9時頃。
大陽が欠けはじめたと妻がいうので
がさごそと以前の皆既日食のとき用意した
ND400とND8の2枚重ねフィルタを引っ張り出してきて、
それを12-100mm F4の前に手でアテ(フィルタ径が合わなかったので……当時使ってたレンズとボディはもう手放しちゃってるし)、
ベランダから即席で撮る。


今から撮影に出なければいけないのだが、念のため、ND400フィルタをひとつバッグにツッコンで待ち合わせ場所の池袋へ。

いい感じに晴れていたので、モデルさん(といっても普通の女子大生だけど)を待たせて
ND400フィルタをアテ、1/32000秒F16で部分日食撮影。
E-M1 Mark IIは電子シャッターを使えば1/32000秒まで上げられるので
ND400フィルタだけでも大陽を撮れるのである。


まあ即席にしてはいい感じ。
持って行ったらレンズの望遠端が200mm相当なので大して寄れず、かなりトリミングしたけど、
これ、ニコンのP1000にフィルタつけて撮ったら面白かったろうなあ。
誰かやってる人いるはず。

ちなみに、iPhone XSにND400フィルタくっつけて撮って目一杯トリミングしたのがこちら。


ディテールはともかく、スマホでもその気になればこのくらいは撮れます、ってことで。


2019年1月5日土曜日

「東京古道散歩」と「おぎくぼ古地図カフェ」の日

昼間は今年最初の東京古道散歩。

東京古道散歩的初詣と題して
半蔵門駅から
平河天神→日枝神社→赤坂氷川神社
という流れで
遠近道印の地図に描かれている道をできるだけ忠実に辿りつつ
可能な限り、それぞれの神社の旧地も立ち寄りつつ参拝するという
酔狂な企画。

普段よりちょっと多めの参加者で嬉しい限り。

目玉は山王日枝神社。

今は外堀通りにある巨大な山王鳥居から
エスカレーターで山頂へ上って参拝するってのが一般的だけど
江戸時代にはこの辺は外堀から溜池があり
そこを渡る橋なんてない。

表参道は、今の国会議事堂裏にある「山王坂」なのだ。
だからわざわざそっちから参拝するのである。



参拝後はちょいと近道をして、山王稲荷神社の千本鳥居をくぐって下り、
外堀に作られた橋のあと(明治初期に外堀側から参拝できるように道が作られた)
をわたって、赤坂氷川神社の旧地の前を抜け、
本氷川神社跡とそこの本氷川坂を上って赤坂氷川神社へ。

山王日枝神社の参拝客が多いのは覚悟していたが、
複数の列を使って同時に参拝できる仕組みのため、
意外に時間かからずに済み、参拝したい方はちゃんと参拝できた。

赤坂氷川神社は参拝の列が1本でかなり長い行列になっていたので
ちょっと断念。
その代わり崖下の稲荷とか庭園とか
なかなか普通の参拝客は訪れない場所を案内する。


夜は銀座の五十音で「おぎくぼ古地図カフェ」と称して
あれこれ談議。



この夜は、カルカルで開催された東京スリバチ学会主催のスリバチナイトがかぶっちゃったのだけど
それでも五十音へ来て下さった方がいて、感謝してもしきれない。

別件の打合せを兼ねてとはいえ、アスキーの遠藤さんも来て下さったし。

小さな店ですが、楽しく盛り上がりました。

「銀座五十音」にある猫の小部屋ではわたしの猫写真(ポストカードとミニプリント)も
置いてもらったのだが、そちらはまだしばらくおかせてもらうので
よろしければぜひお立ち寄りを。



ってなんかこの数日の日記を見てると、
どう見ても、IT系ライターとかデジカメライターのものじゃないよな(笑)。
本業はそっちなんだけどな。
CES取材には行かないけど……。


2019年1月4日金曜日

護国寺散歩の日

ちょいとカメラをあれこれ持って
護国寺へいって参拝したり富士塚に上ったりしつつ撮影する。

夜は今年最初の猫連載を書いてメール。



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2019年1月3日木曜日

終日家であれこれの日

晴れてたのだけど
今日は1日休もう、ってことで、
家でゴロゴロしつつ、録画してあった映画を観たりしつつ
所蔵の古地図コレクションからいくつか引っ張り出して
1月5日に銀座五十音で1日だけ開催する「おぎくぼ古地図カフェ」のネタを作ったりする。


こわれやすかったりやぶれかけてたりする古地図は
スキャンしたものをプリントして自由に見てもらおうかなと思ったのだ。



2019年1月2日水曜日

武蔵御嶽神社へ初詣したのち延喜式内社を2つ訪れる正月

4〜5年前、「オオカミの護符」という本が仲間内で流行ったのである。

オオカミの護符は「大口真神」のお札のこと。
これ。


御岳山の武蔵御嶽神社が発行している護符で、オオカミをかたどっている。
その話が面白く、今でも御岳山には御師がおり、宿坊もあるというので
4年前、近所の街歩き仲間で御嶽神社(みたけじんじゃ。これをおんたけと読むと、木曽の御嶽山になる)へ初詣に行こうという話になったのである。

そのとき、わたしは「腰痛」でダウン。
2年目は参加。
3年目は帰省していて参加できず。
そして4年目。
みなにとっては4回目だがわたしには2回目の御嶽神社初詣。
御嶽神社を訪れるのは3回目。

朝7時に車で迎えにきてくれて、
6人で同乗して御岳山へ。


ケーブルカーで上へ登り、そのあとは歩くのである。
山からは東京スカイツリーが……ってスカイツリーってどんだけでっかいんだかもう。

えっちらおっちらとわたしはOsmo Pocketの作例なぞをとりつつのぼり、



宿坊や旅館や売店街を抜けて無事神社へ。
この山頂に街があり、それが今でも維持され続けてるってのはすごいよ。


そして無事参拝。


社殿の裏にある、奥宮遙拝所も忘れずに。


参拝と買い物を済ませたら飲食店街でそばを食って一息。

山を降りたら帰りはどこへ立ち寄ろうかという話になり、
いくつか案は出たが、わたしと多摩武蔵野スリバチ学会会長の真貝さんが希望した
狭山丘陵南麓の「阿豆佐味天神社」を目指すことになる。

阿豆佐味天神社は「あずさみてんじんしゃ」と読む。「阿豆佐味」は、まあ当て字というか、読みに漢字を当てたものだろう。

延喜式内社のひとつ。年末から3日連続で延喜式内社である。

天神社であるが、菅原道真系ではない。もっと古い「天神」で、少彦名命が主祭神であり、これは五条天神と同じだ。

武蔵国の縁起式内社には、阿豆佐味天神社の他に大麻止乃豆乃(おおまとのつの)天神社、穴沢天神社、布田天神社と、菅公が天神の代名詞となる前の古い天神社が多いのである。




延喜式内社にしてはちと寂れているが、青梅からの大きな扇状地を前に、往古の多摩川が削り残した狭山丘陵を背にした古社に相応しい場所である。

せっかくだから、延喜式内社をさらに参拝しようとなり、
狭山丘陵の北側にある「中氷川神社」を目指す。

実はこのあたりに「中氷川神社」は2つある。どちらも所沢市。
ひとつは狭山丘陵の北にある、三ヶ島の「中氷川神社」。
いきなり「延喜式内社」とでかくかいてある。


もうひとつは狭山丘陵の東側、
山口の中氷川神社。距離は4〜5km。
こちらは南北を丘陵に挟まれた低地で、
近くに山口城があったり近くを鎌倉街道が通っていたりする。


神社としての賑わいはこちらの方が上。
地形的にもこっちの方が古社っぽいけど、
どちらが縁起式内社の中氷川神社だったのかはわかってない。

どっちでしょうねえ。

で、なぜ中氷川神社なのかというと、
大宮の氷川神社と、奥多摩の奥氷川神社のちょうど真ん中にあるから、というのが有力。
合わせて「武蔵三氷川」といわれてる。

奥氷川神社も、なぜ奥多摩に氷川神社があるのかが気になるところで、
大宮氷川神社は足立郡に属していて足立郡は氷川神社だらけで、
そこ以外だと荒川水系に多いんだけど、
奥氷川神社は多摩川水系なんだよねえ。

もしかしたら、それぞれ別の氷川神社だったのかもしれない。
(なんかの本に、武蔵国あたりでは、水が沸き出すところを「ひかわ」と呼んだという話もあったし)
氷川神社は出雲系といわれていて、主祭神は素戔嗚尊で、中氷川も奥氷川もそうなんだが
古い文献だと主祭神は「氷川明神」とだけなってるようで、
(日本歴史地名大系による)
もともとは土着の水の神様だったんじゃないかなという気もする。

まあそういうこと考えるとキリがないのだけど、
個人的にはこれで「武蔵三氷川」全部を訪れることができてちょっと満足。

最後に山口城祉に立ち寄って東京へ戻る。



というわけで、
年末年始で、武蔵国の延喜式内社を4つ回ったのだった。


2019年1月1日火曜日

延喜式内社で初詣の元日

あけましておめでとうございます。

2019年です。

例年のごとく一年の計などを立てたりはしないけど。

初詣は例年のごとく渋川神社へ徒歩で。
大晦日に訪れた尾張戸神社も
元日に訪れた渋川神社も
延喜式内社、ってことで、今年は古社をめぐる1年になりそう←いや毎年そうだろといわれるといかんともしがたいのだが、

ここが面白いのは
このあたりの田圃が676年に天武天皇の大嘗祭が行われた際に悠紀斉田として指定された場所というのだ。
天武天皇悠紀斉田跡という碑が立っている
日本書紀には尾張国山田郡とだけ書いてあるが、ここが旧山田郡であったこと、
このあたりで条里制の遺構が発見されていること、
近くに「悠紀斉田での収穫をお祝いして神様に供えた、お酒や食べ物などをみんなでいただく直会という儀式の跡に建てられました」(現地解説板より)という直会神社もあり、
地形的にも古くから稲作が行われていてもおかしくなく、
なかなかの信憑性である。

近所にある庄中観音堂には円空仏5体が残されており、
何度か観音堂にはいって間近で見せてもらったが

2017年に市に寄贈されて市の施設にうつっており、
もう観音堂にはないそうである。
残念。
まあその方が多くの人の目に触れるからいいのかもしれないし、
そこを管理している方の高齢化が進んで維持管理が難しくなってきたのかもしれない。
市の施設の方が盗難や散逸の危険も減るだろうけど、
本当は、元々の場所にいて欲しいのだよなあ。
市が金を出して郷土博物館分館をそのあたりにつくるくらいできるといいのだが。

午後は妹夫婦の車で名古屋城脇に新しくできたという謎の観光施設「金シャチ横丁 義直ゾーン」へ。


いやあ、訪れるたびに名古屋城周辺の観光地化が進んでて面白いわ。
史跡は史跡としてしっかり維持管理しつつ、
その周辺を観光地化することで観光客をもてなす、という路線は賛成。
まあ名古屋城を木造で建て直すというのはいろいろ思うところあるけれども。

元日なので開いている店は少なかったけど、そこできしめんを食う。

もちろん「宗春ゾーン」もあるのだがそちらにはいけず。
きっとそっちは派手なんだろうな。宗春だからな。

夕刻の新幹線で東京へ戻る。

本年もよろしくお願いします。