2019年1月6日日曜日

1月6日その3-渋谷昭和遺構一般公開最終日に駆け込む

渋谷駅、玉川通り(国道246)の南側一帯は起伏があって古いマンションやら何やらが並んでてよい風情なのだった。

そこが再開発のためにごそっと撤去され、
1月7日から閉鎖され、道路も一部廃道になっちゃうのである。

この一帯が既に廃虚になってるわけで
「渋谷駅南廃虚群一般公開最終日」
あるいは
「渋谷昭和遺構一般公開最終日」か。
いずれにせよ、渋谷の一角が完全に廃墟化しているさまは一度見ておかねば、なのだ。


ってことで最終日ギリギリに出かける。

さてこの道路、歩いてみるといい感じに地形により沿っていて古そうな道であるが、
実はそれほど古くはない。
こういうときは東京時層地図の出番。
白い枠がほぼ今回の再開発区域。


明治の終わりまでは台地上は「江守邸」だったようで、
大正半ばに、江守家がその土地を手放し、
開発されて今の街ができた、と見て良さそうだ。
稲荷橋は現存してるので(渋谷ストリームとやらに組み込まれてしまったが)
それを基準に位置関係を見るといい。

で、池袋から埼京線に乗り、渋谷駅新南口に出たらすぐかな、と思ったら甘かった。
普段使わない改札だからすっかり甘く見ておりました。
この改札、山手線の内側にしか出入口がなく、
外側へ回るには、さらに南下して猿楽橋を渡るしかないのだ。
いやはや。

まあしょうがない。
南からアプローチすることにする。
大正時代の地図を見つつ、写真を撮りながら歩く。
どうやら、日本発明振興会館より北側が再開発区域になるっぽい。
発明振興会館は生き残ったか。



廃道になることを知ってか知らずか日常のように歩いている人たちにまじって
カメラを持ってあれこれ撮りまくっている人もちらほら。
同じこといるもんだ、ってことでシータ。

渋谷南廃墟群一般公開最終日に 廃墟路地でシータ。 この辺りは地形も昭和っぷりも面白かったのですけれどもねえ。 #渋谷 #廃墟群 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

さらに歩くと、1938年築という「ジュネス順心」なる有名な古アパートがあるのでその前でシータ……しようとしたら、街歩き仲間のM氏に「おぎくぼさーん」と声かけられた。
今日が最後ってことでカメラ持って撮りに来たらしい。
やっぱ知り合いがいた(笑)。
シータしてるわたしの姿を撮ってるのがM氏です。

渋谷南廃墟群一般公開最終日に 廃道直前道路でシータその2 ジュネス順心として知られる築81年築のアパート前で。 #渋谷 #廃墟群 #廃道 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

さらにここの前に座って写真を撮ってたら、通りすがりの地元のおばあさまがやってきて
「ここ、最初はホテルだったのよ。渋谷で最初のホテル。おじいさんと一度泊まりたいねって話してたの。丸い窓は船をイメージしているの。途中から賃貸に変わって、テレビでアパートだったといってるけどほんとはホテルだったの」という。
そうか最初はホテルだったのか。当時としてはモダンだったんだろなと思う。
が、この記事によると、

1938(昭和13)年、イタリア人により設計された3階建ての木造建築。丸窓や4連アーチのポーチ、玄関周りのタイル張り、ステンドグラスなど、当時としては珍しい洋風建築の装飾が随所に取り入れられた外観で、同地区の中でひときわ存在感を放っている。もともと建物は「(戦前戦中の)日本を中心としたアジア編成に向けた『大東亜共栄圏』の中で、インドネシアやビルマ(現・ミャンマー)など、東南アジアの優秀な留学生を受け入れる学生寮として使っていたと聞いている」と話すのは現オーナーの志村和義さん(80)。
だそうで、ちょっと話が違う。
さて、今のオーナーさんと、通りすがりの地元のおばあさまのどちらが正しいのかは分からないけれども、戦前のことなのでもう寮だったのかホテルだったのか、寮的な宿泊施設を、あまりにモダンな建物だったのでホテルと間違えたのか、その辺はわからない。



その地元のおばあさま、「もうちょっと先へいくと崖に穴があるでしょ。あれは防空壕の跡なのよ」と親切に教えてくれる。
たぶん、こんな風にいろんな人にレクチャーしてまわってるんだろうなあ。

これがその防空壕跡。


この先、渋谷方面に向かうと(わたしの中で)有名な三叉路。



ここ、左手の崖下の道は廃道になるが右手の坂道は残る。
でも坂道の奥のヤマハはなくなるっぽい。

坂の上から見下ろしてみる。
これはTHETAじゃなくて、insta360 One X。


このあたりの一角、封印された昭和感満載だったのだが、
再開発予定があったので、建て替えできなかった、ってのもあるんだろうな。



楽器屋さんも、赤坂喫茶スナック専門学院もバーテンダースクールも
なくなるのであった。

このエリア、なんどかカメラもって散歩したり、このあたりにかつてあったアピアへ遠藤ミチロウのライブを聴きに来たりしたのでちょっと思い入れはあるのだが、
再開発区域だったがために昭和のまま凍結していたと思うと、
やはり「渋谷昭和遺構一般公開最終日」とでも称するのが似合っていたのかと思う。

そして、渋谷駅からバスで経堂へ行き、
友人宅で新年会みたいなものにお邪魔するのであった。

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