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2025/08/09

0809:CBCの日

 CBCホールで「道との遭遇」スペシャルイベント&公開収録の日。

現地入りが16時なのでそれまでぶらぶらと散歩。

暑いので、外はあまり歩かず、未訪問だった施設を中心に訪れる。

笈瀬川の暗渠を北上して「ノリタケの森」




小学生の頃、ここにノリタケドーム(ドーム型野球場)を作るって話が出て盛りあがったのだけど、結局実現しなかった。今はノリタケの森。

思ったより明治期の遺構が残っていてよい。

地図を見るとすぐ近くにトヨタ産業技術記念館があったのでそちらへ足を伸ばす。


豊田自動織機創業の地で、あくまでも「産業技術」が中心。

豊田自動織機は「綿花」から「綿」を作るための織機。

ここと、蚕から絹を作っていた「富岡製糸工場」の両方を訪ねると

綿と絹の両方の比較しながら理解できてよいと思う。

ついでに自動車館もあり、トヨタが自動車を開発する話も細かくしてくれる。

トヨタって当初はトヨダだったのだ(1936年にトヨタに変更)。


ノリタケの森もトヨタ産業技術記念館もわたしが名古屋にいた頃にはまだなかった施設なので一度見ておきたかったのだ。

そこからバスで市政資料館。ここは大変フォトジェニックなので作例を撮るなど。


そこから地下鉄で栄に出てコンパルで遅めのランチをとって

新栄のCBCホールへ。「祝☆道の日!前夜祭〜道マニア大集合〜」だそうである。


まさか、この歳になってCBCホールの檀上に立つとは思わなかったわ。

控え室で、「道との遭遇」レギュラーの面々に挨拶。

リハーサルをした後、用意されたお弁当を食べ、

19時から本番。

入場時に「シータ」掲げたらちょっと受けた(たぶん)。

観客席に知り合いが何人かいてびっくりする。


本番のもようはいずれCBCで放送されるので割愛。



終了後、新幹線で東京に戻る。


2025/08/08

0808:名古屋へ

名古屋へ。

ちょいと実家に顔を出し、

母親と炎天下の河原散歩をちょっとしたのち、

瀬戸線+地下鉄で名古屋駅に出てちょいと気になってた駅裏神社をいくつかめぐる。

名駅裏のかつては低地だったところにある椿神明社。

その横を笈瀬川が流れてた。


椿神明社 | 名古屋神社ガイド

続いて水野社。ちょっとここは良く分からないが、大きな待つがあり大松稲荷が摂社になっている。


水野社 | 名古屋神社ガイド

そして中島八幡社。すぐ横を幹線道路が走っており反対側にはお寺がある。江戸時代は同じ境内だったんだろう。
ここ、由緒があれこれ安定してないようだけど、注目は龍神社かな。
かつての中島村、八坂龍神社が摂社にいることを考えると、龍神は水に関連する場所に勧請されるので、このあたりが湿地帯だったころの微高地に集落ができた名残と思うと面白い。



名古屋の神社について詳しく調べ、私見を言い感じに交えている

名古屋神社ガイド

なるサイトを参考にしたのだけど、そこに

神社の由緒を無条件に信じてはいけない。疑問に思うことがあれば自分で調べてみることが大切だ。調べた結果、間違っていることもあるし、やっぱり正しかったということもある。 今市場から移されたものではないとすると、この八幡は誰がいつ建てたかということが問題になるわけだけど、それは分からないというのが現状の結論だ。」


という大事なひとことがあった。
そうなのだよね。

2019/08/13

名古屋経由福山行きの日

早朝起床。
朝6時に家を出て8時頃の新幹線に乗り(もちろん自由席。めちゃ空いてた)、
名古屋に9時過ぎに到着。

実家へ行ってあれこれ挨拶したり食事したりあれこれして
午後には辞去し
ふたたび新幹線で福山へ。

妻の両親が金婚式ということでお祝いの食事会である。
福山駅近くの美味しいお店でゆっくりと美味しい食事をいただく。

問題は台風である。
わたしは明日の新幹線で東京へ戻り、
妻は1日長くいて15日の新幹線で東京へ戻る予定で
わたしはひとりならなんとでもなるだろと自由席の券しか用意しておらず
妻はちゃんと指定席を確保していたのだが、
15日は台風接近のため山陽新幹線が計画運休すると発表されたのだ。

で、福山駅で慌ててチケットを変更、
14日の夜の新幹線指定席をなんとか確保。
ふたり並んだ席はさすがに無理だったので
わたしは予定通り自由席でひとりで帰ることにする。
同じ日に東京に戻るのに
別々で帰るってなんかややこしいがしょうがない。

いずれにせよ慌ただしくなりそうだ。



2019/01/07

「ナゴヤ歴史探検」のような本求む

東京へ戻ったとたん、
御嶽神社から延喜式内社めぐり。
1日休んで、
4日は護国寺などで作例&猫撮影
5日は東京古道散歩とおぎくぼ古地図カフェ
6日はレビュー用作例撮りに渋谷昭和遺構一般公開最終日駆け込み
となんやかやと忙しく動き回っていたので
身体が疲れてる感があり
のんびり過ごしつつ、
名古屋の書店でたまたま見つけて買った「ナゴヤ歴史探検」を読む。

これ、面白い。
日本史って、そのときどきの歴史的中心地域で語られるので、
古墳時代から戦国時代は畿内が中心、
江戸時代以降は江戸東京が中心で
土地勘がない場所で語られてもピンときづらいのは確かにその通り。
で、縄文・弥生から現代まで
「名古屋とその周辺」で語ろうっていう本なのだ。
だから、名古屋を知らないと面白くないのだけど、
名古屋人なら気になる「尾張氏」で古代を語り、
鎌倉街道は名古屋周辺の道で、
信長や秀吉の話は当然入り、
江戸時代になると義宗じゃなくて宗春(尾張徳川家)がメインという
偏りっぷり。
でも自分の住んでる住んでた土地で歴史を語ってもらうと
すごく理解しやすい。

中学生向けなのでツッコミは深くないが
各自治体がこういう視点で
その土地を中心とした日本史をまとめてくれたら
うれしいなと思う。

とりあえず「東京の歴史」は今刊行中だけど、
大著だから内容は充実しているけど気軽には手を出しづらいのだ。
って、「東京の歴史」はもう5巻まで出てるのか。
1巻しか持ってないや。続きを買わねば。

2018/12/31

尾張戸神社と志段味古墳群の大晦日

年末年始は恒例の帰省で名古屋へ。厳密にいうと実家は尾張旭市なんだけど、その辺はまあいいや。

昼ごろついて、ちょいと行きたいところがあったので車を出してもらう。

最近注目の(かどうかはしらんけど)、
志段味古墳群。

志段味って名古屋市の外れの外れで、なんもないとこってイメージだったのだけど、
あにはからんや、70基の古墳があり、
そこが最近「歴史の里」として整備され、
「しだみこ」ちゃんというキャラまで作られてるというのだ。
しかも、隣の東谷山には
尾張戸神社という延喜式式内社(平安時代の延喜式って文献に各地の官が認めた神社がずらっと書かれていて、延喜式神名帳と呼ばれてるのだけど、そこに掲載されているのが式内社、つまり平安時代にはすでに著名だった神社と思っていい)も鎮座してる。

なおかつ、うちの実家は尾張旭市なので、車だと近いのである。
これは行かねばってことである。

位置関係はこんな感じ。

名古屋南東のはずれである。

・尾張戸神社と尾張戸神社古墳


最初に訪れたのが尾張戸(おわりべ)神社。
戸を「へ」と読むのは、八戸なんかと同じだ。
もともと「東谷大明神」といっていたのを、徳川義直(尾張藩初代藩主)のとき
延喜式の「尾張戸神社」にあてたそうな。
祭神の天火明命は尾張氏の祖神といわれてる。

この尾張戸神社があるのが、東谷山の山頂で、そこに4世紀前半の円墳(古墳としてはかなり速い時期)があり、円墳の墳頂に本殿が作られているのだ。

ちなみに、うちの母親によると「昔は本殿まで入れて、石室の中も観ることができた」そうな。いつのはなしだかわからないけど、見たことがあるらしい。

つまり、
山頂の上にさらに持った円墳のその上に社殿が作られたというのである。
墳頂にちらりとみえるのが本殿を守る塀。この中に本殿がある。

古墳好きにも神社好きにも古代好きにもたまらん場所なのだ。



ついでにいえば、境界好きにもお勧めで、
この山頂、名古屋市守山区と瀬戸市の境界になってて、
守山区からも瀬戸市からも参道が延びている。
で、拝殿の扁額は「陶製」。
瀬戸市の陶工が奉納したのですな。瀬戸らしい。


古墳時代からここは聖なる場所だったのだろうなあ。いつ神様が祀られたのかはわからないけれどもかなりの古社なのは確か。
北に庄内川、東に東谷山、南に丘陵地があり
古墳時代から大きな集落があったんだろう。
そして一番高い東谷山の山頂に山の神様を戴いたと考えれば納得できる。

・白鳥塚古墳


山を降りて白鳥塚古墳へ向かう。
いよいよ志段味へ入るわけだが、
いやあ、びつくり。
まるで、宅地開発をはじめたばかりの高度成長期の街みたいで
道路は真新しく、ロードサイドに店が点在する他は、ちょこちょこと民家があるだけでだだっぴろく、この時代に開発途中の街を見させられるのかと。

その中に、昨日今日つくったばかりっぽい古墳を示す囲いが。

なんと平成26年に国の史跡として古墳7基が指定され、
今年、歴史の里として整備されたそうで、ほんとに作ったばかりの史跡公園なのだ。

白鳥塚古墳は4世紀前半の前方後円墳。
畿内の前方後円墳との共通点も多く、朝廷との関係が深かった人物の墓だろうという話。
愛知県で一番古い前方後円墳だそうな。しかも115mとけっこうデカい。


もちろん墳頂に上る。この写真の左手に「前方部」が残っている。
次の写真は反対側から、右が前方部、左が後円部。


つい最近までこの規模の前方後円墳がそのまま放置されるような場所だったのだ。
昔は雑木林の中にこんもりしてただけだったそうな。

こちらは平地、というか、台地の縁のちょっと高いとこ、下の地図によると、庄内川が作った中位段丘の上にある。



・勝手塚古墳


次に訪れたのは勝手塚。白鳥塚から西へちょっといったとこ。
ここも前方後円墳、というより帆立貝型。
墳頂に祠が置かれ、戦国時代に神社として祀られたせいできれいな形で残ったもよう。
こちらは古墳時代後半の5世紀末から6世紀初頭に作られたそうな。



回ったのはこの3墳だけだけど、
名古屋市の外れの外れで、名古屋市守山区に住んでいた頃はほんとに何もない林と畑ばかりのとこってイメージだったので古代にはでっかい集落があった、ってのが新鮮で面白かったのである。

そして、歴史の里グッズを置いているというORI COFFEEでなぞのしだみこスイーツを食べたのであった。


単なる名古屋の外れのさらに外れって場所が
いきなり古墳群推しになって妙なかんじではあるけど、
その妙な感じも含めて楽しむのがよさげ。