2018年12月31日月曜日

尾張戸神社と志段味古墳群の大晦日

年末年始は恒例の帰省で名古屋へ。厳密にいうと実家は尾張旭市なんだけど、その辺はまあいいや。

昼ごろついて、ちょいと行きたいところがあったので車を出してもらう。

最近注目の(かどうかはしらんけど)、
志段味古墳群。

志段味って名古屋市の外れの外れで、なんもないとこってイメージだったのだけど、
あにはからんや、70基の古墳があり、
そこが最近「歴史の里」として整備され、
「しだみこ」ちゃんというキャラまで作られてるというのだ。
しかも、隣の東谷山には
尾張戸神社という延喜式式内社(平安時代の延喜式って文献に各地の官が認めた神社がずらっと書かれていて、延喜式神名帳と呼ばれてるのだけど、そこに掲載されているのが式内社、つまり平安時代にはすでに著名だった神社と思っていい)も鎮座してる。

なおかつ、うちの実家は尾張旭市なので、車だと近いのである。
これは行かねばってことである。

位置関係はこんな感じ。

名古屋南東のはずれである。

・尾張戸神社と尾張戸神社古墳


最初に訪れたのが尾張戸(おわりべ)神社。
戸を「へ」と読むのは、八戸なんかと同じだ。
もともと「東谷大明神」といっていたのを、徳川義直(尾張藩初代藩主)のとき
延喜式の「尾張戸神社」にあてたそうな。
祭神の天火明命は尾張氏の祖神といわれてる。

この尾張戸神社があるのが、東谷山の山頂で、そこに4世紀前半の円墳(古墳としてはかなり速い時期)があり、円墳の墳頂に本殿が作られているのだ。

ちなみに、うちの母親によると「昔は本殿まで入れて、石室の中も観ることができた」そうな。いつのはなしだかわからないけど、見たことがあるらしい。

つまり、
山頂の上にさらに持った円墳のその上に社殿が作られたというのである。
墳頂にちらりとみえるのが本殿を守る塀。この中に本殿がある。

古墳好きにも神社好きにも古代好きにもたまらん場所なのだ。



ついでにいえば、境界好きにもお勧めで、
この山頂、名古屋市守山区と瀬戸市の境界になってて、
守山区からも瀬戸市からも参道が延びている。
で、拝殿の扁額は「陶製」。
瀬戸市の陶工が奉納したのですな。瀬戸らしい。


古墳時代からここは聖なる場所だったのだろうなあ。いつ神様が祀られたのかはわからないけれどもかなりの古社なのは確か。
北に庄内川、東に東谷山、南に丘陵地があり
古墳時代から大きな集落があったんだろう。
そして一番高い東谷山の山頂に山の神様を戴いたと考えれば納得できる。

・白鳥塚古墳


山を降りて白鳥塚古墳へ向かう。
いよいよ志段味へ入るわけだが、
いやあ、びつくり。
まるで、宅地開発をはじめたばかりの高度成長期の街みたいで
道路は真新しく、ロードサイドに店が点在する他は、ちょこちょこと民家があるだけでだだっぴろく、この時代に開発途中の街を見させられるのかと。

その中に、昨日今日つくったばかりっぽい古墳を示す囲いが。

なんと平成26年に国の史跡として古墳7基が指定され、
今年、歴史の里として整備されたそうで、ほんとに作ったばかりの史跡公園なのだ。

白鳥塚古墳は4世紀前半の前方後円墳。
畿内の前方後円墳との共通点も多く、朝廷との関係が深かった人物の墓だろうという話。
愛知県で一番古い前方後円墳だそうな。しかも115mとけっこうデカい。


もちろん墳頂に上る。この写真の左手に「前方部」が残っている。
次の写真は反対側から、右が前方部、左が後円部。


つい最近までこの規模の前方後円墳がそのまま放置されるような場所だったのだ。
昔は雑木林の中にこんもりしてただけだったそうな。

こちらは平地、というか、台地の縁のちょっと高いとこ、下の地図によると、庄内川が作った中位段丘の上にある。



・勝手塚古墳


次に訪れたのは勝手塚。白鳥塚から西へちょっといったとこ。
ここも前方後円墳、というより帆立貝型。
墳頂に祠が置かれ、戦国時代に神社として祀られたせいできれいな形で残ったもよう。
こちらは古墳時代後半の5世紀末から6世紀初頭に作られたそうな。



回ったのはこの3墳だけだけど、
名古屋市の外れの外れで、名古屋市守山区に住んでいた頃はほんとに何もない林と畑ばかりのとこってイメージだったので古代にはでっかい集落があった、ってのが新鮮で面白かったのである。

そして、歴史の里グッズを置いているというORI COFFEEでなぞのしだみこスイーツを食べたのであった。


単なる名古屋の外れのさらに外れって場所が
いきなり古墳群推しになって妙なかんじではあるけど、
その妙な感じも含めて楽しむのがよさげ。





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