2018年1月27日土曜日

東京古道散歩下見の日

2月3日は新潮講座「東京古道散歩」の日。
その下見をせんと、本蓮沼へ向かう。

地下鉄改札から地上に出て北上。
右手に廃虚がまだ廃虚のままなのを確認して
蓮沼氷川神社へ。

今回のテーマは中山道と志村城。
江戸時代の五街道のひとつ中山道を本蓮沼から志村、さらに蓮沼村旧地へと歩き、
出井川沿いに戻ってきて、
志村城&延命寺の中世史席&板碑ツアーという構成で、
幹線道路として古道の風情は雲散霧消してる中山道、
途中で鎌倉街道伝承のある岩淵道と交差。
あまり知られてないが、少し奥へ入ると道路脇に庚申塔兼道標がひっそりと残ってる。
そこには「富士大山・新井薬師道」とある。
大宮八幡→中野→板橋→岩淵とつながる鎌倉街道があったという説があり、
この道が中野の新井薬師へつながってたと思うと信憑性もなかなか。

志村一里塚を過ぎると志村坂上。ここから中山道旧道が残る。
中山道から分かれる大山道の道標には、練馬・柳沢・府中それぞれへの距離が書いてあり、ここから西の各地へつながっていたのがわかるわけであるがどこまで辿れるか。

中山道の大きくS字に曲がる急坂は清水坂だが、
途中に地蔵があったので地蔵坂、その前は隠岐殿坂という。
「江戸近郊道しるべ」の村尾嘉陵は「隠岐殿坂」と書いてた。
地元の人がそう読んでいたのだろう。

坂下からの風景が絶品。崖からはみでたマンションである。大胆すぎ。

そこから清水坂の清水の語源となった清水薬師の跡地にある庭園。
さらに中山道旧道を辿って小袋橋。
小袋橋の向こうが旧蓮沼村。
出井川暗渠に沿って御成塚。
ただこの暗渠、未舗装で、下手に歩くと靴裏に関東ロームな赤土がへばりつく。
天候次第では避けた方がいいかも。

ぐるっと回って志村城下。
出井川が作った舌状台地の上に志村城がある。
崖の北側は日陰であり、ここが一番ヤバかった。
何しろ今日の時点でこれである。誰も雪かきしなかったようだ。

まあ2月3日には溶けてるだろうってことで
志村城。
城址へ行くのは冬に限りますな。
葉が落ちてて空堀の様子がわかりやすい。
雪に埋もれてたけど。

荒川低地に臨む崖を降りたり上ったりするので
雪が残ってたり路面が凍結してるとやばいわけで、
一箇所、超ヤバイ道路(崖の北側で日が当たらない上に誰も雪かきしなかったらしい)があったけど、まあ週末まで晴れ間が続けばなんとかなるでしょう。

この崖のあたり、湧水が豊富で川が近くて、人が住みやすかったようで、
古代からずっと人が住み続けてるエリアである。
なかなか歴史が深いのだが、
いろいろ資料をあたっても、
志村城がよくわからない。

文献には一切出てこない城だそうで、
地元では「武蔵千葉氏の支城」で、
大永四年、北条氏綱に江戸城を落とされた上杉朝興が川越城へ逃げる途中、
このあたりで戦いとなり、落城したと伝わっていると
新編武蔵風土記稿などに書かれている。

志村城址に残っていた板碑もちょうど大永四年(←間違い。よく見たら大永六年でした。落城の翌々年)。
誰かこの板碑に、志村城がどんな城だったのか尋ねてくれやしまいか。

米良文書などによると、鎌倉から室町時代は豊島氏系の志村氏がいたようで、
志村氏と武蔵千葉氏の関係はどうだったのかなどいろいろ謎が深い。

中山道が開かれたのは江戸時代初期だが、じゃあ中山道の元になる道はあったのか。
志村城があるってことは何らかの道があったのだろうけど、中山道のような南北の道があったか、鎌倉街道伝承のある岩淵と志村を結ぶ道(岩淵の渡しは中世の紀行文にも出てくるのであったのは確実)がメインだったのか。

そんなことを考えながら歩くのも楽しい。

東京の意外に深い歴史を堪能できるコースなので
街道好きの人、神社好きの人、山城好きの人、坂道好きの人、崖好きの人、湧水好きの人、板碑好きの人、織部灯籠好きの人などなど
興味ある方はぜひ。
場所はこの辺です。




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