2018/01/11

豪徳寺の招き猫はいつからあるのか

近所で作例撮り。

なんというか、豪徳寺は相変わらずすごい観光客でしたわ。平日なのに。
「直虎」で井伊家が注目されて、井伊家の菩提寺だったってことで観光客が増えたとか招き猫の話が知られるようになったとか、
海外からの観光客も多く居るのでガイドブックにも乗ったのかもしれない。

ちなみに、江戸時代、世田谷は彦根藩の領地だったのです。
だから明治初期は世田谷は彦根がある長浜県の飛地だったのでした。

彦根藩の領地だったので、豪徳寺の招き猫がひこにゃんになったと。


さて豪徳寺の招き猫伝承。
彦根藩藩主の井伊直孝が猫に招かれてお寺にやってきたのが元で
ここが井伊家の菩提寺となり、井伊直孝の戒名から「豪徳寺」という名前がつけられたという話。

この手の伝承はたいてい「江戸時代に作られた」り「江戸時代に話を盛られた」りしたものだったりするわけですが、
豪徳寺の招き猫に限ってはちょっと違う。

どんな小ネタも拾ってる「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」の「豪徳寺」の項目に、猫のネの字も出てこない。実は以前からそこが気になってたのだ。

国立国会図書館デジタルコレクション
で検索かけてみる。
書名や見出しからしか探せない(さすがに本文検索はない)ので全部に当たれるわけではないのだけど、豪徳寺・招き猫・世田谷などなどいろんなキーワードで探してみた。

明治期に書かれた「東京名所図会」が見つかった。
豪徳寺の項にも猫の話は出てこない。

やっと招き猫話を見つけたのが1932年に出た「甲州街道の今昔」という書物。
これに、猫に招かれた井伊直孝一行が寺に立ち寄って渋茶を啜った
てなエピソードが書かれてた。なんともシンプルな話である。
今の豪徳寺招き猫伝承に出てくる「猫の名前は「たま」」とか「猫が招いてくれたおかげで井伊直孝は落雷を逃れることができた」という細かいネタはない。

昭和7年である。

まあこれが初出ってことはないだろうから、もうちょっとは遡れるだろうが、
明治中期から昭和初期のどこかといっていいんじゃなかろうか。

実は招き猫の逸話が出てきたのは明治以降っぽいんですよ、と
先日歴史研究家の方が言ってたわけで、
それを覆すデータは出てこないのであった。

思った以上に最近なのかも。
東急世田谷線開通時(大正14年)に観光客を集めるために作られた
って話も聞いたし(裏はとってません。為念)。

だからといって招き猫を否定するつもりはない。
あそこ、面白いし、けっこうフォトジェニックだし。
伝承って多かれ少なかれそういうもんだし。
個人的には史実も伝承もどっちも好きだし。

そうそう、こちらのページも参考にどうぞ。
豪徳寺+招き猫についてはちょっとボカされてますが、よくまとまってます。
豪徳寺といえば井伊直弼(桜田門外の変で殺された人ですな)の墓もあるわけで、
今年の大河ドラマは幕末ネタなので井伊直弼も登場するだろうから
まだまだ招き猫に招かれてやってくる人は多そうでありますな。

帰宅して、ascii.jpに猫連載を書いてメール。


0 件のコメント: