昨日、genronの「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」とPFUのScanSnap SV600が届いたんだけど、まだ全然いじれてない。
チェルノ本はちょっとだけ読む。
「ゾーン」とか「ストーカー」とか、ストルガツキー兄弟(あるいは、映画を撮ったタルコフスキー)の「ストーカー」からもってきた用語がそのまま使われてて、
チェルノの事故をモチーフに「ストーカー」は書かれたのかと思ってしまうほど、
もちろんそんなことはなくて、タルコフスキーの映画版「ストーカー」もチェルノの事故よりずっと前に撮られてて、
でも、実際、「ストーカー」用語で語られると、
映画でストーカー達がゾーンへ古びた電車で向かうシーンが思い出され、
チェルノブイリへの旅もあんな感じなのだと脳内再生。
ああ、タルコフスキーの映像強烈過ぎ(まああのシーンはつい眠っちゃうポイントでもあったわけだが)。
何かと情緒的なキレイごとをのたまう人が大勢いて、
被災者の気持ちというものもそりゃあ大事にしなければならないわけだけど
じゃあ、広島の原爆ドームは壊した方がよかったかというと、
多くの日本人は、あれが残っていることがとても大事なことだと思ってるはずで、
そういう意味で、現在のあれこれに目をつぶってでも
福島原発事故現場およびその周辺地帯の観光地化計画は成し遂げられるべきであると
思ってるし、それしかないと思うのだけど、
それ以上はちゃんとこの本を読んでから考える。まださわりしか読んでないから。
ScanSnapに至ってはまだ箱から出してもいない。
箱から出したら当然「試しにちょっとスキャンしてみよう」となるわけで、
セッティングしてスキャンして、「こりゃ面白い」となったら
キリがいいところまでちょっとデジタル化しようとなり
仕事が一切進まなくなるのは自明であり、
大人だからそこはぐっと我慢してまず目の前の悶々とした仕事をこなさねばならないのである。
というわけで、午後は悶々延々鬱々ちまちまと原稿を書き続ける。
2冊の本を1冊にまとめたミニ版を出すのに、テキストだけ短く書き直すという退屈な仕事なので断ってもよかったのだが、考えてみたら、元になる本2冊のうち1冊はそもそもわたしがテキストを書いてたわけで、だったらやらないわけにはいかないなという現実がそこにある夏なのであった。
そういえば「ストーカー」持ってた気がするなと思って本棚をあさったが見つからない。
もしかしたら映画を観ただけで、原作は未読だったのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿