忙しい金曜日。
歯医者→護国寺→待ち合わせまで小一時間余裕があったのでちょいと撮影
(主に猫)
講談社で打合せ→人形町→待ち合わせまで数10分余裕があったのでちょいと散策
(主に吉原時代の名残)
トリセツの打合せ
という感じで。
今、吉原跡というと浅草の北側、
地名としては「千束」になる場所のわけだが、
江戸時代はしばらく「新吉原」と呼ばれていた。
そもそもなぜ遊郭が「吉原」なのか。
もともと「吉原」と呼ばれていた土地に作られたからなのだ。
江戸時代初期に「吉原」(あるいは葭原)だったのが今の人形町。
あの辺、昔は海に近い低地でけっこうな湿地帯だったので
文字通りの「葭原」だったんだろう。
そういうところに遊郭は作られたが、
江戸に近いってこともあり、
明暦の大火後、千束の地(今の吉原。ここも湿地帯だった)に移転したのである。
移転してからかなり立ってるのでもちろん名残はほとんどないが
かろうじて、街の区画や「大門通り」っていう道の名前、
そしてこの「末広神社」が残ってるのである。
祭神は「宇賀之美多摩命」。
「美しい多摩」なんて書くとどんなかみさまなんだと思うけど、
「みたま」であり、「ウカノミタマノミコト」といえば稲荷神。
つまり稲荷神社……とおもってよいんじゃなかろうか。
上の写真がその元葭原の総鎮守「末廣神社」。
けっきょく猫写真だったりするわけだが。
0 件のコメント:
コメントを投稿