ちょっと晴れたのでその隙にちょっと追加撮影。
大五郎の具合が徐々に悪化。朝、なんとか食事をさせるがもう無理そうということで、
時折、ブドウ糖溶液をシリンジで飲ませるくらいしかできなくなる。
この日の大五郎の様子は2台のネットワークカメラでほぼ監視されている。なるべく大五郎がリラックスした状態にしておきつつ生きているかどうか確認するためという感じ。
ほぼ風呂場にいるのでカメラ1台はそちらに。
14時40分頃、少しだけ水を飲み、浴槽に飛び乗る様子が残っている。数日前、大五郎が飛び乗って浴槽に落ちたことがあり、それ以来常時蓋をしているのだ。
15時20分頃浴槽からいったん降りる。
だが、16時半頃と17時半頃の2回、浴槽に飛び乗ろうとして失敗して落ちる。
いよいよ具合はよくなさそうであるが、水を飲ませても辛そうなのでいかんともしがたい。体温も下がってきてるのでできるだけ暖かい場所でゆっくりしていてねと願うのみである。
前回、にやが永眠したときは病名もはっきりしており、手立てを講じたのちのことだったのであるが、今回は血液検査やレントゲン検査はしたものの特に致命的な病気は見つからず、これ以上細かく調べようとすると麻酔をかけての検査になると言われて辞めたのだ。
あまり無理させないようにしようと決めていたのである。
夜、ブドウ糖溶液を少し飲ませる。
目を閉じて眠らなくなると危険だというがそんな感じになっている。横になってはいるものの目を閉じて眠るという感じではない。
20時20分頃、風呂場を出てヨロヨロと寝室へ向かい、棚の下に隠れる。
寝室では具合が良いときは棚の一番上(ほぼ大五郎用のベッドとなっている)、悪いときは棚の一番下(そこが誰にも見られないで隠れられる場所)が定位置なのであり、一番高いところへ登れていると少しは回復したのかと喜んだりしてたのである。
大五郎が棚の上へ行くときは、まずベッドにのぼり、そこから低い洋服ダンスに飛び乗り、そちらから高い棚へ移る。
21時21分(ネットワークカメラの動画に時刻が刻印されているのでわかる)、
大五郎が少しは体力が回復したのかよろよろと這い出て、ベッドの上に飛び乗る。
そこから洋服ダンスに向かって飛ぶが、後ろ足を引き上げることができず、失敗して落ちる。
口を開けてはぁはぁいいながら棚の下に戻る。呼吸しづらいようである。妻が大五郎にブランケットをかけてやる。
21時52分、よれよれのまま這い出して自力でトイレに向かう。見守る。
トイレの中で倒れる。ヤバそうなので抱き上げて外に出してやる。なんとか自力で用を足して倒れたのである。なんてこった。
タオルで包んで暖かくして撫でているとよろよろと立ち上がって歩き出し、トイレから2mほど離れた場所にある猫スリバチへ向かい、そこによじ登る。
うまく丸くなれないので手伝って楽な姿勢にしてやる。
22時過ぎ頃、妻と二人で声をかけながら撫でているどこかで息を引き取る。その瞬間はよくわからない。ただ、一切の反応がなくなっていった。
22時半頃、ああ、本当に息を引き取ったのだなと諦め、目元や口元が汚れていたので猫用のウェットティッシュで拭いてやる。
にしても、最後の体力を振り絞ってトイレへ行って用を足し、
最後の体力を振り絞って猫スリバチまで歩いて行ったのだから立派だった。
18年間ありがとう。生後数ヶ月で引き取ったので、一緒だったのは17年半くらいか。
マッチョ体質で見た目より重かったのだが、痩せ始めたのが今年の7月くらい。何かおかしいぞと医者へ連れて行ったのが8月半ば、さらに食事量が激減したので9月に再度医者へ。
何なら食べられるかわからず、ちゅーるから介護食までいろいろなバリエーションを買い込み、少しでも栄養をとってもらおうと無理に食べさせたが、それで無理をさせちゃったのか、あるいは無理をさせたおかげで何日かでも生き延びられたのかその辺はわからないが、一進一退しつつ今月いっぱいくらいは生きててくれるかなと思っていたのでちょっと衝撃である。
寝たきりになった時のためにおむつも用意してあったのだ。
最後の最後まで歩いて用を足して歩いて猫スリバチへ辿り着いて息絶えるとは大五郎らしい。猫の尊厳。
0時過ぎ、ネットで「せたがやペット斎場」を調べたら、24時間受付だというので電話し、翌日13時の火葬を予約する。
ここ、猫を何匹か世話している感応寺に併設されたペット斎場であり、感応寺には何度か訪れて猫を撮らせてもらい、猫連載にも掲載させてもらった(その都度許可を口頭でもらっている)縁もあってうちの猫に何かあったらお世話になろうと思っていたのである(というのを思い出した)。
遺体を保冷剤を敷き詰めた段ボールに入れ、タオルをかけてやる。
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