次のレビュー用機材が届くまでちょっと間があるので
単行本用の取材に出動する。
水天宮前駅から中州。中州は埋め立てられたが地名で残ってる。
清洲橋を渡って芭蕉に挨拶して小名木川。
新扇橋と閘門。
猿江稲荷と猿江神社(たぶん、もともとは同じ稲荷)。
猿江の語源は「源義家家臣猿藤太」の猿だそうである。平安時代にここが入江だった……って、いや海だったか、浅瀬で州ができたりできなかったりしてたか、小さな島だったか、いずれにせよそのときすでに稲荷神社があったのかといわれるとかなりアレだと思うのだけど、他に語源候補がないみたいなのである。
ともあれ、猿江神社は稲荷。江戸時代、このあたりに妙寿寺が移転してきて稲荷を取り込んだのだが、明治になって神仏分離で稲荷が猿江神社として独立。
妙寿寺は震災後烏山の寺町へ移転したが、2017年に旧地に猿江別院が誕生。
猿江神社。 |
妙寿寺猿江別院の猿江稲荷。 |
近くには謎の摩利支天尊日先神社。摩利支天って仏教の守護神じゃん。それを祀った神社って……明治期の神仏分離時によく逃げ延びたな、と思ったら、神仏分離時には猿田彦を祀ることにしたようで、あとから摩利支天が復活したか。
日先神社って珍しいなと思って調べたら、摩利支天と日先神社の関係について調べてちょっとした論文を発見。これもまた面白い。
いろいろ調べたいのだけど、きっとそこまで書くスペースはない。
そして釜屋堀地蔵堂や小名木橋沿いの道標。
歩き疲れたので
東京メトロ住吉駅から帰宅。住吉っていうくらいだから、住吉神社でもあったのか、住吉は航海の神様なのでこのあたりは海辺だったのか、で、住吉神社はどこだ?……と思いきや、1968年に付けられた単なる昭和の瑞祥地名だそうな。えー。瑞祥地名なら、余計な連想させないような瑞祥っぽい地名にすればいいのに。住吉でしかも往古は海がすぐそこだったとなれば誰だって住吉神社があったのかと思うじゃないか。
がるる。
帰宅して単行本の原稿に取りかかる。
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