例年、近所にする街歩き仲間(多摩武蔵野スリバチ学会会長もいる)で武蔵御嶽神社へ初詣に行くのが恒例となっているのだが、
今年はなかなか4人のスケジュールが合わず、2月11日になってしまったのである。
正月じゃないので混んでないだろういつもより遅めのスタート。
まっすぐ滝本駅まで行き、駐車場へ車をいれ、ケーブルカーでのぼる。
ケーブルカーを降りたら、あとは参道を徒歩で。
年々上り坂がつらくなる。くはー。
拝殿の裏にも摂社がいっぱいあり、さらに奥には奥の院の遙拝所もあるのだが、そちらは雪のため閉鎖中。1,000メートル近い山の上なので雪もそれなりに残っているのだ。
じゃあ宝物殿へ行くか、ってんで宝物殿。
宝物殿はめちゃ寒かった。
でもガチで平安時代末期(畠山重忠が寄贈と伝わる)の鎧兜がきれいに残っているのはすごい。まじまじと見ちゃう。撮影禁止だったので写真はないけど。
そしていつもの店でいつもの蕎麦を食べて一息ついて下山。
途中、手作りいもけんぴ100円を見つけて4人で食べながら歩く。
いもけんぴ旨い。
下山後のルートは毎年異なる。
今年は吉野梅郷から梅ヶ谷峠を抜けて、ロンヤス階段の日の出山荘へ行こうということで出発。
吉野梅郷。梅にはまだかなり早かったので、山の上にある菅原神社に立ち寄って辞去。
梅郷の案内図に「鎌倉街道」とあったので辿ってみる。
このあたり、鎌倉街道山の道が通っていたのだ。
そして梅ヶ谷峠を越えて日の出山荘へ。
中曽根康弘が昭和30年すぎくらいに日の出村から打診されて購入した谷地の奥にある別送で、そこにあった江戸時代の農家を修復したんだそうな。
1983年、そこにレーガン大統領を招いてちゃんちゃんこ着せたって大ニュースになった場所だ。
別荘というと贅沢そうだけど(洋風の大きな別荘もあるけど、それは平成に建てたもの)、実際には江戸時代の「農家」。そこに用意されていたのはおそろいの「ちゃんちゃんこ」。
当時学生だったからピンとこなかったけど。
山奥の農家にアメリカ大統領を招いてちゃんちゃんこ着せたのだから話題にもなるわ。
一番奥にある書院は平成に建てられた洋館。
そこのソファーで4人でしばしくつろぐ。
寝ちゃいそうである。
日の出山荘の管理人と立ち話すると、幸神堂という和菓子屋にロンヤス饅頭を売っているという。
これは行かねば、ってことで新しい目的地追加。無事、ロンヤス饅頭を買う。
幸神堂の名前の由来は昔のそのあたりの地名で、地名の由来は幸神神社。
この神社名がめちゃ難読。
建武2(1335)年、京都の幸神社を勧請したという。幸神社は「さいのかみのやしろ」。祭神が猿田彦大神なので賽の神と同じ意味だろう。
それがなんとここでは「さぢかみ」神社なのだ。
全国に幸神神社はあるが、たいてい「さいのかみ」と読む。ここも「さちかみ」ならわかる(東京都神社庁のサイトには「さちかみ」とあるし「さちがみ」と紹介しているサイトもある)が、地元の人や境内の掲示によると「さぢかみ」なのである。「さちがみ」ならまだわかるがなぜ「さぢかみ」になったのか謎なのだ。
ともあれ、地形的には平井川に臨む河岸段丘の上にあり、表参道は街道から少しずれた場所からはじまってる。この参道も謎なのだが、以前は寺の一部だったようで、その関係かもしれない。
近くに、古い建物で有名な理髪店があるから行きたいという話が出て、そちらへ立ち寄ることに。
店は閉まっていたが、駐車場で洗車していたお店の方がせっかくだからとあけてくれた。
なんとありがたや、恐縮至極。カーテンも開けてあかりもつけてくれたので
中に入って話を伺う。
昭和3年の建物で今でも現役の理髪店なのだ。
その名も「藤太軒理容所」。名前の由来は、近くに藤原秀郷(俵藤太)伝承があり、藤原秀郷が陣を敷いたという藤太橋(今はない)だという。
平将門と俵藤太伝承があるのだ。
その後、日の出町の上羽生家へ。江戸時代の名主で、塔婆をこのあたりの産業として興した家だという。今でも板卒塔婆の60〜70%は日の出町で作られてるそうな。
そんな羽生家の有名な三階建の蔵とその向かいにある伊奈沢天神社へ。
伊奈の人がやってきて開発したので伊奈沢というらしい。
そして五日市街道を走って都内へ戻り、晩飯を食って解散。
充実した1日でした。
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