江戸末期、「江戸名所図会」の著者として有名な斉藤月岑が表した
「武蔵国江戸の年表」(だから武江年表)で、
徳川家康が江戸に入った1590年から江戸時代の終わりまでのできごとを
時系列で丹念に記した「年表」だ。
江戸末期に書かれたものだから、中期から初期の話は当然
文献に頼ることになるわけで、必ずしも史実ばかりとは限らないが、
とりあえずこれに当たれば、江戸に起きたことはたいていわかるという
ありがたい本である。
わたしが読んでいるのはちくま学芸文庫版。
やっと元禄まできた。綱吉の時代である。
元禄といえば、あの、忠臣蔵の元ネタ。
松の廊下で切りつけられた上に、就寝中に47人によってたかっておそわれ
なぶり殺しにされた哀れな老人の事件がおきた時代。
これはどう記述されているか。
適当な現代語訳で。
○3月14日 浅野家と吉良家の間に事件が合った日。みんなが知ってることだから、ここに詳しくは書かない。
っておい(笑)。
翌元禄15年。討ち入りの日である。
○12月14日 浅野家の義士47人、本意を達する(この事件は人口に膾炙するので、ここには書かない)
っておい(笑)。
まあこのように、めちゃ細かい割に、お茶目なところもある年表なのである。
なぜこんな扱いになったか、作者に聴いてみたいところ。きっと、あまりに忠臣蔵がはやってて
うざかったのだろう。
それはともかく、
注目は元禄16年。今にいう「元禄大地震」の記録である。
○11月22日
夜8時、地鳴ること雷のごとし。
大地震が来て、戸も障子も倒れ、家は小舟が大波に動くがごとく、地面が2〜3寸から、場所によっては5〜6尺ほど割れて、砂をもみあげ、あるいは水を吹きだしたところもあり。石垣はくずれ、家や蔵はつぶれ、穴蔵は揺りあげ、死人は夥しく、泣き叫ぶ声がちまたにかまびすしい。また、所々、こわれた家から出火がある。
8時過ぎに津波があり、房総半島では人や馬が多く死ぬ。
内川では水面が満ち引きのように4回上下した。
このときから数度地震あり。
相州の小田原はわけて夥しく、死者はおよそ2300人。小田原から品川までは15,000人、房州では10万人、江戸では37,000人以上となったと、記録されている。
このとき、深川の三十三間堂が倒れた。
24日の夜から雨が降り、明け方に止んだ。その後12月まで地震がしばしばおきた。
これを読むだけで、元禄大地震のすさまじさがわかるというもの。
液状化現象とおぼしき記述もある。
翌年、宝永に改元される。
大地震を機に年号を変えたのだろう。
この「武江年表」。Amazonで見ると中古しかない。上巻はほどほどの価格だが、
中巻と下巻はものすごい価格がついているので、上巻しか買ってないのである。
なぜこういう資料本を絶版にするかなあ>ちくま書房
ちくま書房のサイトへ行くと、上中下の3巻セットだけ在庫があるもよう。
うーむ。どうしよう。
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