2014/05/06

[古道]東京古道散歩講座の下見を兼ねて

週末は東京古道散歩講座であるからして、
ちょいと下見をしておかねばと
Nikon1 V3だけを携えて(軽くて小さいから)用賀までバスで向かい、
そこから世田谷城を攻める。
4月のタモリ倶楽部でやられたパターンそのままですな。


普段このあたりは自転車でしかめぐらないので
歩いてみるとそれなりに新鮮で面白く、
当日のルートもだいたい決まる。
代官屋敷や世田谷城址・豪徳寺で時間を食いそうなのが不安点。

今日の収穫は豪徳寺のこれ。
Nikon1 V3。
豪徳寺境内墓地の一角。

豪徳寺は世田谷城の一部(あるいは世田谷城に隣接する吉良氏の館跡)といわれていて
当時の土塁も一部残っているわけだが、
そもそものおこりは、
1480年、吉良政忠が叔母の弘徳院のために編んだ庵だとされている(1480年といえば長尾景春の乱が終わった頃。太田道灌が活躍してる時代)。
そののち臨済宗から曹洞宗になり、
江戸時代に井伊家の菩提寺となり、豪徳寺という名がついて発展したわけだが、

「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」を見ると、
豪徳寺の境内に吉良政忠と弘徳院の墓石(というか、宝篋印塔)が残っていると書かれているのだ。
でも今の豪徳寺を歩き回ってもそれらしきものは見つからない。
まあ、豪徳寺となる以前のものであるし、墓地を整理したり改築したりする中で失われたか、非公開のエリアに置かれているのか、気になっていたので、
境内を歩いては参拝客に声をかけている、解説ボランティアのおっさんを捕まえて
訪ねてみたところ、
なんと現存したのだ。
それが上の写真。
右の石碑にはその能書きが書かれている(漢文なのでよくわからんが、吉良氏について書かれているようだ)。
そして石仏の左に台座だけが2つのこっているが、
この台座に、吉良政忠と弘徳院の宝篋印塔が建っていたんだという。
おお。ちょっとうれしいぞ。
で、肝心の塔はというと、風化が激しく、
今は地下におさめられていて非公開なのだそうな。
残念。
いつ地下におさめられたのかは聞いたけど忘れた。
まあ台座の新しさからいって、けっこう最近かもしれない。

個人的には、郷土博物館にでも寄贈してもらって展示して欲しかったりするのだが
その辺の事情はよくわからない。

ただ、室町時代を示すものが現存していたというだけでちょっとうれしいのである。

ふう。
3日連続で1万歩以上歩いたから疲れたわ。
帰宅してマッチデーJリーグをみたら
グランパスが鹿島になんとか勝ってたのでほっとする。






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