このあたり一度ちゃんと訪れたかったのだよね。
何しろ古代東海道の要衝にして、
下総国国府があった場所なのだ。
JR市川駅集合。
いきなり駅前高層ビルへ上る。
最初にこれから歩く土地を一望するとか、なんて贅沢なスタート。
左手に見える大きな川が江戸川。
中央遠くの森が国府台と呼ばれる台地で、
手前の崖あたりが「真間」。弘法寺があるところ。
正面手前やや右から奥へまっすぐ伸びる道がある。
これ、街道から弘法寺への参道。
往古は入り江で、しばらくは湿地帯だったろうから
中世以降の道か。
台地真ん中あたりが国府址。
国府台の右に少し低地があってその右にまた森がある。
ここが国分台で国分寺があった場所。
そこから出発である。
1)市川から真間へ
まずは明治の迅速図で基本を。
実はこのあたり、江戸川(当時は太日川)が上流から運んだ土砂でできた「砂州」であり、
微高地となっている。自然にできた微高地に古代の街道ができ、駅が作られたのだ。
この砂州は今でも現地へ行くとわかる。
微妙に標高が高いのである。それをみなで確かめて喜んでいる。
へんな集団だ。
そして、この砂州と国府台台地の間は入り江で「真間の入り江」と呼ばれていた。
ここは古墳もあり、手児奈姫伝説は「万葉集以前の伝説」であり、
国府が台地上に作られる前からの集落であり、
おそらく、このあたりで一番最初に栄えた土地だ。
入り江になっていたおかげで湊として賑わったのだろう。
市川駅前から弘法寺への狭くてまっすぐな道は往古からの参道。
入り江がやがて湿地となり、真間川流域を残して地面となった頃、
弘法寺への参道としてつくられたのかと思う。
古道を弘法寺へ向かう一行 |
台地の手前に手児奈霊堂がある。
手児奈姫の伝説についてはこちらをどうぞ。
→市川市|市川のむかし話『真間の手児奈』
→www1.icnet.ne.jp/mama/tekona.htm
川を渡るとすぐ手児奈霊堂。
すごいのは、万葉集をはじめとして
律令時代にすでに「昔あった話」として何度も歌われてるネタを持っていたということ。
それだけ真間のあたりは古い歴史を持っていて
人(そして物資)の往来が多かった土地だったということで、
それは、真間の入り江がちょうどよい場所・形だったということに他ならず、
下総台地は古墳時代から延々とそれなりに賑わってきた場所で、
平安時代、延喜式古代東海道ができたときも交通の要衝だったのだ。
さらに手児奈霊堂前から長くて急な階段を台地上に上ると弘法寺である。
「こうぼうじ」ではなく「ぐほうじ」と読む。
737年創建で、行基が創建。当初は「求法寺」と書いた。これなら「くほうじ」と読めるわけで、822年、空海が「弘法寺」とし、のち、天台宗と成り、
1275年に日蓮宗に改宗。
まあなんというか、行基や空海が本当かは別にしてもその頃からある古刹なのは確かなよう。
長い階段の途中には「涙石」がある。江戸時代に作られた石段のひとつの石だけが
常に「濡れている」からという。
確かにひとつだけじとっとしてるじゃないか。
いやあ面白い。
東京から江戸川を隔てただけの場所にこれだけ面白い歴史が転がってるとはたまらん。
2)国府台とじゅんさい池と国分寺
弘法寺から松戸街道(延喜式古代東海道の名残)に出て、国府神社にたちより
江戸川沿いに出て、川沿いを里見公園へ向かう。
里見公園は国府台(こうのだい)城址。
室町時代の終わりから戦国時代、
安房国から上総へと勢力を広げてた里見氏と
小田原から武蔵国へ勢力を広げてた小田原北条氏が戦った場所。
もっと歴史を遡ると、
室町時代の鎌倉公方(足利氏)と関東管領(上杉氏)の争いが元で、
鎌倉公方側は敗北して利根川の北側にある古河に逃れ、古河公方となり、
上杉氏は内紛を繰り返したりして結局小田原北条氏に敗れ、
「利根川を挟んで、小田原北条氏と足利氏がにらみ合った」わけだ。
で、当時の利根川は東京湾に注ぎ込んでいたので、
房総半島は利根川の外側、つまり、足利氏側だったのである。
足利・里見連合軍は国府台城で攻めてきた小田原北条氏と戦い、
2度目の合戦で敗北したのである。
で、里見公園には負けた里見氏に関する伝承がいろいろ残っていて面白いのであるが、
国府台は古墳が多く残る場所としても、国府が置かれていた場所としても知られており、
里見公園にはこんなすごい古墳が残っている。
なんと、かなり形が崩された前方後円墳で、
2つの石棺が剥き出しになってるのだ
江戸時代からこの状態だったらしい。今でもそう。
上ったら石棺が露出してる古墳、とかなかなかないっす。
里見公園で昼飯を食い、
(実は2日レンチャンなのでこの時点でかなり疲れてる……)
ここから法皇塚古墳を経由して、
コンビニでちょいと補給して、
台地を降りてじゅんさい池に向かう。
じゅんさい池、というのはまあ狭い谷地で
ずっと池や沼地だったところ。
そこに降りてまた上る道がいい感じに湾曲してたたまらんのだ。
この道の旧道沿い、じゅんさい池(一度埋められたものを後に復活させた、今は人工の池)入口あたりに姫宮がある。
これは国府台合戦時に負けた里見氏の姫君が入水自殺したという伝承。
美女が入水自殺する系の伝承はあらゆるところに残っております。
そして反対側の台地へ上る。そこが国分台で、国分寺があったところ。
国分寺建立の詔が発せされたとき、
国衙が置かれた国府台はさほど広くない台地だったので、
谷を挟んだ反対側に白羽の矢がたったに違いない。
もちろん当時の国分寺はないが(現存の国分寺は同じ名前の違うお寺)
発掘調査の結果として、金堂跡などの碑がいくつか残っている。
そして台地を降りて再び市川駅へ向かって解散。
さすがに2つレンチャンだと疲れるわー。足がいたいわー。
というわけで、ルート。池をわざわざ一周しております。
細かいエピソードはいろいろあったけど
疲れたので詳細は割愛。
ともあれ、市川って江戸川を挟んですぐの場所だけど、
想像以上に歴史が深くて面白かったわ。
ところで「真間」。語源はなんだろうという話をメンバーとする。
どうも「ありのまま」や「わがまま」の「まま」と同じなんじゃないかとか。
まあ日本国語大辞典にはこうある。どれも真間にあてはまりそう。
急な傾斜地。崖(がけ)。また、畦畔(けいはん)の大きいもの、堤のくずれた所、水辺の窪地などをもいう。
疲れながらも、夜は作例の整理やブツ撮りなどをする。
微妙に働いております。
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