ああ、晴れた日に限って手元に作例が必要なレビュー用カメラがないというマーフィーの法則。ちょっともったいない。
でもそんな日は趣味に走るべし。
ってことで、自転車用フロントバッグにE-M1とレンズ2本とCM1をツッコミ、
久しぶりに自転車で気持ちよく走ることに。
久々に登場。後ろは松ノ木の小さな稲荷。 |
阿佐ヶ谷→天沼→吉祥寺(のヨドバシで買い物)というルートをざっくり決め、あとは地図を見ながら気まぐれに。
結局こうなったのであった。
自宅は下の方の地図の外。おおざっぱに三角形を書く感じで。
結局、神社と古道と暗渠と庚申塔(や地蔵尊)めぐりになったなあ。
いつものパターンだ。
・大宮八幡宮
お馴染み。1063年創建というが、もっと古くてもおかしくない立地。弥生時代の方形周溝墓も発見されてるし。鎌倉時代の板碑も発見されてるので、鎌倉時代にはあったのはたしかだろう的な古社らしい古社。
・馬橋稲荷神社
鎌倉末期創建という。
村尾嘉陵の「江戸近郊みちしるべ」では、馬橋稲荷の前の道を阿佐ヶ谷神明宮に向かって歩いてる。古道。「馬橋」は馬橋稲荷の少し東にある道を北に行ったところにかかってた、桃園川の橋。鳥居の龍が素晴らしい。
・寅印菓子店
ここで焼き菓子を買う。友達の友達がやってるお店。美味。
・高円寺氷川神社
桃園川暗渠を東に向かい、高円寺氷川神社へ。台地の突端といういい位置に鎮座。
源頼朝が奥州征討の折、立ち寄ったか、家臣がここにとどまることにして氷川神社を勧請したか、といわれてるが、高円寺創建(戦国時代)と同じ頃ともいわれてる。
ああここにも源氏伝承が! という感じで、まあ頼朝が立ち寄ることはなくても(頼朝なら八幡神社を勧請しそうだし)、頼朝に従って奥州征討にいった家臣のひとりが創建したというのはありそうな気がする。
・天沼熊野神社
古道を走ったり桃園川暗渠を辿ったりしつつ、天沼を貫く古道へ出て西へ。
途中、天沼熊野神社へ立ち寄る。ここも古社。
社伝によると、神護景雲2年(768年)、東海道巡察使が勧請したというが、さて。
神護景雲2年といえば、道鏡の頃だが、続日本紀に、乗瀦と豊島の2駅が出てくる年。利用者が多いので馬を10匹に増やしてくれという話で、はじめてこの2駅が古代東海道の駅として出てくる。その乗瀦駅の比定地(のひとつ)がこの天沼で、それを受けての伝承かと思われる。
他にも、新田義貞が鎌倉へ進軍するときに通ったとか(いや、義貞が通った鎌倉街道は府中を通る上道だろうから、こっちにはよらんだろ)、そんな伝承もあるが、とりあえず中世にはあった神社だ。
・天沼稲荷神社
古道を挟んだ反対側に天沼稲荷神社もある。
江戸時代初期かその前くらい創建らしい。
ここまでくると天沼八幡神社にも立ち寄るべきなのだが、ここは昔訪れたことがあるし、いつの間にか日が傾いてきて、これはいかんということで、素直に西へ。
四面道交差点まで古道をひた走り(四面道って地名もたまらんものがある。一度調べてみないと)、あとは明治後期の地図を見ながら当時の道を辿って西へ走ると、西荻をすぎたあたりで学校帰りの東女の女子大生大勢とすれ違う。東女って吉祥寺駅を使うというイメージがあったけど、西荻窪の方が便利なんだろか。
ともあれ、途中で南下して無事ヨドバシカメラ着。
そこで買い物をすませ、南下して千歳烏山経由で帰宅。
久しぶりに30kmちょっと走って気持ちよい1日なのでありました。
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