あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
近所を初詣散歩し、円空仏と出会う。
子供の頃は
森の中に古いおうちが数軒と古いお堂、
奥に神社があり、
街道から神社に上る参道はお祭りになると屋台が並ぶ、
その南には矢田川、北は田圃。
そんななんてこと無い田舎であり、
そのお堂に円空仏があるなんて知ったのは
オトナになってからである。
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より。左が大正時代末期、右が現代 |
普段は内部非公開だが正月は開けてくれるようで、
たまたまお堂を管理してる方と話ができ、
中へもどうぞといってくださったので
お言葉に甘えて円空仏5体。
円空はそもそも美濃国の人であり、
尾張美濃飛騨に特に多くの仏像を残しているのだが
それにしてもこんな近所に5体も無造作に残っているとはたまらん。
お堂の中には多くの仏像が置かれているが、
円空仏は東南の恐れがあるので檻の中に。
左に3体、右に2体。
中央は秘仏。藤原時代(というから平安時代中期か)の木造の観音様らしい。
なぜここにあるかは不明というが、
川沿いの農地のど真ん中という条件の悪い場所に残っていたとは僥倖である。
平安時代の木造の観音様で高さが160cmとなれば重要文化財クラスなんじゃなかろうか。どうなのだろう。
さて円空仏。
円空仏にしては非常に柔らかく柔和な仏様であるが、
それは円空晩年の作であるからだろうという。
よい仏さまである。
観音堂自体は江戸時代に建てられたもの(創建は元禄の頃と伝わる)であるが、
その東には直会神社(通称にょうらいさん)、北には渋川神社を控える古い土地である。
渋川神社は毎年初詣に行く産土神で、
延喜式の「尾張国山田郡澁川神社」に比定されている。
渋川はこの南を流れる矢田川のことで、
当初はもっと川の近くにあったが、現在地に遷座したそうな。
わたしが中高校生の頃は南北の印場道はまだ旧道で
古い境内で遊んだ記憶があるのだが、平成になって全焼してしまったのが残念。
夜、新幹線で東京に戻る。
元日ということもあってさほど混んではおらず自由席で余裕で座れる。
だがしかし、
座席に座る瞬間、なぜか腰がピキッという。新年早々いやな予感しかしない。
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